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第13話 新生ロザリア

 エリシュが城門から自室、つまりロザリアの部屋へ戻ると、メイドがずらりと勢ぞろいし、朝食が用意されていた。もちろん、婆やがそのメイド達を取り仕切っている。メイド統括役であり、ロザリアの育ての母なのである。


「ロザリア様、本日はお早いようで……」

「ええ、婆や、気分が良かったから城内を散歩していたのよ」

「それはよろしゅうございました。何か面白いものはございましたか?」

「門番から秘密の抜け穴を教えてもらったわ」

「なんと、そんなものがございましたか」

「フフフ、婆やにも後で教えてあげるわ」

「ありがとうございます」


 婆やはわざとメイド達の前で会話することで、エリシュの女性としての立ち居振る舞いを試していた。不自然な所があれば、直ぐに修正するためだ。昨日まで20年間も男だった人間が、いきなり女性として振る舞えと言われているのだ。どう逆立ちしてもこなせる訳がない。無茶な話である。必ずどこかにほころびが出る。だが、今ならまだ修正可能だ。極力、女性としての振る舞いに近づけるための訓練時間を取ることができる。初顔合わせでバレなければいいだけなのだ。


 しかし、婆やの予想に反してエリシュの演技は完璧だった。女性としてはもちろん、ロザリアその人の態度としてもかなり自然だったのである。婆やは一瞬、目の前のエリシュが、本物のロザリアなのではないか? と錯覚したほどである。


 唯一、ロザリアとして不自然な点があるとすれば、”早起きして散歩した”という点だけである。


 エリシュはノリに乗っていた。自分の置かれた状況を上手く利用し、国を変えて行く。これが実現できるかもしれない。女装は不本意ではあるが、気分が高揚しない訳はない。本物のロザリアには悪いが、政治や軍略に口を出す勇ましい王女を演じさせてもらうとしよう。


「婆や、私これからは毎日朝早起きするわ」

「おや、一体どういう風の吹き回しでしょう?」

「城の中に興味が出てきたの」

「わかりました。では、明日からはきちんと朝食をご用意させます」

「うん、みんなもよろしくね」


 ずらりと並んでいたメイド達が、一斉に頭を下げた。綺麗に動きが揃っている。壮観だった。訓練された軍隊並に美しい動きである。エリシュはそう思って、見とれてしまっていた。


「さぁ、では朝食にいたしましょう。お前たちはもういいわ、下がりなさい」


 メイド達がきちんと隊列を成したまま、退室していった。これまた美しい軍事パレードの行進のようだった。


 婆やが急いで部屋の扉を閉め、鍵を掛けると、エリシュに近づいた。そして食い入るように見つめている。


「あなたまさか、本当にロザリア様、ではありませんよね?」

「……」


 エリシュは調子に乗っていた。何しろメイド達にもバレていないのである。そして正規兵たちも門番も、誰もが疑いすらしないのである。


「そうよ、私は本物のロザリアよ! 婆やともあろう者が気が付かないなんて、どうかしてるわよ」


 図に乗って冗談半分で返事をしてみた。


「……そ、そんな馬鹿な!」


 途端に婆やの顔が真剣になる。


「失礼致します。確かめさせていただきます」


 そういって婆やはエリシュの服を剥ぎ取り、果ては下着まで取り去っていた。


「……す、すみません、調子に乗り過ぎました。私ですよ、エリシュです」

「ったく……はぁ、なんて冗談を。でも私ですら本物と錯覚させる演技、もう合格の域を遥かに越えていますね。さすが私が見込んだ人物です。安心しました」

「あ、ありがとうございます。あのー、早く服を着たいんですがいいですか?」

「あら、ごめんなさいね」


 エリシュは窮屈な女性用下着を着け、ナイトドレスをさっさと着てしまった。だが、やはり下着と踵の高い靴だけは、馴染めていない。


「あっ! ちょっと待っていてください。良いものがあります」


 婆やはエリシュの着替えを見ながら、何かを思い出したように、突然部屋を飛び出していった。


(はぁ、調子に乗り過ぎるのはよくないな。でも育ての親を完全に騙せるくらいだ。ロザリア王女になりきるのは、もう自信を持っていいみたいだ)


 ――― グウゥゥ~。腹の虫が鳴る。用意してもらったスープが、いい香りを漂わせている。パンもいつも食べているカチカチのものとはちがい、柔らかくて甘い匂いがする。朝食を済ませていなかったエリシュは、パンに噛り付きながらスープをすすった。マナーもへったくれもなかった。普段家で食べるような、豪快な手さばきである。今はこの部屋に1人だから問題ないだろう。そう思って気兼ねせずに口へ運んでいた。


 ――― その時だった。突然声を掛けられた。


「あらあら、私が教えて差し上げたテーブルマナーは、一体何処へ行ってしまったのかしら?」


 皿から顔を上げると、髪をアップに纏めた黒縁メガネの長身女が立っていた。ロザリアの専属家庭教師である。本を数冊小脇に抱え、隅々まで皺ひとつないパリっとしたシックな黒スーツを着こなしている。いかにも教師、というインテリ感が匂ってくる。家庭教師はメイドや使用人ではない。ましてや軍師や正規兵たちとも違う立場だ。唯一王女と対等に口を利ける教育係なのだ。


「……ああ、テーブルマナーの話? 今は1人だからいいでしょ」


 エリシュは適当にあしらった。相手が家庭教師といえども、おそらく本物のロザリアは態度を変えないだろう。だから面倒を持ち込みそうな人間は、適度に距離を置く作戦に出ることにした。


「そんなことでは、婿様に逃げられてしまいますよ。まったく……朝早く起きて散歩をするなんて奇跡が起きたと噂が立ったので来てみれば、マナーの方をお忘れになってしまうとは……」

「うるさいわね。朝食の邪魔よ。お説教なら後にして」

「お口の方は、相変わらずのお行儀なのですね。普段の講義は、あれほど優秀にこなされるというのに、現実がこれでは意味がありませんわねぇ。では今日のスケジュールだけお伝えしますわ」

「スケジュール? ……何の?」

「いつものお稽古事、習い事のスケジュールですわ。お忘れになりまして?」


 エリシュは、自分の計画に大きな欠点があることに気が付いた。確かに本物のロザリア王女は、ものぐさで天真爛漫のおてんば娘だったかもしれない。だが、暇ではないのだ。一国の王女に相応しい教養やマナーを身に着けるべく、講義と実践のスケジュールがびっしりと組まれているのである。これでは、国政に口を出す時間などある訳がない。


「本日のご予定は、13時から15時まで歴史の講義、15時から16時まで社交界向けのマナーレッスン、16時から18時まで外国語の講義、18時から19時までテーブルマナーレッスン、19時から20時までダンス実習、20時から22時まで料理実習となっております」


 超過密スケジュールである。休憩時間すら考慮されていない。そしてテーブルマナーレッスンの中に、さりげなく夕食の時間が入っている。まさに息を付く暇もないとはこの事である。しかし、中身を聞いてエリシュは、ほとんどが自分には必要ない内容であると判断した。


 特に歴史の講義は、既に養成学校で履修済みだ。ここで同じような事を教わっても意味はない。ダンス実習や料理実習、そしてマナーレッスンも不要だ。替え玉である自分の役目は、あくまでも初顔合わせである。つまり、この家庭教師が言う教養を身につけても、エリシュには役に立たない。せいぜい会話のきっかけになるくらいであろう。


 役に立つ講義といえば、政治学、経済学、軍事学だろうが、これはエリシュの方が詳しい。むしろ教師になって教える立場だろう。つまり、この不毛な教養の時間を何とかして回避しなければならないのである。


「……今日から1週間、講義はキャンセルよ」

「そんな勝手は許されませんよ。国王陛下のお言いつけなんですから」

「私、昨日の散策で怪我をしているのよ。盗賊団に襲われてね」

「何ですって?! お怪我の方は大丈夫なのですか?」

「初顔合わせまで療養しなさいと、宰相からのお達しがあったわ」

「……だから講義はしばらくお休み、ということですか?」

「よくわかってるじゃない。万が一初顔合わせに影響があったら、お国の一大事よ。お父様だってわかってくださるわ」


 エリシュは、宰相の言葉を盾に取って、何とか不毛な講義を回避しようと試みたのである。その効果はてきめんだった。この大事な時期に怪我をしている王女を、講義やレッスンへと引っ張り出す訳にはいかない。万が一があった場合、家庭教師の責任だけでは済まされない。


「わ、わかりました……それでは今日から初顔合わせの日まで、お休みとします。どうぞお体を労ってください」

「ありがとう。ではごきげんよう。……もう下がっていいわよ」


 家庭教師は自分の出番を奪われ、すっかり手持ち無沙汰になってしまった。トボトボと下を向いて、ロザリアの部屋を出ていった。家庭教師は歩合制の給与である。そのため、講義がないと収入がゼロなのである。彼女にとって、講義がないということは食い扶持を失うということなのだ。


「お待たせしました、ロザリア様」


 家庭教師と入れ違いに婆やが戻ってきた。手には何やら大きな袋をぶら下げている。袋からチラリと見えたのは、肌色の布のようだった。


「何? その袋は……」


 婆やが取り出したのは、水の入った革袋2つだった。革袋と言っても表面が丁寧に(なめ)されている。その肌触りは、まるで極上の絹のようだった。感覚としては、滑らかで割れない水風船のような感じである。


「これを胸に入れれば、本物にしか見えなくなります。飛び跳ねたり階段を降りたりした時にも、本物らしく振る舞いますので」

「ああ……なるほど」


 パンを食べ終えたエリシュは、早速胸部に詰め入れてみた。水が入っているのでひんやりしているが、直ぐに人肌の温度になった。


 試しに何度か飛び跳ねてみる。


 ぴょん。たゆん……。

 ひょん。ひょん。たゆん……。

 ひょんぴょんぴょん。たゆん、たゆん、たゆゆん……


 本物のおっぱいが詰まっているようにしか見えない。それほどリアルな動きをしている。それでいて、体からずれることもなく、きっちりフィットしているのである。


「……凄いわ。どこでこんなものを?」

「世の中の女性は、陰で苦労しているということです」

「な、なるほどね」

「本物のロザリア様は、どちらかというと大きな方です」

「う、うん」

「外見で唯一不自然なところといえば、そこだけです。ですがこの皮風船があれば、もう誰一人として見抜くことはできないでしょう!」

「あ、ありがと。わかったからもう座って、婆や」


 なぜか拳を握り締めて熱く語る婆やに、エリシュはこの皮風船の開発者が婆やであることを、何となく悟ってしまった。よく見れば婆やの胸は、かなり控えめである。おそらく若い時分には、さぞ愛用していたのだろう。それを思うと何とも言えない気持ちになる。世の中の女性というのは、なかなか大変なのだ、とエリシュは思った。


――― コンコン


 ノックが聞こえた。少しの間を置いてドアが開き、1人のメイドが入ってきた。銀盆の上にカップが2つ。上品で香ばしい珈琲の薫りを含んだ湯気を立てている。食後のタイミングを見計らって持って来たのだろう。


「それより、今日から宰相の所へ行こうと思うの」

「宰相殿とはあれほど仲が悪かったのに、急にどうされたのですか?」

「これまで王族は政治に無関心だったでしょ?」

「ええ、国にもよりますが、政治は宰相が執り行うものと聞いておりますよ」

「これからは、積極的にかかわってみようと思うの」


 婆やは思った。理想に燃えた軍師が、今王族の権限を持っている。この若者は国を良い方向に変えてくれるかもしれない。もちろん偏見に満ちた勝手な期待ではある。だが、今のままではどうせ落ちて行くばかりだ。だったら、この若者に賭けてみるのも一興ではないのか? 倹約しか頭にない宰相と、政治に無関心な国王を変えてくれるのではないか?


「……さすが、ロザリア様。政治は本来王族が行うもの。宰相殿も最近はお困りのようですから、ぜひ助けてあげてくださいまし。この婆やも陰ながら応援致しますよ」


 メイドが持ってきてくれた薫り高い珈琲をすすりながら、エリシュは思った。実質的に国のナンバー2である乳母が応援してくれる。つまり、これから5日間は自分の自由に意見を通すことができるということだ。短い期間で変えられることなど、ほとんどないかもしれない。だが、この絶好の機会を逃すのは勿体ない。今日から積極的に宰相へ関与していこう。


「さっそく宰相のところへ出かけるわよ」

「かしこまりました。ではメイ、お前がお供して回りなさい」


 メイと呼ばれたメイドは、先ほど珈琲を持ってきたメイドである。エリシュよりも頭一つ背が高く、身体つきもいい。色白で黒髪の賢そうな雰囲気である。何を隠そう、このメイこそが、婆やに最も買われているメイド筆頭なのである。


「メイ、今日からしばらく今までと違う行動をするわ。よろしくね」

「はい、ロザリア様の仰せのままに」


 エリシュとメイは、宰相の執務室へ向かった。その道すがら、メイが不思議そうな顔で尋ねてきた。


「宰相様に会って何をされるのですか?」

「話を聞くだけよ、政治の」

「は、はぁ……ですが宰相様は超過密なご予定で動いておられます。お話するのは、難しいかもしれません」

「それでも構わないわ。勝手に書類を漁るから」

「書類……どんな書類をご覧になられるのですか?」

「そうね、まずは財政状況の数字がわかるものかしら。そして次に軍備の様子かしらね」

「ロザリア様はまるで軍師様のようですね」

「……ええ、私はこれから軍師にもなってみせるわ」


 そんな雑談をしているうちに、宰相執務室の前に着いた。中からは話し声がする。いや、話し声ではない。宰相が荒い口調で部下を怒鳴る声だ。


「おい、国境警備の件は一体どうなっておるのだ!?」

「すみません、今調整をかけているのですが、何分人手が足りなくて……」

「人がおらんことくらい儂もわかっておるわっ! あの新人軍師を使ったらどうだ」

「そ、それが……どうやら逃げてしまったみたいで……タハハ」

「なあぁにいぃぃぃーーーーっ!」


 ノックをすると、扉の向こうにはレームリアの顔があった。相変わらず宰相の矛先が向いているのは、レームリアだったのだ。ストレスのあまり、顔がげっそりしている。昨日みたレームリアよりも、さらに一回り小さくなっているのではないか。そんな印象さえ受ける。


「ロザリア王女! こんなところへどうされました」

「宰相に話があります」

「は、はぁ……ですが今はちょっと……タハハ」


 またまた頼りない、そして覇気のない空笑いをするレームリア。


「何をしておる、レームリア! さっさと仕事に戻らんかっ!」

「宰相、私よ」


 エリシュは、今にも倒れそうなレームリアを押しのけて、執務室へ強引に入った。その後にメイが続いて入る。


「うん? ……これはこれはロザリア王女。わざわざこんなむさ苦しい執務室までおいでとは、一体何事ですかな?」


 嫌味な表情を浮かべながら、宰相はエリシュに向かって話しかけた。


 普段から宰相は、王族の贅沢を快く思っていない。特にロザリアの贅沢については、倹約の仇敵だと考えていた。その件でつい最近まで、対立関係にあったこともエリシュはレームリアから聞いて知っていた。だから、宰相のふてぶてしく嫌味な態度もよく理解できた。


「ええ、お願いがあってね。1つ教えて欲しいの」

「……ほほう、王女様が私にお願いですか? 上手な倹約の仕方なら、いくらでもお教えしますよ、フフン」

「この国の財務と軍備の状況を教えて」


 宰相はポカンとした顔をしている。予想外過ぎて、何を言われたのか理解できないという表情である。だが、宰相は直ぐに我に返った。


 ――― 図々しいにもほどがある。これまで散々政治を放棄して、すべてを自分に押し付けてきた王族である。それが今さら何のちょっかいを出して来るのかと。プライドを持ってここまでやってきた倹約政治を、ポッと出の小娘に、しかも政治の素人に口を出されるのは、まったくもって不愉快だった。


「お言葉を返すようですが、ロザリア王女に政治の話は些かハードルが高こうございます。お引き取りください。儂も忙しい身でね。そう、それもすべて貴女の御父上が政治をサボってきたせいなのですよ……フン!」


 宰相は、これ以上ないくらいの嫌味を込めて返してきた。日頃の鬱憤を晴らすが如く、そして自分の今のポジションを守るための”口撃”である。


 それを見ていたレームリアの顔は青ざめていた。エリシュの後ろに立っていたメイドのメイも何が起きてしまうのかと、気が気ではないという顔だ。


 エリシュは思案しなかった。正直、こういう頭の固い考え方と保守的なやり方が大嫌いだった。ましてや、たとえ無能だったとしても、仕えるべき(あるじ)を小馬鹿にするような態度も許せなかった。珍しく感情的になっていた。


「おい、宰相……」


 低くドスの利いた声が、エリシュからゆっくりと放たれる。一瞬誰の声か分からず、その場に居た全員が、自分の耳を疑っていた。


「てめぇ、いい加減にしろよ!」


 ――― バンッ


 エリシュは壁に思い切り拳を叩きつけていた。出血している。しかし、痛くはない。そう、手の痛みなど忘れるくらい怒りで我を忘れていたのだ。


「ヒッ!」


 気の弱いレームリアは、小さく声を上げて起立していた。宰相の嫌味たらしく、余裕の態度が一変していた。顔色がレームリアと同じくらい青ざめている。


「こっちが下手に出てれば、いい気になりやがって。倹約ぅ? それは結構だよ。だが収入が増やせなければジリ貧だろうが!」

「ま、まぁまぁ……落ち着いてください、王女様」


 宰相は額に浮いた大粒の汗を拭きながら、必死でこの場を収めようとしている。目の前のロザリア王女が、こんなに攻撃的になるなど未だに信じることができなかった。確かに、おてんばでワガママな娘ではあった。だが、所詮は温室育ちのお姫様だ。他人を威圧して言うことを聞かせるなどできようはずもない。そう思っていたのだ。


「大体よぉ、正規兵の給与すら把握できてねぇじゃねぇか? ああっ?」

「そ、そ、それはどういうことですかな?」

「門番と城壁を守る正規兵は何人いる?」

「た、確か50人ほどかと」

「ちげぇよ、馬鹿。68人だよ。ったく、兵の数すら把握できてねぇのかよ」

「も、申し訳ございません……」

「その上官がな、68人分の給与を半分抜いてたのは知ってたか?」

「へっ?! 初耳ですが……」

「灯台下暗しとはこの事だよ。獅子身中の虫に気が付かないとはねぇ……これのどこが優秀な宰相なんだか」


 宰相は驚いていた。心の底から驚いていた。ロザリアの変貌もさることながら、正規兵に不正があったことを、いつの間に見抜いたのか。しかもこの世間知らずのお姫様が。


「も、申し訳ありません。……これからは気を付けます!」

「うん、それでいいのよ。精進なさい」


 エリシュは、いつものロザリアの口調でニッコリと笑いながら爽やかな声で言った。


「ああ、それから……その部下の金を横領してた上官は処罰不要よ」

「ど、どうしてでしょうか?」

「私なりに始末をつけておいたからね。心配無用ですわ、宰相」


 エリシュの小悪魔的な笑いに、宰相もレームリアも不思議な感覚に囚われていた。元々外見は傾国の美女と称されるほどの容姿。それがドスの利いた声で、鋭い意見を放ってくる。王族の機嫌を損なうことは、それだけで不敬罪である。恐ろしいことだ。しかし、ロザリアのその優美な外見と荒々しい態度のギャップが、今は何とも言えない魅力を醸し出していた。


「では、政治の概況を話してくださいます?」

「はいっ!」


 それから1時間余。宰相は、洗いざらい国の現状を話す羽目になった。エリシュはエリシュで、改めてこの国の苦しさを理解することになった。自分が想像していたよりも、財政は苦しかったのだ。これでは王女を身売りしてでも、何とかしようと思ってしまう国王の気持ちもわからなくはなかった。しかし、それも根本的な解決にはならないだろう。


 加えて、軍事的にも危うい状況になっていた。東に位置するライツ国が、今にも攻入ろうとしていたのだ。その理由はわからないと宰相は言う。


「ふーん……なるほど、よくわかったわ。ありがとう」

「い、いえ。何なりとお申し付けください」


 宰相の態度は180度転換していた。王族は無能で、自分がいなければ何もできないと思い込み、たかを括っていた。ましてやロザリアが政治に口を出し、反抗してくるなど、想像すらしていなかったのである。完全に不意打ちを喰らい、度肝を抜かれていた。


「それで、エスーニャ、クレリアの動向はどうなっているのかしら?」

「動向? あの……他の国がどうかしましたか?」


 このロキシア国は、東にライツ、西にエスーニャという豊かな国に挟まれている。そして、南にはクレリアという巨大宗教国家が位置している。そして北にはノースランドという強大な軍事国家がある。しかし、北側には6000メートル級の険しい山脈が連なっている。これが天然の長城となり、北からの軍事的脅威は封じ込められている。そして今回、ロザリアが婿を取る国は、南のクレリア国からである。


「私はライツがこの国を狙う理由を聞いているのよ?」

「は? ……仰っている意味がわかりませんが」


 宰相もレームリアも目をパチクりさせている。何も考えていない顔だ。


「あのねぇ……この状況でどうしてわからないのかしら?」

「は、はぁ、私には何が何やら……」

「ロキシアがクレリアと政略結婚で繋がる。でも実質はクレリアに併合されるも同然。そうなったら、ちょうど真ん中にあるロキシアをエスーニャとの交易路にしていた、ライツが困るでしょ。だったら政略結婚が成る前に、ライツはロキシアを何とかしようとするんじゃないかしらね」

「……な、なるほど。まさかそんな理由だったとは」

「でもまだ攻め込んで来ていない。これは一体どうしてかしらね?」


 腕組みして考えていたレームリアが、ぼそりと呟いた


「クレリアもライツの動きに勘付いて、睨みを利かせているから……でしょうか?」

「さすが軍師ね。たぶんそうね。ロキシア侵略を狙ってライツがここへ攻め込んだとしましょう。するとクレリアがライツに攻め込むでしょうね。そしてその隙を狙って、エスーニャがクレリアに攻め込むわ。逆にエスーニャがロキシアに攻め込めば、クレリアがエスーニャに攻め込み、その隙を狙ってライツがクレリアに攻め込むでしょうね。つまり、エスーニャ、ライツ、クレリアはロキシアを囲んでの三竦(さんすく)みの状態って訳」

「……な、なるほど。ロザリア王女、まさかそこまで深慮されていたとは。先ほどの発言、大変失礼いたしました。心より謝罪申し上げます」


 あのプライドの高い宰相が、自分の人生そのものである政治分野で、人に頭を下げている。これまでなら、あり得ない光景であった。国王との議論でさえ、政治や財政の話になると、宰相の独壇場だったのだ。それが、まったく見向きもしていなかったロザリアから見事に分析されてしまった。宰相も己の思い上がりを恥じていた。


「宰相、ちょっと面白いことになって来たかもね」

「面白いこと? はて……」


 エリシュはこの三竦(さんすく)みの状況を上手く利用し、ロキシアを何とか富める国にできないか。そう思案していた。


「まぁ、ちょっと考えてみるわ。その時は貴男も協力してね」


 エリシュは艶やかな表情で2人に微笑みかけた。本来持つロザリア、いやエリシュの美貌と相まって、知的で優美、ミステリアスなロザリア像が、レームリアと宰相の中に作り上げられていた。2人ともエリシュの話を聞いているうちに、いつの間にか惹きこまれていた。


 エリシュとメイが去った後も、宰相とレームリアは茫然と立ち尽くしていた。


「宰相様、私は夢でも見ているのでしょうか?」

「いや、レームリア……夢ではない。あのロザリア王女が、とんでもな才女だったのだよ。これまで儂は王族を単なる飾り、象徴としか思っていなかった。だが、それは間違いだったようだ……」

「しかし、あのおてんば姫様が、まさかこのような鋭く知的な見解をお持ちとは」

「ああ、正直度肝を抜かれた。だが自分を否定されても気分が悪くないのだ。むしろあの御方に忠誠を誓いたいと思ってしまうのだ……」

「宰相様、私も同じ気持ちです」


 元々ロザリアは、ロキシアどころか大陸一と言われるほどの”傾国の美女”である。ただ、見た目に反して、子供っぽくワガママで自分勝手な所が災いしていた。まったくもって王女っぽく見えなかったのである。


 王族としての風格や威圧感、荘厳さ、カリスマ性と言ったものが皆無だった。それゆえ、レームリアも宰相も心の底では”親の七光り、ただのお飾り娘”くらいにしか思っていなかった。


 だが、政治に顔を突っ込み、宰相の不始末を指摘し、軍事バランスにさえ鋭く言及してきたのである。しかもあの怒った時の”威圧感”である。その上で、改めて容姿端麗な彼女を考えると、もはや立派なロキシア女王の風格さえ感じるのである。


 もちろん、真実はエリシュが怒りに任せて、考えていた事をぶちまけただけである。しかし、ロザリアの容貌と権力を持ってすれば、それさえも臣下を惹きつけるカリスマ的な振る舞いになっていたのである。


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