真っ白い棺の中で、私は貴女と夢を見る.2
「…お、おはようございます」
遅れてとはいえ、律儀に挨拶を返してしまった自分を不思議に思いながら、目の前の相手について分析を始める。
(…なに、このお姉さん。何かのコスプレ?目はカラコンで、触角みたいなアレはアクセサリー?ってか、なんでここでコスプレ…?撮影?)
もしかしたら、取材している人とか、カメラマンとかがいるかもしれないと考えた私は、キョロキョロと辺りを見回した。だが、どこにも人の気配はない。
そうしているうちに、女性がこちらに向けて手招きしてきた。
「おいで、おいで」
愉快そうに微笑んでいる様子からして、地元の子どもを驚かせて楽しんでいるのかもしれない。私は警戒心をいくらか残したまま、彼女の指示に従って近くまで寄った。
「あら、ちょっと呼ばれたからって、知らない人のところに来ちゃ駄目よ」
「はぁ」
貴女が呼んだんでしょう、という言葉は飲み込んで、先程よりも近い位置から彼女を観察する。
触覚はとても作り物とは思えないし、よくよく見ると、着物の裾から出ている手は少し角ばっている感じがして、これも人間のものとは思えなかった。
(この人、人間じゃないかも)
そんな馬鹿な考えがよぎったのは、決してこの女性の容姿によるものだけではなかった。
匂いが違ったのだ。人間の嫌な生臭さがしない。
とても甘い香りがした。草花の類に非常に近いが、香水ではない。自然そのものの芳香だった。
とはいえ、どれだけ感覚が私にそう語りかけて来ようとも、理性がそう結論づけることを拒んだ。
(バカバカしい。人間じゃないなら、なに。妖怪?)
心の中だけで鼻を鳴らしてから、私はゆっくりと口を開く。
「この村の人じゃ、ないですよね」
桑葉村は小さな集落だ。こんな美女なら、知られていないはずがない。
私は勘付かれない程度にまた彼女の容姿を観察する。
一点の曇りなく染められた白い髪とまつ毛は、太陽の光をどれだけでも反射してしまいそうだ。瞳も白目の部分が黒くなっていて、黒い部分が金色であること以外は丸々としていて万人受けしそうな感じだ。上品に弧を描く赤い唇も魅力的だった。
だから、よその人だと思った。しかし、彼女の口から出た返答は予想とは違った。
「いいえ、この土地の者よ。ずうっと昔からね」
「え…そ、そうですか」
ずうっと昔から。
私はその表現に違和感を覚える。彼女はどう見てもまだ二十代半ばくらいだ。
「あの、お名前は?」
「相手に名前を尋ねるときは、まずは自分が名乗るのがマナーよ?」
「…それもそうですね。私は、大西時雨といいます。大西家の者です」
「時雨…そう、時雨。古めかしいけれど、良い名前」
そう微笑んだ女性はトントン、と自分の隣の縁側を叩いてみせた。
「ねえ、時雨。私も自己紹介するから、ここに座って?」
少し逡巡したが、断る理由もないから黙ってそれに従った。
「私は御白」
「おしら?」
珍しい名前だったから、思わず聞き返してしまう。
「ええ、そう。御白。みんな、オシラサマって呼ぶわ」
私はそれを聞いて、思わず呆れたような笑いを漏らしてしまった。
「オシラサマって…どっかの神様みたいじゃないですか」
「ふふっ」
御白は小さく笑った。彼女の気位の高さを思わせる微笑を見ていると、不思議な感覚が胸を揺さぶったが、その正体は分からない。
「嫌よね、私はそんなものじゃないのに。でも、私を知る人間はみんなそう呼ぶのよ」
でも、誰もそんな人の名前を呼んでいるところ、見たことない。
私は疑問を深め、口を開いた。
「あの、御白さん」
「まあ、新鮮な呼び方」
ころころと楽しそうに笑う御白を無視して、そのまま続ける。
「御白さん、本当にこの村の人ですか?私、十年くらい前からここに住んでますけど、御白さんのこと知りません」
「嘘は吐いていないわ。それに、私は貴女を見たことあるのよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。以前にも、ここで」
「あ、そうですか…」
釈然としないが、御白も詳しく説明するつもりはなさそうだった。質問を変えるべきだろう。
「…それで、どうして御白さんはそんな格好をしているんですか?撮影?」
「ん?どういうことかしら?」
「いや、だって…その触角とか、目とか、何かのコスプレでしょ?まさか本物とか言いませんよね」
「あぁ、なるほど」
得心した様子で繰り返し頷いた数秒後、不意に御白が私の手を取った。
「あ、ちょっと…」
彼女の手に導かれて、私は御白の触角みたいな部分に触れる。
「え」
思わず、驚きの声が漏れた。
ざらりとした手触りにも驚いたが、それ以上に、まるでこの触角が御白の体の一部であるかのような一体感があることに驚いた。
(と、取れない)
少し力を入れて引っ張っても、御白の頭から離れない。
「時雨。そう乱暴に引っ張らないで頂戴。人間の力とはいえ、あまり愉快なものではないわ」
「す、すみません」
「いいのよ」と穏やかに笑う御白。とても綺麗だった。「でも、これで分かったでしょう?作り物じゃないわ」
「は、はい。え?でも、だったら、御白さんって…何者ですか」
「私?」
すうっと不敵に細められる宵と満月の瞳。それが放つ眼差しに射抜かれた瞬間、私の背筋はぞくりと悪寒が走り、粟立ったのだが、同時に得も言われぬ昂揚感も覚えていた。
この人は、私の中の何かを変えてくれる気がする。
根拠なんてなかった。…だけどきっと、御白のまとう浮世離れした雰囲気が、私にそう考えさせたんだと思う。
御白は、左手で私の手を握ったまま、私の頭に右手を伸ばして…そして、そっと壊れ物を扱うみたいに触れてから、こう告げた。
「私はね…貴方たちの言葉で言うところの、妖怪よ」
結論から言えば御白は確かに、この世の者ではなかった。本人曰く、蚕蛾の妖怪らしい。
触角は飾り物なんかじゃなかったし、間近で見てみると、髪だって人間に比べて異様に細かく枝分かれした毛の塊であった。
これが陽の光を浴びるとキラキラ輝いてみせるので、もしやこれが光の帯の正体ではないかと御白に事情を説明してみたところ、私の予測は的中していた。いわゆる鱗粉というものらしい。鱗粉は粉のことだとばかり思っていたが、薄く短い毛だと聞かされて仰天した。
私は御白と初めて出会って以降、何度も足しげく彼女の元に通った。
御白は正体不明の怪物だったが、決して私に害を成そうとすることはなかった。血縁という名ばかりの縁でつながった、あの人たちと違って。
家や学校で過ごす時間よりもずっと、御白という怪物と一緒にいる時間のほうが安心した。私を疎ましく思う叔母や、機嫌が悪いと暴力を振るってくる叔父、気持ちの悪い視線を送ってくる順蔵たちとの時間に比べればずっと。
私が御白と会えるのは、仕事が早く終わったときだけだったが、事情を聞いた御白は、不思議な力で私に押しつけられた雑事の処理を手伝ってくれることもあった。
桑の枯葉の山なんてものは、きらめく風で彼方に飛んで行ったし、畑の水やりも御白が呼ぶ風に乗ってきた暗雲が代わりにやってくれた。
御白は私にたくさんのことを教えてくれた。
歴史の教科書なんかで学ぶ、ずっと昔にあったこと。
風の読み方、花の名前、絹糸の編み方。
私は御白から、十年以上の時をかけて風化しつつあった『優しさ』や『慈しみ』といったものを少しずつ思い出すことができた。それに包まれることの充実感、安心感もだ。
その日も、家事を終えた私は御白の元を訪れていた。
御白が境内の隅にしゃがみ込んでじっと何かを見つめていたので、私は背中から声をかけようとした。だが、私が声を発する直前に彼女のほうが地面を見つめたまま口を開いた。
「もう陽が沈むわね、時雨」
後ろにでも目がついているのかと不思議に思いながら、『妖怪だから?』とか適当なことを考え、私も返事をする。
「はい。もう五時過ぎですもんね。…何を見てるんですか?」
「ん」
振り返った御白が手のひらをこちらに向ける。その上に乗ったものを見て、私は反射的に顔をしかめた。
「芋虫、ですか」
「芋虫とひとくくりにされるのは心外ね。蚕よ、蚕」
「蚕」本で得た知識からその言葉を引きずり出す。「たしか、絹糸を吐き出す芋虫ですよね」
結局は『芋虫』という言葉に行き着いたからか、御白は苦笑しながら、「まあ、そうね」と肩を竦めた。
白磁器みたいな御白の手のひらの上でもぞもぞと蠢く蚕は、一生懸命に桑の葉を食んでいた。
見慣れると、可愛いと言えなくもない動きだ。ゴキブリや蜘蛛のような予測不能の超機動昆虫と比べれば特に。
私がそれを口にすると、御白は少し嬉しそうに笑った。
「そうね、蚕は人間が家畜化した生き物みたいなものなのだから、可愛がってくれないと困るわ」
「家畜化?」
「ええ」
御白は金黒の瞳を細めると、美しいアクセントで人と蚕の歴史を説明してくれた。どれも面白かったが、とりわけ、絹を数多く欲する人間たちの手で、逃げたりしないよう、翅があっても飛べないような生き物に品種改良された話は興味深かった。
「昔のこの国には、何十万軒も蚕で仕事をしている家があったのだけれど…今ではそれも珍しいものになってしまったわ」
御白は物悲しそうな、あるいは、過去を懐かしむような瞳で桑葉神社の向こう側を指差してから、「百年近く前はあそこも、あそこも、養蚕農家だったのよ」と教えてくれた。
当たり前のように御白が百年以上生きていることには驚かされたが、私はそれよりも、自分の境遇と、人間の業とも言うべき行いによって飛べなくなった蚕の境遇を重ねてセンチメンタルな気分になっていた。
「自分で自分の行き場所も決められないなんて、なんだか哀れですね…」
「…そうね」
御白は蚕からどうやって絹糸を取り出すかも教えてくれた。
蚕にたくさん桑の葉を食べさせて、立派な繭を作ってその内側に閉じこもったら、そのまま茹で上げてしまうらしい。
都合よく生み出されて、都合よく利用されて最期はポイ。一生懸命自分が死ぬための棺桶を作っているあたりなんて、哀れを通り越して滑稽だ。
「でもね、時雨。悲しいことだけではないのよ」
「どういう意味ですか?」
「蚕はね、人間との共生を果たすことで、この星で最も個体数の多い蛾の一つになることができたそうよ。クワコが絶滅するようなことがあっても、きっと蚕は滅びないわね」
「そんなの、人間の言い分ですよね」
「それも確かね。ただ、感謝の気持ちを忘れない人間もいることも事実よ。敷地の中にきちんと供養塔を用意しているところも少なくないもの」
段々とこちらをあやすような口調になってきているのが不満で、私は口を尖らせた。
「詭弁ですよ。死んだら、意味ないじゃないですか」
じろり、と御白を睨みつける。困ったように御白が微笑んだのを見たとき、私の胸の中でごうっと炎が上がった。
「死んだら、何もできない。気持ちなんてあって、どうするんですか?意味ないですよ。生きているほうにとっても、死んでいるほうにとっても」
言い切ってから、ハッとする。こちらの事情を知らない御白にぶつけても意味のある話題ではなかった。困らせるだけだ。
だが、御白が浮かべていた苦しげな微笑は、まるで全てを知っているかのようだった。
いや、違う。知っていたのだ。
「それは蚕の話?それとも、貴方と貴方の両親の話?」
そうでなければ、こんなことは言えない。
私は真実を見抜いているような御白の美しい眼差しを本能的に恐れ、一歩後ずさった。
どうやって知ったのかは分からない。妖怪だから?それとも、風の噂?
「……」
私は何も言えなかった。自分の内側の話を誰かとする経験なんて今までになかったから、どうするべきかも分からなかったのである。
やがて、御白はそんな私の心を窺い知るかのように微笑んだ。
「時雨。私は人間ではないわ」
今さら疑ってもいないことをどうしてわざわざ…と不思議に思う私に、御白はこう続ける。
「だから、現世のしがらみなんて私は気にしないわ。話したいこと、納得できないこと、不思議に思うことがあれば口になさい」
貴方がそうしたいと思ったら、と締めくくった御白はそれ以上何も言わなかった。その流れる風のような在り方を、優しさを、私は強さだと思った。
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