鏡の中のズレた影
ダンススタジオの床は、冷たく、硬く、森の土とはまるで違う。
猿吉は、初めての場所に立っていた。
壁一面の鏡が、無情に自分を映し出す。
尻尾が、緊張でぴくりと動く。
周りには、四人の男。
ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン。
彼らの名前を、猿吉はまだうまく覚えきれていない。
でも、ブルーノが『彼らが俺達のダンスを支えてくれてる』と言っていたから、大事な人たちだということだけはわかる。
リーダーのジャッキーが、穏やかに声をかける。
「猿吉君だよね? ブルーノから話は聞いているよ。新メンバーとしてよろしくね」
「はい、よろしくだッキ!」
猿吉は、元気よく返事をする。
声が、少し上ずる。
ジャッキーは微笑んで続ける。
「それじゃあ、まぁ、最初は見て覚えようか? 俺達はもうダンスの振り付けを完成させてるから、皆で合わせて踊るよ。猿吉君は俺達の踊りを見て真似してよ」
「わかったッキ! 僕、頑張るッキ!」
録音された音楽が、スタジオに流れる。
聞いたことのない曲。
でも、心地良い。
肩が、自然と揺れる。
体が、勝手に動き始める。
これは、ブルーノの新曲なのかな?
猿吉は、そう思う。
四人の動きが、揃う。
鋭く、滑らかに、力強く。
何がすごいのか、猿吉にはわからない。
言葉にできない。
ただ『格好いいダンス』。
それが、精一杯の表現だった。
ライブの最前列で、無数の人の中で踊っていた自分とは違う。
ここには、誰もいない。
ただ、四人の完璧な動きだけがある。
猿吉は、その凄さに、息を飲む。
胸の奥で、何かが小さく震える。
自分は、無意識に踊っていたらしい。
でも、あれは人ごみの中で、音楽に紛れて揺れていただけ。
今、ここで、鏡に映る四人の姿は、違う。
洗練され、計算され、息がぴたりと合っている。
猿吉の体は、ただ、勝手に揺れるだけだ。
曲が終わる。
静寂が、スタジオに落ちる。
ジャッキーが、猿吉に視線を向ける。
「じゃあ、今の僕達のダンスと同じように踊ってみて」
「……えっ?」
不安が、胸に生まれる。
ぽつりと、冷たいものが落ちるように。
でも、その不安をどう解消すればいいのか、わからない。
今の自分の感情が、何なのかさえ、わからない。
何を聞けばいいのか。
誰に、どう言えばいいのか。
猿吉は、ただ立ち尽くす。
四人の視線が、優しく、しかし重く、自分に注がれる。
スタジオの鏡に映る自分の姿が、急に小さく見えた。
尻尾が、力なく垂れる。
ここは、森ではない。
音楽は、心地良いのに、胸の奥が少し、痛む。




