File No.1 荒野をゆく! オカマでも何とでも呼ぶがいい
コンプライアンス何それっていうオジサンたちをみたことがあるでしょう。
そんな昔ながらの「サラリーマン」が我が物顔でのし歩く街が、まだ東京には残っています。
人形町とか新橋とかかな? 新宿と池袋はまたちょっと違うかな(異論はともかく)。
TVの街頭インタビューでおなじみ、SL広場のある「新橋」。
場違いの「美少女」が降り立ちます。
このお話は、そこから始まります。
新橋、午後7時前。
JRの駅を出ると、銀鼠色のサムライたちが群れをつくって盛り場に繰り出していくのが見える。
仕事を定時で上がった者たちは早くも飲み屋の一角に陣取り、思い思いの酒を手にしている。
いくらか残業をしていた人たちは、負けてはいられないと目当ての店へと急いでいる。
(お仕事は終わっても、飲みにいくのもなんかキリキリしてるんだよねー)
「香純」が雑踏のなかを歩いていく。
めざす方向は決まっているのだけれど、気ままにふらついているようでもある。
白のトップスにレディースのブルゾン、膝丈のデニムスカートという姿だ。
身長は160台のなかばだろうか、すらりとしているのでもう少し高くみえる。
すれ違いかけた男が、思わず二度見した。
香純の横顔がどこか硬質な美しさをたたえているのに驚いたようだ。
その一方「なんだ、オカマちゃんか」という聞きあきたセリフを残していく男もいる。
(失敬な、まあオカマちゃんでもいいけどさ)
「香純」という男女両方で通用しそうな名前を持たされた少年、いや青年といっていい年齢だろうか、女子またはオカマ扱いされることに慣れているようだ。
(そうさーオトコはー孤独なームラビトお)
どこかで聞いたような歌を替え歌にして、小さく口ずさんだ。
歌は、どこかの店先から流れていた「The Entertainer」につられて上書きされた。
ひとりの黒人が西洋式の音楽を学び、そこで自分なりのメロディーを展開させていった過程が目に見えるような、ラグタイムの名曲。
香純はそんなことは知らない。
小さなバンでやってくるパン屋さんのテーマソングかなと思っている。
(たら、たらったらーん、たたん)
口ずさみながら、細長い雑居ビルの狭いらせん階段を上っていく。
4階に、香純が雇われマスターをしているバー『綺羅』がある。
「おいーっす」
扉を開けると、明梨が先に来ていた。
2週間前からお試しのバイトで入っていて、カウンターの中で開店の準備をしている。
「かすみちゃん、見た目はクールビューティーなんですから、それはちょっと……」
「ごめんごめん、先に支度してもらって。つまみのお菓子を買ってたんだー」
肩にかけていたバッグパックからどさどさと駄菓子の大袋を出す。
(もう、やることが大雑把っていうか、男子? あっ、そうだった)
明梨は生物学的に女子で、いわゆる純女である。ややこしい。
「それはそうと」
(ああ、何をいわれるんだろう)
「アカリちゃん、あたしのことはママさんって呼んでね」
(えええ)
「えーっと、わたしはかすみちゃんにいろいろ教わってるし、立派なマスターだと思うんですが」
「ウム」
「でもお世辞じゃなくカワイイんで、お客さんにもかすみちゃん呼びでウケてるのではないかと」
持ち上げて懐柔する、明梨なりのせいいっぱいである。
「苦しゅうない、アカリちゃんとはタメのお友だちでいいんだけど」
(何者だよアンタ)
「リーマンの街、新橋の隠れ家バー、ミステリアスなママさん、カンペキじゃん」
(うーん、それはどうか……)
開店してしばらくは、香純と明梨の二人きりとなる。
香純は軽口も一段落したようで、なまけていたメイクの追加だ。
唇にグロスを塗り、アイラインを整えている。
明梨は、見るともなくときどき視界に入る香純の姿に、ひそかに感嘆している。
(元がいいってことなのかな、敗北感をもつのもおこがましい)
明梨は自分のことを(美女とまではいかないけど、悪くはない)と思っていた。
香純の容姿は嫉妬するのもばからしくなる次元で、純粋に愛でたくなってしまうのだ。
(ヤバいよヤバいよ…そんなつもりはないんだけどな、腐女子っていうかレズなのか…あれ、フツーにノーマルといえなくもないんじゃない?)
明梨の錯乱はもちろん、口には出せない。
けれど、聞いたところで香純は「どっちでもいーじゃん」と言うにちがいない。
明梨は、2時間前の静けさが恋しいと思う。
「あーはっは! 第六天魔王かすみ見参! 伊達、土方、供をせよ」
香純が片足でカウンター内のダストボックスを踏んで立っている。
ロックバンドのボーカルがモニターアンプに足を乗せて歌うポーズだ。
(ミステリアスなママさんじゃなかったのお)
時空を超え、伊達政宗や土方歳三を従えているようだ。
明梨はもうすべてを諦めたという表情で、ハイボールを作るしかなかった。
常連客の多くは香純のファンだ。
『新橋の喧騒から逃れて孤独にグラスを傾ける』というオールドファッションな人々もいる。
香純のファンも基本的には同じだったはずなのだが、『暴虐の美少女』に蹂躙されることで癒されるのだと覚醒したらしい。
「アカリちゃん、こっち来て」
上機嫌の香純が明梨を呼んだ。
「わたしなんかいいんですけど、別に」
「アカリ様か! この子はねー、先月から来たんだけど、背が高いでしょ。
オトコのあたしより高くてビビったんだけど、いい子なんだー。
あんたら迷える羊をあまねく照らすアカリちゃんだよ!」
(灯台にされてしまった)
明梨はチカラなく笑う。
常連客たちは小声で話し合う。
(かすみちゃんって性自認オトコだったのか)
(その場まかせの力技に一票)
(美しければそれでいいに1000ポイント)
(単位くらい合わせろや)
男たちの反応に明梨はあきれた。
(そっちですか! 小声でヒソヒソ話さないでほしいんですけど
……それにしてもこの空気どこかで、ああそうか、ネットの掲示板、Xのリプと同じなんだ)
閉店の時間が来た。
明梨がそう告げると、男たちは素早くおカネを払ってハケていく。
店側が引き止めることはなく、男たちがもっと飲ませろと迫ることもない。
この店の空気がどこか清潔な理由の一つだ。
香純がそうしろと強制したわけではないが、自然とそうなった。
オタクな男たちは、この場所を大切に思ってくれているのだろう。
暴れっぷりが嘘のように律儀にお客を送り出した香純は、洗面所から出てこない。
(吐いちゃった? ほうっておくしかないけど……あれでも無理してはしゃいでたのかな)
やがて出てきた香純は、メイクをしていた時の静かな表情とはまた違ってむっつりしている。
「アカリちゃん、悪いけどこぶ茶」
明梨は、店内を片づけながら話しかける。
「ママさん、無理して飲むことないんじゃないですか? そういうお店じゃなかったような」
「はは……この世はさ、すべてショービジネスだっていうじゃない」
香純の口調はゆったりと柔らかく、魔王が降臨していた時とは別人のようだ。
「うちの店はそれほどのもんじゃないけど、来てくれたお客さんには楽しんでもらいたいし、あたしもムリはしてない、楽しいんだ」
(……やだ、かっこいい? ズルいひとだなあ)
扉を閉め、明梨が先になって階段を降りていく。
「おつかれさま、まだ電車はあるよね」
「大丈夫です、おつかれさまでした」
反対側に歩いていく香純の後ろ姿を、明梨は少しだけ見送った。
香純が頭をぽりぽりとかく仕草をしているのが見える。
「わたしが教えてあげたほうがいいのかな、もっといい女になれるように」
明梨の倒錯の日々は始まったばかりである(主人公ではない)。
香純「主人公はあたしだねー、アカリちゃんとは恋に落ちない(んじゃないかな)」
明梨「『暴虐の美少女』さん、わたしの性癖をどうしちゃってくれるんですか」
明日はどこへ。




