第1話 思い付きの脱走計画
ゆるりゆるりと新作書下ろしです。お付き合い頂ければ嬉しいです。
「嫌よ! イヤって言ったら絶対イヤなの!」
ロキシア国の王女、ロザリアは全精力を傾けて駄々をこねていた。ベッドの上に寝転がり、手足をバタバタと動かし、体全体で見事な拒絶を表現していた。
「どうして顔も見たことがない、話をしたこともない、趣味や性格も知らない男と結婚しなくちゃいけないのよ! 婆や、あなたはおかしいと思わないの?」
「ロザリア様、これもすべてお国のためです、我慢なさってくださいな」
ベッドの傍に座り、妙齢の王女の面倒をみているのは、白髪交じりの疲れた顔の夫人である。”婆や”とは呼ばれているが、王女の乳母であり育ての親である。
「何よ! 婆やは私が不幸になってもいいって言うの?!」
「滅相もございません。婆やはロザリア様が小さい頃から、ずっとお傍に仕えているではありませんか。自分の孫や娘のように幸せになって頂きたいと思っていますよ」
「それならどうして……。私は政治の道具なんかじゃない。婆やからもお父様に強く言ってちょうだい!」
「婆やは国王様に意見なんてできませんよ。そんなに結婚がお嫌ですか?」
「当たり前よ、どこの馬の骨とも知らない男なんかと……」
「お相手は大層裕福な貴族で、爽やかで優しい好青年とお聞きしていますよ」
「冗談じゃないわ。私は自分で結婚相手を選びたいの! 婆やまでそんな事を言うなんて……。もう誰も信用できない」
「婆やを困らせないでくださいませ」
「ふん、もう知らないっ!」
勝気で我がまま、夢見がちで言いたい放題のロザリアは、布団を被りふてくされて寝てしまった。
王女を無事に結婚させ、国を安定させる事が、乳母である自分に課せられた使命。きつく国王からも頼まれていた。
婆やは思案していた。列強の王侯貴族が羨望の眼差しを向ける美しい容姿、社交界のマナーや礼儀作法も完璧にこなすロザリア王女を、どうやって目的の結婚まで導いたらいいのだろうか。王女は一度言い出したら聞かない性格である。下手に説き伏せようとすれば、逆効果となる。
しかし、この結婚が政略結婚であることもまた明らかである。政治のための結婚で、天真爛漫なロザリア王女が幸せになれるとは思えない。自分の意思で選んだ男でないと、到底納得はしないだろう。
政略結婚で、地位や安全が保障されたとしても、冷え切った夫婦生活が待っている。その上、国を司る王妃ともなれば、滅多に城から出ることができない”籠の鳥”だ。まだ遊び盛りの若い彼女にとっては、監獄にも等しい。それを思うと、彼女が不憫でならなかった。
婆やは、ふて寝している王女に向かってため息まじり呟いた。
「でもね……ロキシア家の存続のため、国民のためには仕方がない事なんです。ロザリア様、どうかご辛抱ください」
ロザリアは激しく憤っていた。初めて父を心から憎んだ。怒りのあまり周りの者を殴りつけてやろうかと思った。見ず知らずの男と結婚なんて冗談じゃない。父や宰相たちは、国のためとか家のためとか言うけれど、結局は人質だ。
大国の有力貴族を夫として迎えれば、この弱小国ロキシアの実権は、他国に握られてしまう。形の上ではロキシア家は守られるが、中身はすべて売り渡すも同然だ。
ロキシアが、弱小貧乏国家なのは重々わかっている。だからといって、保身のためだけに他国の貴族に媚びへつらうなんて、納得がいかない。それに結婚相手は恋愛して自分で選びたい。身分や見た目なんて関係ない。自分が納得して好きになった相手と結婚したい。ロザリアにとって、これだけは何としても譲れなかった。
「……はぁ、気分が悪いわ」
ゴロリとベッドの上で寝返りをうち、婆やに向かって呟く。
婆やは焦っていた。婚礼の初顔合わせまで1週間しかない。それまでにこの勝気で頑固なお姫様の機嫌を直しておかないと、大変なことになる。もし、初顔合わせの場を欠席でもしたら、破談になってしまう。何とかして、このおてんばの気を紛らわせなければならない。
「ところでロザリア様、最近は天候も良く、城外の庭園には名物の秋桜がたくさん咲いているそうですよ。どうですか、久しぶりに外遊などは」
「秋桜? 外遊? ……今さらもういいわ」
ロザリアは、どうしてこんな絶望的な気分の中で、花など眺めなければならないのかと思った。自分はこれから監獄同然の城内で、見知らぬ男と人質生活なのだ。外出しても外への憧れが強くなって、気持ちが滅入るばかりではないか。そう思って布団を頭から被り直した。
その時、耳元で悪魔が囁いた。
――― 城外へ逃げ出すチャンスかもしれない。
小さい頃から城内での生活が多かったロザリアに、街の知り合いなど居ない。たとえ城外へ逃げ出せたとしても、行く当てはない。しかし、1つだけ頼りがあった。婆やの実家である。数年前、お忍びで遊びに行ったことがある。そこには婆やの妹夫婦が住んでいた。人の良さそうな夫婦で、大層自分のことを気に入ってくれた。だから、事情を話せばしばらく匿ってもらえるだろう。
自分が行方不明になれば、縁談もなくなる。ほとぼりが冷めた頃に出て行けばいいのだ。山賊に誘拐され、ずっと幽閉されていたとでもウソをつけばいい。婆やも妹夫婦も、自分にはしたがってくれるはずだ。だから口裏を合わせてくれるに違いない。
ロザリアの頭の中は、直ぐに悪だくみで一杯になった。国の事情は理解できるが、もっと誇り高く自由に生きる手段もあるはずだ。貧乏でもいいじゃないか、高潔ならば。
ロザリアは自分の都合のいいように、考えをまとめた。もっともらしい理由を付けてはいるが、要するに城から出て、自由にやってみたいだけである。それがどんなに大変なことかもわからないところが、お姫様育ちといえばそれまでである。そう、彼女は絵に描いたような、”世間知らずで理想だけは高いお姫様”だった。
今やロザリアは、脱走することしか考えられなくなっていた。
「では、外遊は取りやめますね。秋桜、綺麗だと伺ったんですけどね、残念です……」
「婆や、今のはなしよ。やっぱり外遊に出ましょう」
「おお、では早速支度をいたします。しばらくお待ちくださいね」
婆やは安堵していた。ロザリアは頑固だが気分屋でもある。外に出て、普段とは違うものに触れれば心も変わる。少しでも落ち着いてくれれば、渋々ながらも来週の初顔合わせに出席してくれるだろう。初顔合わせに出席し、一目この王女の容姿端麗な姿を見れば、どんな男であろうと心惹かれること間違いなしである。そこから先は、放って置いても話が進む。
「ちょっと待って。今日は自分で馬に乗りたいわ。ドレスじゃなくて動きやすいパンツでお願いね」
ロザリアは乗馬を嗜む。王侯貴族の令嬢としては珍しくない趣味だが、活発な彼女にとって馬に乗って風を感じることは、幼い頃からの唯一のストレス解消法と言ってもよかった。城の閉塞した空気も、馬に乗っている時だけは忘れることができるのだ。家庭教師からの小言もない、父や宰相の愚痴も聞かずに済む。
彼女にとって、馬と接している時ほど清々しく自由になれる時間はなかった。だから乗馬の時間だけは、積極的に多く取れるよう昔から工夫してきた。成績優秀でマナーや礼儀作法を真面目にこなしているのも、すべては乗馬の時間を長く取るためだ。くだらない形式的な教養で、自由時間を奪われるのは、我慢ならなかった。
馬ならば誰にも負けない。城の兵士はもちろん、並の騎士なら自分には追いつけないと思っていた。彼女は馬に関しては相当な自信家だった。外遊の最中、理由をつけて少し姿をくらまし、その隙に全力で走れば、お付きの者を振切ることができる。
「ロザリア様、今日は騎士たちが生憎と出払っております。お付きは兵士達と私だけでお許しくださいませ」
婆やは申し訳なさそうに言った。
婚礼を控えた大事な身の王女である。本来なら、外遊には数多くの騎士達が護衛に就くはずだ。だが貧乏国家のロキシアには、多くの騎士を抱える余裕がない。いつもギリギリの数しか確保することができないのだ。
国王が公務へ出かければ、騎士達は大半が駆り出され、城はほとんど空っぽになってしまう。せいぜい城門を護る兵士と、城内を巡回する兵士が残されるだけだ。それほどまでに、ロキシアの財政はひっ迫しているのである。
今日、国王はロザリア王女の婚約者の屋敷へ出向いている。婚礼の挨拶のためだ。仮にも一国の王が、一貴族の屋敷へ挨拶に詣でる。これだけを見ても、ロキシア国の立場の弱さがわかるだろう。そんなこんなで、ロザリアにとって今日は最高の脱走チャンスだった。
「問題ないわ。私の乗馬に勝てる相手なんていないもの。相手が手練れの騎士でも、逃げ切ってみせるわ」
「はいはい、ロザリア様の乗馬の腕前は、この婆やがよく知っておりますよ」
外遊と言っても数時間ほど馬で歩き、夕方までには戻って来られる程度のものだ。散歩に毛が生えたようなものと言ってもいい。場所も城から近い上に、治安も良い。大きなトラブルが起きることは考えられない。婆やとしても、安心してロザリアの気晴らしができると思っていた。
程なくして、ロザリアの着替えも終わり、お付きの兵士達も揃った。と言っても4名だけだ。これ以上連れ出してしまうと、城の守りが手薄になってしまう。ロキシア城は、いちおう城ではあるが、今なら盗賊団程度に襲れても、乗っ取られてしまうかもしれない。それほどまでに兵士も少ないのだ。
ロザリアは心の中でほくそ笑んでいた。
(いつもは騎士が20人くらい付くのに、今日は兵士が4人ね。こんなチャンス、滅多にないわ!)
そこに思わぬ邪魔が入った。ロキシア国で、逸材と言われている宰相である。弱気で優柔不断なロキシア王が、未だに王でいられるのは、彼の力によるところが大きい。
だが、いくら彼1人が優秀でも、王が腑抜けで国全体が覇気を失い、財政も大きく傾ているのでは再建もままならない。そういう状況の中でも、彼は希望を失わず、王家のため国民のために、日々寝る間を惜しんで働いていた。あまりの苛烈な働きぶりに、”不夜城宰相”というあだ名さえつけられていた。
それだけに、ロザリアが最も苦手としている人物である。自分を政略結婚の道具に使おうと国王に進言したのも、この宰相ではないかと疑っていた。
「王女様、今は大事な時です、お止めください。外遊ならば初顔合わせの後でもできるではありませんか!」
宰相は強い口調でロザリアをたしなめた。普通に進言しても、この頑固なお姫様は話を聞かない。だから、最初から怒りを込めて威圧するように話す事にしていた。
「う、うるさいわね! 私に指図する気? 少し散歩するだけなんだから許してよ!」
「生憎と本日は騎士が出払っております。どうかお考え直しください!」
ロザリアはまたか、と思った。この宰相は嫌いだ。やる事なす事すべてに口を差し挟んでくる。優秀な人材か何か知らないが、自由を奪う者は彼女にとって敵でしかなかった。
「じゃあ騎士の数を増やせばいいじゃない。優秀な宰相なら、簡単な事でしょ?」
「そっ、それは……わが国の財政が許しません」
「じゃあ財政再建すればいいじゃない。誰かさんが……」
宰相は下を向いて唇を噛んでいた。口惜しさも募るが、言い返せない自分の不甲斐なさにも怒りを覚えていた。本当なら”お前の父親が不出来なのを俺が庇ってやってるんだぞ!”と愚痴の一つもぶちまけたいところだ。だが先祖代々、ロキシア王家に仕え、自分も現国王に取り立ててもらった身だ。王族へ無礼を働くことはできない。
それに、自分がちゃぶ台をひっくり返すような事をすれば、本当にこの国は滅んでしまう。他国に攻め込まれれば、国民は奴隷となり、多くの者が不幸になる。貧乏ではあるが、自分はこの国を愛している。何としても支えなければと思っていた。
「ロザリア様、さすがに言い過ぎですよ」
「でも婆や、私は今外出したいのよ。だから……」
「宰相様、外遊と言っても行き先は城が管理している花畑です。数時間でお戻りになられる予定です。ロザリア様も乗馬の腕は確かですから、問題ないと思います。どうかお許しください」
「わかりました。そこまで言うなら許可しましょう。ですが、本当に数時間だけですよ」
「やったぁー! ありがとう」
ロザリアはジャンプしてガッツポーズを取っていた。およそレディの礼儀作法からはかけ離れた言動だが、ロザリアの本性はこっちだ。世間知らずの自己中おてんば娘が、美しく優雅なプリンセスの皮を被っているに過ぎない。
出がけにひと悶着あったが、こうしてロザリアは、脱走への一歩を踏み出すことができた。