第5話 姉と父の勘違い / 試験通知
ギルが出国する夕刻までは少し時間がある。エリシュは一度自宅に戻ることにした。本当なら今すぐにでもギルの家に行きたいところだが、彼も彼で家族との話もある。親戚や近所への挨拶などもあるだろう。だから、約束の時刻までガマンすることにした。
自宅の前まで来ると、姉のゼリスの姿が見えた。城から戻っていたようだ。相変わらず逞しい。服の上からでも、分厚い筋肉の圧力を感じるほどだ。女にしておくのがもったいない人物である。
今日は非番なのだろうが、それでも鍛錬には抜かりがない。巨大な両手剣を庭で振り回しては、気合の入った掛け声をあげている。ゼリスの得意技は、大きなバスタードソードで相手を鎧ごと叩き割る豪快なものである。まだ人間相手に本気で使ったことはないらしいが、当たったらどんな強敵でも、真っ二つになりそうな技だ。
エリシュが、庭を抜けて家に入ろうと玄関のドアに手をかけると、その姉から声をかけられた。
「おい、誰だお前は? ……無断で人の家に入ろうというのか? どこの貴族の令嬢か知らんが、フォンマイヤー家への不法侵入は許さんぞ」
「はっ? 何言ってるの、姉さん」
「私に縦ロールの妹などいない。貴様、人の家に入る時の礼儀作法も知らないのか?」
姉のゼリスは目を吊り上げて、練習用バスタードソードの切先をエリシュへ向けた。本気で戦う気だ。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 俺だよ、俺! 俺! 俺! わかんないの?」
「……ほぅ、それは噂に聞く身内を騙す詐欺の手口だな。確か”オレオレ詐欺”とか言ったな。……貴様、私を騙そうとしているようだが残念だったな。この家には、父と私と弟しかいない。若い女の親戚もいない」
最初、エリシュはゼリスが冗談でやっているのだろうと思っていた。だが、眼が本気だ。ゼリスが戦闘モードに入った時の、あの鋭い眼光がちらちらと見えている。
そう、ゼリスは目の前の”女装エリシュ”が、自分の弟であることにまったく気付いていなかった。しかし、エリシュもエリシュで証明のしようがない。髪型と服装、靴とメイクが変わってはいるものの、いつもの素の自分なのだ。
「ゼリス姉さん、俺だよ、俺!」
「ぬぅ、私の名前まで下調べしてあるとは、なんと狡猾な詐欺師だ。この場で成敗してくれるっ!」
「ま、待った待った!」
「いや、待たぬぞ。悪を滅ぼすのも騎士の務めなのだ」
「だから俺だって! エリシュだって!」
「おのれっ、弟の名まで持ち出すとは、ただではおかぬぞっ!」
ゼリスはバスタードソードを大上段に大きく構え、女装したエリシュに向かって今にも振り下ろそうとしていた。
「何をやっておる、ゼリス。騒がしいの」
その時、家から顔を出したのは、姉弟の父であった。父は引退してはいるが、元騎士である。今ではのんびりと裏庭の家庭菜園で、野菜や果物を育てるのに精を出している。今も野良仕事から上がったところだ。服のあちこちに泥が付いている。
ゼリスは父の自慢の娘だった。しかし、エリシュは騎士になるには到底才能のない子供だ。それゆえ父の心配の種は、常にエリシュだった。
「父上、この女詐欺師が我が家へ不法侵入しようとしておりましたので、成敗しようと……」
「ち、父上! 俺です、エリシュです!」
父は、女装したエリシュを見て怪訝な顔をした。眉間に皺を寄せ、疑念を込めてじっくりと観察した。
「……ふむ、このような別嬪は知らんな。我が息子とは違う」
「そ、そんなっ! 冗談ですよね? 本当に分からないんですか? 俺ですよ、俺!」
「では、いくつか質問しよう、答えられたらお前は本当にエリシュだ」
「はぁ、馬鹿らしい。本当にエリシュですってば……」
「では質問じゃ。儂の今の趣味は何じゃ?」
「家庭菜園」
「ほう、正解じゃ。よく知っておるな」
「父上、こいつは狡猾な詐欺師です。趣味くらいなら、調べ上げているに違いありません!」
「では次じゃ。儂が妻にプロポーズした時の言葉は?」
エリシュの父が妻と呼ぶ、つまりエリシュの母親が受けた結婚の言葉である。
「……」
「知らぬのか?」
「はい、知りません」
「父上っ! やっぱりこいつは詐欺師です!」
ゼリスが息を巻いて剣を構えた。その構えは、完全に実戦形式へ移行している。このままでは、次の瞬間にでもエリシュは女装したまま、真っ二つにされてしまう。
「ふむ、正解じゃ」
「……えっ?」
「詐欺師なら、もっともらしい適当な言葉を並び立てるじゃろうと思ったんだがの」
「では正解は?」
「見合いだからの。プロポーズなどしておらんわ、ガハハハハハっ」
ゼリスが剣を地面に下ろし、エリシュに近づくと、マジマジと顔を近づけて見た。
「クンクン……。うーん、確かに匂いはエリシュだな。だがよく化けたものだ。女よりもよっぽど女っぽいぞ、お前」
「匂いで判断するなよ! 姉さんは犬かよ!」
「ああ、私の心はいつも野性だ。野生の心構えこそが、戦いの極意なんだぞ。お前も女装なんかして遊んでないで、しっかりと稽古するんだ。サボっていては、騎士になれんぞ」
それを聞いたエリシュは、下を向いていた。姉の説教に反抗心があった訳ではない。エリシュも親友のギル同様、進路を決めなければいけなかったからだ。騎士になると意気込んではいるが、見込みはゼロだ。実力的にはもちろん、士官の口そのものがない。家は既に姉が正式に継いでいる。つまり養成学校を卒業した今、家の畑を耕して一生を終えるか、商家の下男として修行に出るかその二つに一つなのだ。
「姉さん、でも俺、もう……」
「そうじゃった。エリシュ、お前に手紙が来とったぞ」
「手紙? 一体誰からです?」
「ほれ、これじゃ。自分で開けて読むがいい」
父はエリシュへ、細かい装飾が施された厚手の便箋を手渡した。差出人の名前を見ると、そこにはロキシア王国宰相の名前があった。
「そ、そんな! まさかこれはっ!?」
「……そのまさか、かものぉ、ホッホッホッ」
父は既に内容を察しているらしい。余裕綽々の笑顔でタバコを吹かしながら、椅子に座り、野良仕事の後の一服を楽しんでいる。
『――― エリシュ=フォンマイヤー
養成学校での軍略と政策の科目おいて、特に優秀な成績を修めたことを認め、軍師登用試験の受験を許可する』
なんとそれは、軍師への登用試験案内だった。軍師は騎士よりも圧倒的に少数だ。それだけポストが少なく、登用の機会も稀である。大体10年に1度、若干名の募集と言ったところだろう。つまり、ロキシア国で実施された直近の軍師登用試験は、10年も前ということだ。
「なぁに、ちょうど現役の軍師殿が今年で引退するのでな、養成学校に白羽の矢が立ったという訳じゃ。軍師としての成績優秀者はエリシュ、お前が主席だというからのぉ。薄々は思ってはおったが……よかったの」
「ありがとうございます、父上っ!」
エリシュは、涙を流しながら猛烈な勢いで父に向って礼をしていた。
「喜ぶのはまだ早い。軍師の試験は厳しいと聞く。儂もゼリスも騎士ゆえ、試験内容は見当もつかぬ。しかも試験官はあの”不夜城宰相”じゃ。……手強いぞ」
「はい、頑張ります。試験に合格し、フォンマイヤー家の名声を轟かせてみせます!」
「その意気じゃ。お前は体が弱く騎士には向かなかったが、頭脳は人一倍秀でておる。軍師は狭き士官の道の中でも、最も難度の高い険しき道ぞ。それを見事乗り越えてみせよ。期待しておるぞ」
「ハイッ!」
エリシュは、自分が女装していることなどすっかり忘れていた。気持ちが高揚し、既に頭の中は軍師として騎士や兵士達を指揮する自分の姿で一杯だった。戦場に降り立つ軍師エリシュ=フォンマイヤー。……想像しただけで、格好良すぎて卒倒しそうになる気分だった。
「しかしなぁ、エリシュが軍師か……私はお前に指揮される立場になるのか、複雑だな」
そう言ってゼリスは、すっかり女になっている弟をしみじみと見つめた。
「姉さん、そりゃないだろ。俺だって軍師として立派にやってみせるよ」
「まぁ、それは合格してからの話だな、フフフ」
確かにゼリスの言う通りである。今、エリシュは受験資格を得ただけなのだ。肝心の試験に合格しなければ、何の意味もない。しかも試験は騎士のものとは異なり、内容がまったく想像できない。フォンマイヤー家は代々騎士の家系だ。だから、騎士の試験内容はよくわかっている。対策も立てやすい。だが、親類縁者を見回しても軍師になった者などいない。しかも10年も前の試験内容など、知りようもないのだ。
「ところでお前、何だってそんな女装をしてるんだ?」
「ああ、これはウケを狙ってね……」
「ウケ? 芸人のアルバイトでも始めたのか?」
「いや違うよ、これは……」
エリシュは、大親友ギルが他国へ出る事を話した。ギルにとって、姉のゼリスは憧れの騎士であった。ゼリスもまた、ギルの事を才能ある若者だと認めていた。
「そうか……残念だな。今年も騎士の募集はゼロだ。兵士の募集もしてはいるが、正規兵ではない。招集があった時に駆けつけるだけの臨時兵だ」
ロキシア国の兵士の処遇は、大まかにいって3つに分けられている。まず最も上位に属するのが、城に常駐する”正規兵”だ。国から給与を貰い、常に王族の警護や国境の守護などの任務に就いている。もちろん、戦争になれば彼らが最前線に立たされる。
次に”臨時兵”である。これは国に雇われたアルバイトのようなものである。普段は自宅に待機して農作業などを行っているが、声がかかれば正規兵の代わりとして任務に当たることができる。しかし、臨時兵も声が掛からなければ、単なる貧しい農民と変わらない。収入は不安定で、とても国からの給与だけでは暮らしていけない身分だ。
最後に”予備兵”だ。これは養成学校を卒業すれば、誰でも資格が与えられる。資格であって職業や職位ではない。予備兵の資格を持っている者は、戦時にのみ希望者が徴兵され、正規兵の手足として動くことができる。当然職業ではないので、国からの給与はない。基本はボランティアのような義勇兵扱いだ。戦時に活躍すれば少しばかりの報酬はあるが、いわば数合わせの雑兵のようなものである。
そして、兵士たちの上に騎士がいる。騎士の中にもいくつか職位があるが、基本的には兵士の上に立つエリート職である。才能がある者だけが就ける憧れの職業なのだ。
「私からもギルによろしくと伝えておいてくれ。そしてどの国でもいい、立派な騎士になって武功を上げろと」
「ありがとう、姉さん。あいつもきっと姉さんからの言葉は、喜んでくれると思うよ」
「彼のような有能な候補者を、他国へ出さなければならないこの国の財布事情が恨めしいな」
「……うん、本当に口惜しいよ」
ゼリスは沈んだ気を払うように、またバスタードソードの素振りを始めた。その姿を横目で見ながら、エリシュは自室へと戻った。
自室の机で改めて封筒を広げてみる。軍師の登用試験を受けることができる……これは夢なのではないか? そう思って自分の頬をつねってみた。
「痛い……。これは夢なんかじゃないんだ。俺は本当に試験を受けることができるんだ。やったー!!!」
これまで、劣等感に苛まれ続けてきたエリシュは、思い切り感情を解放して叫んだ。これまで生きてきた中で、最も痛快な瞬間だった。自分の努力と存在を周囲に認められたと感じていた。
エリシュは騎士への憧れはあったが、自分の力不足は十分理解していた。父や姉への反抗心から剣や格闘の訓練をしてはいたが、体を動かすよりも部屋の中で本を読んでいる方が性に合っていた。だから、エリシュは体を使った訓練よりも、本を読み頭を使って考える時間を多く取っていた。そのおかげで軍略や政策にも詳しくなったのだが、軍師への道は騎士以上に狭き門である。努力が無駄になると察しながらも、精進する毎日を過ごさねばならなかった。
軍略や政策を立案する訓練そのものは、まったく苦ではなかった。だが、その先にある将来は、ほぼ間違いなく農家か商家かの下働きである。人生の虚しさを感じていた。そんな状況の中で奇跡が起きたのである。単にタイミングの問題だったのかもしれないが、エリシュはこれまでの努力が、国から肯定された事に天にも昇る気持ちだった。
しかし一方で、この事をギルに打ち明けるべきか、迷っていた。
自分は運よく試験を受けることができる。無事に合格すれば、若くして一国の軍師になる。軍師は軍略を練り、騎士や兵士を指揮する役職、栄誉ある立場である。ギルは、騎士の登用試験すら受けることができない。国家の裏切り者の汚名を着て、僅かなチャンスを求めて逃げ出すように慣れ親しんだ家を去るのだ。まさに境遇は、”天国と地獄”である。
打ち明ければ、ギルの気分を損ねるかもしれない。大親友との最後の日が、喧嘩別れになるのは絶対に避けたい。そんな気持ちがエリシュを支配した。しかしここで言わなければ、一生告げることができないかもしれない。それはそれで、ギルを騙しているようで気分が悪い。間違いなく悔いが残る。
「よし、正直に言おう」
エリシュはそう決心して、宰相からの手紙をポケットに入れた。
しばらくベッドで横になっていると、登用試験のことが頭の中をグルグルと回り始めた。対策はどうすればいいのか? 事前に勉強が必要なのか? 試験時間は何時間か? いろいろ考えるが見当もつかなかった。
「あれ? そういえば試験っていつだっけ?」
手紙を改めて見返すと、文末に小さな文字で、試験要綱がさらりと書かれていた。
試験日時:8月20日正午より
注意事項:入城の際はこの手紙を門番へ提示すること
その他:試験は口頭試問とする
この3行のみであった。実にあっさりとしている。試験内容などの詳細情報は一切書かれていない。これで対策を練るというのは、不可能に等しい。
「はぁ、仕方ないな、軍略の本でも読んでおくか……ってこれ試験日明日じゃないか!」
そう、この試験案内が届いたのは、実に試験日の前日だった。これでは対策もへったくれもない。悩みたくても悩む時間すらない。エリシュは、もう当たって砕けろの精神で臨むことにした。
「おっと、そろそろ時間だ。ギルとは街の中央広場で待ち合わせだったな」
エリシュはベッドから体を起こすと、鏡を見て驚いた。
「うわっ、ホントこの女装よく出来てるよな。自分でも女顔だとは思ってたけど、こんなに似合うなんて……まぁいいや、今日だけの特別限定だから我慢我慢」
ベッドに寝転んだ時に跳ねてしまった髪を整え、街へ繰り出した。