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第16話 シルリアの勘違い / 浴場にて

 エリシュが部屋に戻ると、ベッドメイキングを終えて、椅子でうつらうつらしている婆やがいた。きっと連日のハプニングで疲れているのだろう。起こすのも悪いので、エリシュは彼女の肩にそっと毛布をかけ、風呂に入ることにした。メイド達は既に寝室に入っている。あれだけきつく言ったのだ、もう自分の部屋から出て来る者もいないだろう。今なら安心して風呂に入ることができる。


 浴場は当然ロザリア専用である。自分の寝室から、直接風呂場に行ける贅沢な仕様になっていた。湿気対策もきちんとされている。風呂場から寝室へ湯気が流れることもない。

 

 エリシュは、初めて王族の風呂場というものを見た。大きなライオンの置物の口からお湯が流れ出てくる。お湯からは、ほのかにだが硫黄の香りがする。温泉である。そして、タイルはピカピカに磨かれた大理石だ。どれも庶民では考えられない、贅をつくしたものになっている。宰相が倹約を迫る気持ちも、少し分かる気がした。


 エリシュは、早速服を脱いで裸になった。ひとしきり体を洗うと、広々とした湯船に豪快に浸かった。


 ――― 生き返る。体の疲れが芯から抜けて行くようだった。肩まで浸かると、長い髪の毛が浴槽に広がり、絵的にはちょっとしたアートになった。


「ふうぅーーー、あー気持ちいい。やっぱり風呂はいいや」


 そんな独り言を言いながら、エリシュは解放感に包まれていた。何しろ慣れない窮屈な靴に足を押し込め、小さな下着をずっと着けていたのである。湯に浸かっている時だけが、唯一安心して心も体も解放できる場所であった。


「ロザリア様、失礼いたします」


 エリシュが無防備な姿でお湯の中で、微睡んでいると、突然浴場のドアが開いた。湯気で少し霞んで見えにくくなっているが、その姿はシルリアである。服はメイドの制服から白いローブに着替えている。


「あ、あの……ゴホン、シルリア、湯浴み担当はもういいと言ったはずよ」


 エリシュは冷静さを失い、パニックになりかけた。だが、ここは慎重にシルリアを退けなければならない。男であることがバレれば、一大事である。


 浴場に通じるドアは一つ。必ずロザリアの寝室を抜けねばならない。婆やが居れば、確実にシルリアを止めていたはずだ。だが、今は寝てしまっている。つまり、エリシュには逃げ場がないということだ。


「いえ、これは感謝の意味を込めてのご奉仕です。どうかお許しください」

「ダメよ。許さない。私の命令に背くつもり?」

「……そんな、だって私、ずっとロザリア様のお世話をさせて頂いていたじゃないですか!? 悲しいです!」


 よく見れば、シルリアは大粒の涙を流していた。湯浴み担当を急に外されたことで悲しんでいるのではない。今、ロザリアに拒絶されたことを悲しんでいるのだ。


 シルリアは、ロザリアのもっとも身近なメイドだった。毎日裸の付き合いをして、さらに体の隅から隅まで磨き上げてきたのだ。しかし、報われたことは一度もなかった。当然メイドとしての報酬は受けていたが、ロザリア本人から感謝や労いの言葉を貰ったことは一度もなかった。


 しかし今日、ようやくロザリアから名前を呼ばれた。さらに感謝の言葉まで貰ったのである。シルリアは天にも昇る気持ちだった。自分がロザリアに返せるのは、湯浴みで体を磨くことだけである。料理や掃除担当のメイドは他にもいる。彼女達の仕事に割り込んで、自分アピールをする訳にはいかないのだ。


「お、お願いです……私から返せるものと言えば、お体を綺麗に磨くくらいしかありませんので」


 エリシュは動揺していた。今、湯船から上がれば確実に男だとバレてしまう。しかも、前を隠すタオルや布の類を持っていない。


 一方のシルリアは、ロザリアに頭から拒絶されたショックで、まるでこの世の終わりが来たかのような顔をしていた。さすがにこれを見たエリシュは、彼女のことが可哀想になった。このまま拒絶し続けたら、きっと禍根を残してしまう。メイド達は横の繋がりが強い。連帯感があるのだ。もしもシルリアに悪い印象を持たれてしまったら、メイド達の士気にも関わる。今後の活動にも支障が出かねない。


「……わかったわ。背中だけなら流させてあげる」

「あ、ありがとうございますっ!」


 シルリアの顔が途端に明るくなった。だが次の瞬間、エリシュは度肝を抜かれることになった。なんとシルリアは、白いローブを脱いで素っ裸になると、タオルを持ったまま湯船に入って来たのである。そう、ロザリアの体を洗うのは湯船の中で、が基本だったのである。湯冷めをさせないという理由であるが、ロザリアしか使わない湯船だからこそできる贅沢なやり方であった。


 ザブザブと入って来るシルリア。真っ直ぐにエリシュに近づいて、タオルを湯に浸けていた。


「な、ななっ……」

「どうされました、お顔が赤いですよ? お湯加減、熱かったでしょうか?」


 エリシュは慌ててシルリアに背を向けた。背中を流してもらうのだ、背を向けるのは不自然ではないだろう。


 シルリアは嬉しそうな顔で、エリシュの背中を、ゆっくりとこすり始めた。


 焦っていたエリシュだったが、シルリアの背中流しは極上の心地良さだった。使っているタオルの柔らかさもある。しかし、彼女の技術によるところが大きい。人が気持ちよくなるツボと力加減を心得ているのだ。


 やがて、シルリアは背中だけに留まらず、後ろから前へと手を伸ばした。


「そっちは、や、止めっ……」


 とエリシュが口に出しかけたところで、シルリアの動きが止まった。そう、いつもなら柔らかな胸があるはずなのに、それがない。少し堅い筋肉で覆われているのである。痩せた男の胸板。シルリアが触った事のない感触だった。


「えっ?! ロザリア様……? こ、これは……」


 男であることが、バレてしまった。もう自分はおしまいだ。シルリアに通報され、身分偽装と不敬罪とで宰相に突き出されてしまうだろう。死罪は免れない。自分だけならまだいい。フォンマイヤー家にも被害は及ぶだろう。父も連帯責任で処断されるに違いない。自分と同様に死罪、公開処刑されてしまうかもしれない。しかも、王女に女装し、身分を偽るなどという恥ずかしさこの上ない罪だ。誇り高い父は、処刑される前に自ら死を選ぶかもしれない。そして姉にも責任は降りかかるだろう。騎士の職位を剥奪され、家は断絶となってしまう。フォンマイヤー家の破滅の絵で、エリシュの頭の中は一杯になってしまった。


「まさか、ご病気になられてしまったのですか!? 胸が小さくなり、そしてこんなイボのようなものまでおみ足の付け根に……なんとおいたわしい」

「……えっ?」


 シルリア(19)は、絶望の淵にいたエリシュの想像もつかない反応を示した。


 シルリアは母子家庭で育った娘だった。幼くして父を亡くし、祖母と母に育てられた。物心ついた頃になると、直ぐに女子だけが住まう寄宿舎に入れられ、そこで徹底的に礼儀作法やマナーを叩きこまれたのである。寄宿舎は厳しい環境で、一切の男子を禁止する場所でもあった。


 そんな中で育ったシルリアは、男性の体というものを一切知らなかった。見たことも聞いたこともなかったのである。もちろん、男性と付き合ったことはない。本来なら、青春恋愛真っ只中の年代であるが、若くしてロザリア付きのメイドとして城に上がってしまった。本当に女性の体しか知らなかったのである。だから、突然変わったロザリアの体が病気になったと思ってしまったのである。


「ロザリア様がどんなお姿になられようと、一生付いて参ります。どうかご病気のことは、お気になされませんよう」


 エリシュには、シルリアの言っていることが理解できなかった。彼女は、自分を宰相に通報するどころか、これまでにもまして丁寧に、そして優しくなっている。もしかして、自分の弱みを掴んで、あれこれ脅しをかけてくるつもりなのではないだろうか? そんな嫌な考えが頭をよぎった。


 だが、それは絶対にない。本物のロザリアにあれほど心酔し、忠誠を誓っていたシルリアである。自分を偽者だと判断すれば、大変なことになる。本物のロザリアの行方を探して、一目散に浴場を飛び出して行くだろう。


 しかし、今彼女は自分の体を洗ってくれているのだ。シルリアは、エリシュの裸を見てもなお、本物のロザリアだと思い込んでいるのである。エリシュはそう考えた。しかも自分の体を見て「病気になった」と言っている。男の体になる病気……そんなものは聞いたこともないが、彼女はそう思い込んでいるようなのである。


「……シルリア、お願い。この病のことは絶対に誰にもいわないで」

「もちろんです。たとえ殺されても言いません。ロザリア様は、私が命をかけてお仕えする尊い御方ですもの」

「あ、ありがとう」

「でも、時々湯浴みのお手伝いをさせてくださいねっ」


 ニッコリと笑う銀髪の娘。思わず頬を赤らめてしまうエリシュ。姉以外で初めて体験した女性との入浴であった。


 シルリアは、ロザリアが病気の体になったので、湯浴担当制度を止めると言ったのだと勝手に考えた。この秘密を知っているのは、自分だけだ。”傾国の美女”とまで言われる憧れのロザリア。その秘密を独占している。それだけで、なお一層ロザリアを愛おしく思い、心惹かれる存在として見るようになって行くのだった。


 一方のエリシュは、ひとまずホッと胸をなで下ろしていた。どうしてシルリアが自分を偽者として通報しなかったのかは、よくわからない。男とわかった上で、本物のロザリアとして扱ってくるのだ。理由はともかく、秘密を厳守してくれるならそれでいい。偽者でいるのもあと僅かな期間だ。それまで持てばいい。所詮は「かりそめの王女」なのだから。


◇ ◇ ◇


 ――― 翌朝。エリシュは、いつも通り夜明けと同時に起きた。朝日が大きな窓から射しこんでくる。今日も爽やかな天気だ。絶好の散歩日和である。ふと枕元を見ると、一通の手紙が置いてあった。婆やからだった。書置きは実家に帰ることと、どんなに遅くなっても、初顔合わせの日までには必ず戻るという内容だった。婆やの、本物のロザリアに対する愛情は痛いほどわかっている。本物のロザリアの体面を保つために、自分という替え玉まで強引に作り出したのだ。親心、ここに極まれり、である。


 初顔合わせという未知のイベントに、婆やが居ないとなると、いくら完璧な女装をしているエリシュでも心配になる。エリシュはあくまでも会話をするだけの役目だ。変な事にはならないと思うが、それでも万が一ということがある。本物のロザリア王女のイメージを貶めないことはもちろん、相手の機嫌を損ねてもダメなのだ。


 しかし、エリシュは少し安心していた。メイド達の噂を聞くと、初顔合わせの相手である青年貴族は、ロザリア王女と面識がないらしい。であれば、関係を築くのに制約はない。もしもロザリアの過去をよく知る人物であれば、極力ロザリアに似せるように振る舞わなければならない。だが関係性がないのだ。これからどんな関係を作ろうとも自由なのだ。少しでもロキシア国に有利な条件で、縁談を進めるチャンスなのだ。


(男が女に惚れるツボなんて、よくわかってるからな……何せ俺も男なんだから。できるだけロザリア様に有利な関係を作っておこう)


 エリシュが着替えようとして、部屋の扉を開けると、そこにはメイド達が勢揃いしていた。前室に入りきれず、列が部屋の外へはみ出している。


「「「おはようございます」」」


 全員が一斉に深々と頭を下げ、朝の挨拶をしてくる。確かに朝食を一緒に取るようにとは言ったの自分だが、それにしてもフルメンバーに近い人数が揃っている。居ないのは休暇を取っている者だけだ。


「お、おはよう、みんな……」


 エリシュが焦りながら挨拶をすると、メイド達はエリシュの着替えを始ようと素早く近づいてきた。これはまずい。さすがに着替えの時に体をまさぐられれば、男とバレてしまう。


「ちょっと待って。着替えはシルリアにしてもらうわ」

「……えっ?! わ、私ですか?」


 驚いた顔のシルリア。着替え担当のメイドの、不服そうな顔がちらりと見えた。入浴担当のメイドもいれば、着替え担当のメイドもいるのである。彼女達もフォローをしなければならない。エリシュはそう思った。


 シルリアと一緒に服を持って寝室に戻る。心なしか、シルリアの顔が上気して赤くなっている。彼女は、着替え担当役に抜擢されて嬉しいという気持ちで一杯だった。ロザリアの着替え担当は、湯浴み担当と同じくらい、王女に密着する役目なのである。服のセンスや髪型、メイクまでも着替え担当が決めることになる。湯浴み担当はいわば、ロザリアの美の裏方である。一方、着替え担当はロザリアの美の表舞台。シルリアが嬉しくないわけがなかった。


 ロザリアは例の病気のせいで、体を他の者に触らせたくないのだろう。しかしそれでもいい。病気の秘密を託されているのは、自分だけなのだとシルリアはそう思っていた。


「ロザリア様!」

「な、なぁに?」

「私を着替え担当にしてくださって、ありがとうございますっ!」

「え、ええ……期待してるわ」


 シルリアは湯浴みだけでなく、着替えの手際も素晴らしかった。髪型を整えるのはもちろん、下着から服まで選ぶセンスも抜群だった。おかげで何もせずに、ものの10分で着替え完了である。今日はスカートやドレスではない。乗馬をする時のような、パンツスタイルである。靴もブーツだった。ヒールよりもよっぽど歩きやすいし、動きやすい。


「本日は朝から城内のご散策ですから、それに合わせたお召し物をご用意いたしました」

「……ありがとう」


 笑顔で答えるエリシュ。そう、この服装なら男子の時とほとんど変わらない。しかも髪型もポニーテールである。動きやすくて違和感がない。違和感があるとすれば、女性物の下着だが、それも少し慣れ始めていた。


 扉を開けて前室へ移動する。ヒールと違い、かなり大胆な動きができる。もっとも、大胆な動きができたところで運動神経ゼロのエリシュである。せいぜい走る程度が関の山ではあるが。


「シルリア、行くわよ。他の者は朝食の準備ね。くれぐれも自分たちが食べる分を忘れないで。私の食べる傍で、何も食べずに突っ立っている者がいたら、許さないから」

「「「「はい!」」」


 メイド達の一糸乱れぬ揃った返事に、彼女達のプロ意識を感じた。ただの返事もここまで揃うと気持ちがいい。城のメイドは、街で見かける普通の家政婦ではない。徹底的に教育訓練された、いわばおもてなしの専門家なのである。


 エリシュが歩くその後ろを、チョコチョコとシルリアが付いてくる。シルリアは背が低い。歩幅も狭いので、エリシュが普通に歩くだけで、彼女は結構頑張らねばならない。しかも今日は歩きやすいブーツである。男子の時のように、ツカツカと軽やかに歩くことができてしまうのである。


 必死で付いてくるシルリアを見て、エリシュは歩くスピードを落とした。そしてシルリアの隣に並び、彼女の歩幅に合わせて歩き始めた。


「え、あ、あの、ロザリア様。メイドは後ろにつくものです、並んで歩くなど畏れ多いです」

「でもこうして並んで歩いた方が、話がしやすいでしょう?」

「あ、はい……」


 エリシュは彼女達の教養レベルがどの程度なのか、シルリアで試そうと思っていた。国政や財政建てなおしに彼女達の力を使うといっても、能力に合わせた役目を与えなければならない。その能力を把握しておく必要がある。


「シルリア、会計や経理……つまりお金を扱ったことはある?」

「寄宿舎の食堂や購買関係の経理を3年間やってましたので、一通りはわかっているつもりですが……」


 シルリアの住んでいた寄宿舎は、社交界や王国貴族に奉公するために必要なスキルを養成する学校である。職業訓練所としての意味合いもあった。だから、シルリアは並の職業であれば、農業から商業まで広く経験済だった。この寄宿舎に入るためには、それなりの入学料と授業料が必要である。シルリアも裕福な出生ということだ。


「他のメイド達も同じようにできるのかしら?」

「はい。城のメイドは、みんな寄宿舎を卒業してから登用されていますので……」


 シルリアの言葉でエリシュは確信した。メイド達は使える人材だ。城の中で自分の世話だけをさせておくのは、もったいない。あの頭の固い宰相よりも、役に立ってくれるかもしれない。


「ありがとう。シルリア、これからもお願いね」


 ロザリアからの感謝の言葉に、シルリアはまた顔を上気させて喜んでいた。これまで自分はほとんど物扱いされてきた。それなのに突然の態度の変わりようである。並のメイドなら、疑いの目を向けるのが普通だろう。しかし彼女にとってロザリアは憧れであり、すべてなのだ。疑うことすらできなかったのである。裸の付き合いをしてもなお、エリシュがロザリアの替え玉であることに気が付かない。こんなに美しい人が、世の中に2人もいるなんてありえない。だから目の前のロザリアは本物である。そう信じ込んでいた。

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