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真っ白い棺の中で、私は貴女と夢を見る  作者: null


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3/4

真っ白い棺の中で、私は貴女と夢を見る.3

 季節が夏に移り変わるにつれて、私は御白に色んなことを話すようになった。


 両親が事故でいないこと、親戚は自分を邪魔者扱いしていること、その影響で村八分にされていること…。


 御白はただ聴くだけだった。受容したうえで、「何か出来ることがあれば言いなさい」としか言わない。その距離感が私には何よりも心地いい。


 その日も暑い一日だった。雑用を昼前に済ませた私は、納戸にはクーラーなんてないからこもっていられず外に出た。


 いくら桑葉村の標高が高く、平地に比べたら涼しい気候だとはいえ、熱気は容赦なく私の世界を炙る。


 それでも、御白は涼しい顔をしていた。神社への参道がある石階段に腰かけ、両手に持ったアイスの棒を赤い舌で舐めている様は不覚にもいやらしさを覚える。


 「御白さん、こんにちは」


 「こんにちは」御白が微笑みながら、片手に持ったアイスを私に差し出してくる。「そろそろ来る頃だと思っていたわ。はい、時雨の分」


 「あ、どうも」


 こういうとき、どうやって手に入れたかは尋ねないことにしている。どうせ聞いたって仕組みは分からない。


 私も御白の隣に腰を下ろし、アイスを咥えた。


 「美味しいです」


 「それなら嬉しいわ。貴方のために持ってきたんだもの」


 「私のために?」


 「ええ。私は人間と違って栄養を摂る必要もないから、口寂しいときだけ食べているの」


 微笑む御白。この人はどうしてこんなにも美しい姿をしていて、鮮やかな音色で言葉を紡ぐのだろう?


 そんなことを無自覚に考えていた自分が恥ずかしくなった私は、できるだけ自然に話題を変えようと努めた。


 「御白さんは、口寂しいときはいつも何を食べてるんですか?」


 「知りたい?」


 「…まあ」


 悪戯っぽい微笑みと共に細められた宵闇と満月の瞳。初めはおっかなびっくりだったこの瞳も、今では御白だけが持つ宝石みたく見えるから、慣れというのは不思議である。


 「アレ」と彼女が指差したのは桑の木だ。


 「桑の葉ですか?」


 「そうよ」


 「ということは、やっぱり御白さんって、蚕蛾の妖怪なんですか?」


 「さぁ、知らないけれど、そうなんじゃないかしら」


 「知らないって…自分のことなのに」


 奔放で、ありのままを生きている御白のことを理解できない日もある。悪い意味じゃない。どちらかというと憧憬すら覚える。


 でも、真っすぐに感情を表現できない私は、多少呆れた感じでそう御白に言った。すると彼女はふっととびきり大人びた表情をして私の頭を優しく撫でた。


 「あら、それなら貴方たち人間は自分が何者か説明できるのかしら?」


 自己存在の問い――人間が長い歴史の中でひたすら繰り返している命題を皮肉ったのだ。


 「できませんね。きっと誰にも」


 「そうでしょう?貴方たちと同じで、私も気づいたらそこにいたのよ」


 話の流れが変わっても、御白はしきりに私の頭を撫でていた。夏なのにひんやりとして固い手のひらは、彼女を人外の存在と訴えかけてくるようだったが、その優しい手つきに内心で耽溺していた私は、それを払うような真似はしなかった。


 こんなふうに誰かと安心できる時間を過ごせるのは、一体いつぶりだろう。


 『幸せ』の文字が脳裏をよぎるほどに綺麗な時の流れ。それはいつの間にか、私をただの少女に戻していたのだ。


 この時間を失いたくない。


 全てを失った私がもう一度手にした気でいる、私の居場所。


 「御白さんって、いつまでここにいられるんですか」


 しん、と水を打つような暗い声に我ながらハッとする。彼女の優しさに甘えているのだ。


 「珍しいわね、そんなことを聞くなんて」


 「答えたくないなら、やっぱりいいです」


 言葉にできない何かが怖くて、そっと逃げようとした。でも、御白が逃げ道を塞ぐみたいに私の体を左手で抱いた。


 「そう怖がることはないわ。まだしばらく、こちらにいなくてはいけないでしょうから」


 「…しばらくって、いつまでです」


 まただ。また甘えた。


 「見つかるまで」


 思わず、顔を上げた。御白の声が珍しく真剣そのものという感じだったから。


 「何を?」と私が彼女を間近で問うと、中空の月の如き瞳をそっと閉じて、御白は囁き答える。


 「ツガイよ」


 

 


 『蚕蛾は成虫になって以降、食事を摂らず、一匹のツガイとたった一度の交尾をして子孫を作ることに余生を費やす』。


 私は市民センター内の小さな図書館から借りてきた専門書の一文を指でなぞると、頬杖を突いたまま深いため息を吐いた。


 「…蚕蛾、だもんね…」


 あのとき、ツガイ、と御白は呟いた。それ以上は何も教えてくれなかったが、彼女は子孫を残すためにそれを探しているのだろう。


 「妖怪のくせに」


 悪態を吐いてしまった自分を情けなく思った私は、顔を小さな丸テーブルの上に突っ伏す。


 形容し難い感情がぐるぐる頭の中を回遊している。何という名前なのかも分からずにいるそれは、水槽のガラスに何度も頭をぶつける魚みたいにあちこちで暴れていた。


 いつか、御白はいなくなる。


 今すぐではなくとも、いつかは、誰かと、どこかに。


 そのとき、私はまた独りに戻るのだろうと思うと寒気がした。それが孤独感や寂しさだと気付いたとき、自分の中で御白がどれほど大事な存在になりつつあるのかを理解した。


 (御白さんがいないと…もうダメだ、私…)


 一度手に入れたものを失うのは、最初から何も得られないことよりも辛い。


 冷たい喪失の経験は私にそれを嫌というほど教え込んでいたから、体が小刻みに震え出すのを止められなかった。


 私が、あの芋虫だったらよかったのに。


 そんな詮無いことを考えて、自らの体を両手で抱いたそのとき、納戸の扉がノックされた。


 「おい、時雨」


 嫌いな順蔵の声。舌打ちするのをぐっと我慢しているうちに、勝手に扉が開かれた。


 「いるなら返事くらいしろよ。常識だろ」


 だったら勝手に入ってくるなよ、常識だろ、と頭の中だけで言い返す。それを口にしても、私が馬鹿を見るだけなのも分かっていた。


 こいつがどれだけ私を嘲笑おうが、貝のように口をつぐんできた。だから今日も、そうするつもりだった。


 でも、そうもいかなくなった。


 私の大事なものを嗤ったから。


 「お前、最近桑葉神社に行ってるって本当かよ」


 「…たまに」


 「なんでだよ。村のジジババどもが良い顔してねぇぞ」


 「控えます」


 「控えますじゃねえだろ、お前。馬鹿だな。…って、なんだよ、その本の山」


 順蔵が部屋の隅の本を指差す。そこには、御白のことを少しでも知りたいと思って借りてきた専門書が数冊積み重なっていた。


 『蚕蛾と人類の歴史』『蛾の生態』『絹の道』『御白様伝承』…。


 「少し、調べもの」


 必要最低限の言葉で返せば、本の背表紙を覗き見た順蔵が顔を歪めて、「調べものって、虫かよ、気持ち悪ぃ」と吐き捨てた。


 路傍に吐き捨てられた痰のような男のくせに、と彼を一瞥すれば、その視線に気づいたようで、「何だよ」と低い声で応じてきた。


 これで怖がらせようとしているのだろうか。死に損なった私が、いないもののように扱われる私が、そんなものを恐れると本気で?


 私は苛立ちと見下しの感情を織り込んで、初めて順蔵に悪態をぶつけた。


 「貴方が私に向けてくる視線のほうが気持ち悪いけど」


 数秒後、私は思い切り蹴りつけられて、床に打ち倒されていた。


 小学生みたいなレベルの低い罵声、繰り返される足蹴り、夕食の食べかすで臭う汚い息が、この棺の中に充満しそうだったが、どうにかそれよりも先に怒鳴り声に驚いた叔父と叔母がやって来て、彼を止めた。


 呼吸をする隙間を見つけた私は、すぐに納戸を飛び出して家の外に出た。


 体の痛みに耐え、口の端や鼻から垂れる自分の血を拭うこともせず、一目散に向かったのはもちろん御白のところ。


 すでに日は沈んでいた。空の果てだけが紫に燃えている。


 「時雨」


 桑葉神社に着くと、鳥居の下で御白が両手を広げて待っていた。御白はまた不思議な力で事態を把握していたのだろう。


 「御白さん、御白さん!」


 白い着物が私の血で汚れることも気にせず、彼女の腕の中に飛び込む。


 「あぁ、かわいそうに。どうして人間はいつもこう暴力的なの」


 「人間なんて最低だ」私は御白の言葉が耳に入ることなく、早口でまくし立てる。「みんな自分勝手。あいつらも、お父さんたちも、みんな最低だ!」


 渦を巻く感情が私の口から呪詛となって飛び出して行く。あの事故以降、口にしたことのなかった家族への恨み言は自分のモノではないようだった。


 感情をぶちまけている間御白は私の背中を規則的に叩き、あやしてくれていた。


 ある程度泣いて落ち着いた私が身を離せば、自分の血で汚れてしまった御白の着物が最初に目に入った。申し訳なく思った私が沈鬱な表情で謝罪すると、御白はなんてことない、という感じで、「曼殊沙華のワンポイントね」なんて笑った。その言葉が胸の中で響いたとき、何の抵抗もなく、『私はこの人が好きなんだ』と認めることができた。


 今夜は家に帰りたくない、と私が意志を示せば、御白は一日であれば神社に泊まるといい、と優しく接してくれた。


 それから御白は、私が眠りに就くまでずっと一緒に過ごしてくれた。


 夏の熱気で汗をかいた体を清めるべく川で水浴びしたときは、どこから持ってきたのか分からないシルクの布地で私の体を拭いてくれた。裸を見られるのは恥ずかしかったが、それ以上に、痣だらけのこの体を見た御白が何も言わずにいてくれたことの嬉しさのほうが強かった。「綺麗な黒髪ね」と髪を拭いてくれたときには、思わず調子に乗って、「御白さんの白い髪のほうが、素敵です」なんて言ってしまった。


 神社の本殿の床には、肌触りの良い敷布団が敷かれていた。横たわり、目を閉じれば、暴力的な叔父や従兄の忌々しい顔と声が蘇りそうだったが、御白が添い寝しながら昔話を私が眠るまでしてくれたおかげで安らかだった。


 雲の切れ間から差す月光を頼りにして夜の闇にぼうっと浮かぶ、御白の瞳。


 キスしたくなった。


 彼女の満月に。

次回の土曜日の更新で完結となります。

ご覧頂いている方、ありがとうございます。

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