第2話 ヤンデレ幼なじみはヒロインを逃さない
アレク・イヴァエールはごく普通の少年だった。スパダリチートには程遠く、運動よりも本を読む方が好きな大人しい少年だった。
【王宮ラビリンス】においては、実は隠しキャラで…なんて事もなく、名前はおろか存在すらしない。そもそも、本来の【王宮ラビリンス】の世界線ではヒロインと仲のいい幼なじみ、なんてものは存在しない。
では、なぜ今のスパダリチートなヤンデレへと成長したのか。それは、一言で言えばヒロインが転生者だった事によって起きたバタフライエフェクトのせいである。
ルミナが前世の記憶を思い出したのは16歳になってからだが、それ以前から前世の影響はあった。大人びた言動をとる事があったり、子供が知らない様な知識を持っていたり、時には大人顔負けの発想をしたり…。前世の記憶を全て取り戻すには至らないまでも、ふとした瞬間に前世で学んだ知識やらが掘り起こされていた。ルミナ自身、なぜ自分がこんな事を知っているのか不思議に思っていた。
前世の影響はそれだけではない。本来の〈ルミナ〉と今のルミナでは性格も微妙に違っていた。
例えば、虐められている子がいたとする。割って入るのはどちらのルミナも同じだが、〈ルミナ〉の方は言葉での解決を試みるのに対し、ルミナはやられたらやり返すの精神を持っていて、まぁつまりいじめっ子が手を出してきたら殴り返す位のお転婆だった。それで何度も男の子相手に喧嘩をした事か。
この様に〈ルミナ〉との違いがあった。まさかそれにより、存在しない筈だったスパダリチートヤンデレ幼なじみを生み出してしまうとは…誰が予測出来ただろうか。
大人しい少年だったアレクは格好のいじめの対象でもあった。同年代の男の子にからかわれる事が度々あった。そんな中、ルミナが助けてくれた。
10年前、6歳の時。読んでいた本をいじめっ子に奪われ、返してもらう為に奮闘していたアレクをルミナが助けた。男の子相手でも怯まず叱りつけ、反抗されれば反抗し返す。そんな彼女をアレクはカッコイイと思った。
「はい、これ!」
「あ、ありがとう…」
そしてボロボロになりながらも本を取り返してくれた彼女はアレクにとって憧れの存在になった。
___そう、始めはただの憧れだった。彼女の様に強くなりたくて、村に唯一ある剣術道場に通い始め、身体を鍛えだした。
先の一件がきっかけで、ルミナとも良く話すようになった。お転婆な所があって時々気も強いけど、明るくて優しい、可愛い、伝承に残る聖女の様な女の子。いつしかアレクは彼女の隣に立つに相応しい人間になりたい、彼女を守りたいと思うようになった。それが恋と呼ばれるものだと直ぐに気付いた。
それからは、彼女に相応しい人間になる為にもっと努力した。剣術だけじゃない、彼女を守る為には魔法も必要だ。彼は魔法の修行も始めた。彼女は時々大人びた言動をとったり、凄い知識を披露したりする。そんな彼女に相応しい人間になるには知識も必要だ。彼は勉学にも精を出した。彼女に選んで貰える様な男になるにはそれだけでは足りない。もっと完壁な男になろうと料理や裁縫など家事全般も学んだ。
村にやってくる冒険者や商人達から色々な話を聞いて世情も随時頭に入れた。冒険者や商人の中には他国から来る人もいて、他国の情報も得た。
___全てはルミナに相応しい男になる為。辛い修行も勉強も、彼女の顔を見るだけで乗りこられた。どんなに疲れていても彼女と話すだけで癒された。
そうして努力して努力して努力して___憧れから始まった恋は、いつしか歪んだ愛へと変貌していた。スパダリチートヤンデレの誕生である。
それから月日が経ち、とうとう運命の日、ルミナの16歳の誕生日。
アレクはこの日の為に沢山の準備をした。1年前から知り合いの商人に手紙を送って良質な食材が届く様に根回しをし、1ヶ月間試行錯誤を繰り返し最高のケーキのレシピを完成させ、それをお祝いのケーキとして最上級の食材を使って作った。ルミナの成人の儀が終わったら直ぐに誕生日パーティーを開くつもりだった。
だが、その儀式で思わぬ事が判明した。ルミナは聖女だったのである。そして彼女はその力を生かすため王宮へと赴く事が決まってしまった。その話を聞いてアレクが抱いた感情は怒りだった。
___ふざけるな。ルミナが聖女?僕はとっくの昔から彼女を聖女だと思っていたし、崇めていた。今更気付いた連中が、僕を差し置いて彼女を手に入れる?
そんな事、許さない。彼女は僕の、僕だけの___。
アレクはパーティーの準備を止め、追跡魔法でルミナの居場所を突き止めた。彼女を拐って閉じ込める為に。
王宮になんて行かせない。ずうっと僕の所で、聖女の使命どころか現世の事も忘れるくらい、身も心も甘やかして、ドロドロに溶かして、僕の事しか考えられない様にしてやる…。一生僕のそばに居る、それが彼女にとっても幸せな筈だ。
アレクは睡眠効果のある魔法薬を用意した。伝承によると聖女には強い状態異常魔法の耐性があるので、睡眠魔法より薬の方が効果的と考えた。
音もなく彼女に近付き、薬を嗅がせ、眠った所を拐う___つもりだったのだが。
「はぁー…王宮なんて行きたくない」
不意に、ルミナがそんな事を呟いたので彼の動きは止まる。
ルミナは王宮に行きたくない?なら___
アレクは予定を変更して、彼女を連れて国から逃げ出す事にした。故郷も国も彼にとって何の愛着もない場所である。愛するルミナと共に居られるのなら…そして2人だけで過ごせるのなら、国を出て行くことに何の躊躇もない。
アレクはいつも通りの顔でルミナに声を掛けた。座る彼女を下から覗き込む。目を逸らされた事にこの世の終わりかの様な絶望感に包まれたが、どんどん彼女の視線が下に向いていくのを見て、王宮に行くのが嫌で気分が沈んでいるんだと勘違いしたお陰もあり、どうにか心を落ち着かせる事が出来た。
そんなに王宮に行くのが嫌なのか、と問うとルミナは静かに頷いた。アレクは胸に広がる喜びを表に出さない様気を付けながら、彼女に救いの手を差し出す。
「___なら、僕と逃げる?」
アレクは自身の力をアピールし、ルミナを唆す。彼女が彼の手を取る。思わずそのまま抱き締めたくなるのをグッと堪え、アレクは優しく笑った。
「これでブラック企業入りもヤンデレルート入りも回避…!」なんてアレクにとってはよく分からない事を叫びながら喜ぶルミナを見て、彼の口元が歪む。
___あぁ、なんて可愛いんだろう。
彼女は自分一人では国から逃げきれないと思っている。つまり、彼女の逃亡にはアレクの力が必要不可欠、少なくとも彼女自身はそう考えている。
これで、彼女はもう僕から離れられない。これからの生活で、もっともっと僕なしでは生きていけないようにしよう。
___ルミナ。僕だけの、聖女。ずっとずっと、2人で甘い甘い逃亡生活を続けよう。邪魔する奴は僕がちゃんと片付けるから…君は安心して、一生僕の傍にいれば良い。
アレクの想いに気付かず、ルミナはただ原作回避への道に喜んでいた。