真っ白い棺の中で、私は貴女と夢を見る.4
朝日はいつも、現実を連れてこの瞳を痛めつける。
そのために太陽の光を嫌うようになった同胞たちが、この世に一体どれだけいるのだろうかなんて考えながら、私は鳥居の下、憎たらしい日輪を睨みつけた。
家になんて戻りたくなかった。だけど、これ以上、御白に迷惑はかけられない。御白を想うのであれば、私は私にできることをしなくては。
(行かなくちゃ)
御白を振り返り、できるだけ元気な自分に見えるようにと、偽りと共に微笑んでみせる。
「御白さん、ありがとうございます。ちょっとだけ、元気出ました」
曇った御白の顔が明るくなればと思ってのことだったが、むしろ彼女は痛々しいものを見るように眉をひそめ、私を見つめたまま黙り込んでしまった。
「御白さん」思いのほか声が深刻になる。「私、本当に御白さんに感謝してます。今の私にとって、貴方だけが…私の生きる意味になっています」
大げさに聞こえただろうか?
子どもの言うことだと呆れられただろうか?
いや…御白はそんな人ではない。今まで同様きちんと私の心に耳を傾けてくれただろう。
「時雨」
御白がすぐそばまでやって来て、私の名前を呼んだ。また触れてほしいと思う距離だったが、珍しく彼女が逡巡していたので、不思議に思って私も口を閉ざす。
やがて御白は、何かを諦めたみたいなため息を吐いてから、自分がはめていた耳飾りの一つを外し、私に差し出した。
「…これを」
「え、いいんですか?」
御白からのプレゼントだ。嬉しくないはずがない。ただ、それを受け取ってから、奇妙なことに気がついた。
「これ…どうやってつけるんですか?」
耳にホールドするような仕組みが見当たらない。ピアス…でもないし…。
御白は私の疑問に対し、「必要な時がくれば教えるわ」とだけ告げた。
疑問は残ったが、私は一先ず家に帰ることにした。大西の家名を気にする叔父叔母が怒り狂う前に…いや、もう遅いかもしれないが。
桑葉神社を出て、桑林を抜け、斜面を下る。
すぐに大西家が見えてきた。
玄関のところには何人かの老人と叔父、叔母、順蔵が集まっていた。
もしかして私の心配を…という馬鹿みたいな考えは、いち早く私に気づいた順蔵の怒鳴り声で霧散する。
「時雨っ!」
一同の視線が自分に集まる。そこには、気遣いの欠片もなかった。
思わず身が竦んで動けずにいる私の元にドスドスと駆け寄ってきた順蔵は、衆目も関係なく私の腕を思い切り引っ張った。腕が抜けるのではという衝撃に足がもつれ、私はそのまま斜面を転がり落ちた。
草土の臭いが舞い上がる中、痛みに歯を食いしばって身を起こす。
(ちゃんと支えもしないくせにっ…!)
せっかく御白が綺麗にしてくれたのに、また汚れたことが腹立たしい。
「お前、どれだけ人に迷惑かけたと思ってんだよ!」
私を追いかけて斜面を下ってきた順蔵が、蹲るこの身の上から偉そうに唾を飛ばす。理不尽な扱いを赦すこの世の中を蹴りつけたくなったが、ぐっとこらえて、口を開く。
「…ごめんなさい」
「あ?」
自分で決めたことだった。
「ごめんなさい」
御白に心配をかけないために、私が出来ることをすると。
「お前、ちゃんと謝れよ、ばかがっ!」
これは、好きな人を想えば、耐えられる屈辱だ。
「申し訳ございません」
私を大事にしてくれる人が一人でもいることに比べれば、些細なことなのだ。
こらえていれば、また御白に会える。
それだけで、私は十分だ。
玄関先に集まっていた一同を、ちらりと見やる。助けを期待したわけじゃない。ただ、どういう感情でいられるのかと不思議に思った。
彼らの多くが目を逸らすか、面倒そうな顔をするかといった様子だった。
(これなら、他人のほうがまだ優しい)
皮肉に口元を歪めていると、それを不快に思った順蔵が私を蹴りつけた。さすがに叔父が叱りつけたが、止めたりはしない。
「あ?なんだよ、それ」
何かを見つけた順蔵の視線を追えば、いつの間にか、御白から貰った耳飾りが泥の上に落ちていた。
これを取り上げられたりしたらたまらないと、必死に手を伸ばすも、順蔵が先にそれを拾い上げてしまう。
「時雨お前、なんだ、この耳飾り!」
「返してっ!大事なものなのっ!」
思わず怒鳴り返せば、順蔵は顔を真っ赤にして怒り出した。
「お前、男のところに行ったんだなっ!」
ぎらり、と順蔵の瞳の内側で狂暴な感情が渦巻くのを見た私は、また蹴られると思って身を丸めたのだが、それより先に思わぬところから、思わぬ声が発せられ、私たちは動きを止めた。
「お、御白様の耳飾り!」
聞き覚えのある名前を耳にして、顔を上げ、その発信源を探す。
それは一人の老人だった。彼は顔を恐怖で歪め、順蔵の持つ耳飾りを指差していた。
「御白様…?」と怪訝そうにする順蔵とは打って変わって、老人たちは全員漏れなく不安げにざわついていた。
「だから言ったんだ」
「桑葉神社に入り浸っとる時点で、なぜ注意しなかったのよ」
「どうなっても知らんぞ、大西さん」
老人たちが口々にぼやき、震え上がる様子を不気味に思いつつ、私は土を払いながら立ち上がり尋ねる。
「どうして、御白さんの名前…」
私の口から御白の名前が出た瞬間、抱いていた不安が形を帯びて彼らの前に現れたみたいに老人たちは悲鳴を上げ、私を指差した。
「あの子は、御白様に見初められたんだ!」
月明りが参道を照らす道を進み、鳥居が見える位置まで到着すれば、バツの悪い顔をしてこちらを見下ろす御白を見つけられた。
「こんばんは、御白さん」
つい嬉しくて声が高くなる。
「こんばんは、時雨」一方の御白は少し声が低い。「もう、来てしまったの?」
やはり、どうやってか御白は私の動向を窺い知ることができるらしい。だから私がすでに、御白が――いや、御白様がどういったものか知ったことも把握している。
「色々と考えていたら、すぐに会いたくなったんです」
御白のすぐ目の前に立って、真っすぐに彼女を見つめれば、まるでそれが眩しいとでも言わんばかりに目を逸らされた。
「なんで教えてくれなかったんですか?」
「何のことかしら」
とぼけて社のほうに去ろうとする御白の手を素早く掴む。
「ツガイのことですよ」
「…」
反動で振り返った御白は、一瞬私と目が合ったが何も言わなかった。
「ツガイになる相手って、人間のことなんですよね?」
私はただならぬ雰囲気に困惑していた順蔵から耳飾りを奪い返すと、そのまま納戸にこもり、借りてきていた『御白様伝承』に飛びついた。
養蚕が盛んだったこの桑葉村では、今の桑葉神社がある辺りの桑林に養蚕で出るゴミをまとめて捨てていたそうだが、いつからか、光の帯のようなものが村で度々目撃されるようになり、それを見た村人が次々と原因不明の病に倒れる事態が発生したらしい。
その光の帯が桑林から現れ、桑林に消えていたことから、土地神を怒らせたせいだと考えた村人はすぐに供養塔を建て、桑葉神社も建立した。貢物も供えた。だが、それでも光の帯は消えなかった。
それが消えたのは、『御白様に出会った』と口走った子どもが、見たこともない絹の装飾品を家に持ち帰った数日後、神隠しに遭ったようにいなくなってからだった。
以降、光の帯が出現した時は、子どもを贄として差し出したそうだが、その子の業が深いと、酷く疫病が流行ってから帯が消える時代もあったそうだ。
荒唐無稽な話だが、老人たちは本当の話だと感じていた様子だし、私が御白の名前を口にしたことで、叔父も叔母も、順蔵ですらも話を信じてしまったようだった。
私はその伝承を読んだとき、酷く幸せな気持ちになった。
どういう形であれ、御白は私を選んだのだ。
――…私が記憶した伝承の内容を語れば、御白は肩を竦めてため息を吐いた。
「時雨…貴方、何をそんなに嬉しそうに話しているの?」
「え、嬉しいですもん」
「話の意味をちゃんと理解したの?貴方、贄に選ばれたっていう話なのよ?」
「はぁ」
曖昧な相槌に対し、御白がじろりと視線を向けてくる。どうやら、少し怒っている様子だった。
「貴方、自分がどうなるか分かっているの?」
「いえ…私、どうなるんですか?」
平気な顔で尋ねてくる私を見て、御白は覚悟を決めたように向き直ると説明を始めた。
「貴方が私を受け入れるのであれば、私は貴女を伴って常世へと移るための…ツガイの儀式の準備に入るわ。…時雨とね、一緒の繭で眠るの。時間の感覚も溶けていくような微睡みに、貴女と」
「一緒の繭…」
「そう。その後はね、正直言うと…眠りから覚められない子のほうが多いわ」
「死んでしまうってことですか?」と私が問えば、「似たようなものね」と御白は寂しそうに微笑んだ。
なるほど、だから御白は乗り気ではないのかもしれない。.
「眠りから覚められたら、どうなるんです?」
「そのときは、半分こちら側の存在となって、常世で暮らすことになるわ」
「半妖?」
「あら、よく知っているわね」
呆れたふうに笑う御白はやっぱり素敵だ。
その微笑みを見て、私は改めて彼女のことが好きだと実感していたのだが、御白のほうはシリアスな面持ちに戻ってしまう。
「今なら、まだ引き返せるわ」
御白の口調があまりに深刻だったから、逆に私はおかしくなって、吹き出してしまった。
「あはは、あは!」
久しぶりに大声を出して笑った。もしもこの声を村の老人たちが聞いていたら、戦々恐々としていたかもしれない。
「時雨、何を笑っているの。私は真剣に言っているのよ」
「あぁ、ごめんなさい。御白さん。それは分かっています。でも…引き返せるって、それ、どこにですか?」
御白のいないどこかに?
父も母もいない、あのカビ臭い納戸で、私をまともな人間扱いもしない連中のところに?
ナンセンスだ。悪いがそれなら文字通り、死んだほうがマシである。
それだけで私の言いたいところを理解したらしい御白は、一瞬、深い悲しみをその瞳に宿らせたが、ややあって、諦めたふうなため息と共に私の身を抱き寄せた。
ふわりと香る。酷く甘い草花の匂い。脳髄が痺れそうだ。
「…貴女がそれでいいなら。私はもう止めないわ」
「はい…ありがとう、ございます。私、幸せですよ」
お互いの存在を確かめ合うような抱擁の後、身を離した御白は社に行く前に一ついいかしら、と私を、夜の村を見やった。
何を言い出すのかと身構えていると、御白は、「何か現世で思い残すことはない?」と尋ねてきた。そして続けて、叶えられる範囲なら望みを叶えてあげる…なんて、お伽噺じみたことを言ってきた。
「えぇ、例えば?」とふざけて聞き返すと、御白は美しい赤の三日月を口元に浮かべて、「今までの子たちは、自分を捨てた者たちの不幸を願ったわ」と嬉しそうに言った。それで私は、あぁ、なるほどと合点がいった。
業が深い子どもが生贄になると、疫病が酷く流行る…。因果応報、こういう仕掛けか。
「特にないですね」
これから御白とココを離れるのだ。ココに置いていく者のことなんて、今さらどうでもいい。
御白は一瞬だけ目を丸くすると、満足そうに微笑んで、私の額に口づけを落としてくれた。
夜が最も更けた頃、私は、御白が作り出した真っ白い棺の中に彼女と共に横たわった。
シルクの繭に包まれているのにこういうのも妙だが、一糸まとわぬ姿だった。現世のものは何も持ち込んではいけないらしい。川で体を洗ってもらったときとは違い、たいして恥ずかしくなかった。むしろ、着物を脱いだ御白のほうが顔を赤らめて恥ずかしそうである。
「…御白さん、顔真っ赤ですよ」
悪戯っぽく私がそう言えば、御白はあどけなく唇を尖らせる。
「時雨と私とでは体の造りが違うでしょう。だから、気になるのよ」
「乙女みたいですね」
「あら、そうよ。乙女よ。悪い?」
じろりと間近で睨んでくる御白が愛おしくて、私は思わず彼女に抱きついていた。
御白の体から伝わってくる、人間よりも冷たくて、でも温かい体温。それだけで、これから自分が死ぬかどうかなんて、ますます気にならなくなってくる。
「御白さん」
彼女の胸元に顔を埋めたまま、下から彼女を見つめる。
「私、幸せですからね」
御白は静かに頷くと、「ありがとう」と微笑んだ。そして、私の額に口づけを落とすと、いつの間にか手にしていた耳飾りを私の耳にそっと近づけた。
次の瞬間、耳飾りの先についていた絹糸の塊がほろりとほどけた。かと思えば、一本、一本が意志を持っているかのように鋭く、私の左耳の耳朶を貫いた。
「…っ」
鮮烈な痛みだ。ドロリとした血が流れ出ているのを感じる。
声が漏れそうになるのをぐっとこらえ、じわりと涙を浮かべた私を、至近距離から御白が見つめていた。
息を呑む美しさだった。面立ちだけじゃない。彼女がどう思われるかと不安げだった人外の体つきも、私にとっては魅力的なものに見えた。
それほどまでに御白は完成されていた。
私にとって、彼女は神様だ。
「時雨」
色んなことを、ゆっくりと思い出していた。
御白の声が、世界が遠く聞こえるほどに。
――そうして、私という船は記憶の川へ漕ぎ出す。
両親が死んだと理解したときは、『どうして私だけ置いていったの』と寂しく思っていた。
でも、今考えると、置いていってくれてよかったと思う。そうでなければ、彼女にこの身を捧げることはできなかっただろう。
「時雨」
思うに幸せとは、たった一人でも、自分のことを真剣に考えてくれる存在と出会えることだ。
そうではない人生は虚しい。新月の夜を街灯や月明かりもなく歩くに等しく。
「どうか、必ず目を覚まして…。お願いよ」
いつか、どこかで、同じような声を聞いた気がする。視界の隅でちらついていた、白い影も…。
私を孤独から救ってくれた誰かのように、私もまた、いつか誰かの孤独を救おう。
「…やくそく、ですね」
ぼんやりと、私は誰かと約束した。
いつか来る目覚めの日を、共に迎えるのだろう誰かに向けて、私は力いっぱい微笑んだ。
これにて、【真っ白い棺の中で、私は貴女と夢を見る】は完結です。
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