~平穏~
― はじめの花は正義の花 ―
透き通った声が響いている。
― 強き心に花開く ―
この声はどこから聞こえて来るのだろうか。
― 刀をもって闇を斬り裂き、―
目の前の教室の扉を開けてみる。が、そこには誰もいない。ここではない。
― ただ真っ直ぐにつき進む ―
上だ。上の階から聞こえてくる。
― やがて大きな闇が行く手を阻み、―
屋上だろうか。そう思いながら階段を登る。筋肉痛の体には絶妙に高いこの段差が辛い。
― 闇に包まれ花は散った ―
階段は声がよく響く。声に包まれているような、脳に直接語りかけてくるような変な感じがする。
― 二番目の花は美人の花 ―
屋上まであと少し。声もだんだん近くなってきた。声の主はやっぱり屋上にいるらしい。
― 気高き心に花開く ―
ようやく階段を登り終え、屋上への扉に手を伸ばす。
― 槍の動きは舞うように流れ、―
扉を開けて左右を見回すと、右の隅の方に声の主が立っている。柵に腕を乗せて景色を眺めながら歌うその姿がとても様になっている。綺麗に編み込んでハーフアップになっている髪が、秋の優しい風になびいている。
― 闇の
「ちょっと。何で屋上なんかにいんのよ。」
「あ、アズサおつかれ〜。随分長かったね。」
さっきまでの透き通った歌声とは全く違う、ふわっとした返事が返ってくる。
「質問に答えなさいよ。」
「質問?」
柵から腕を離してこっちを向く。紺色のブレザーに赤が差し色のチェックのスカート、同柄のリボン。キチンと過ぎず、気崩し過ぎず。相変わらずよく似合っている。
「だぁーかぁーらァー、何であたしを待つのに教室じゃなくて屋上なのかって話。」
「あ〜、何とな〜く屋上に行こっかな〜って。」
「何となくってあんたね、ここまで上がってくんの大変だったんだから。ただでさえ筋肉痛だってのに。」
「あ〜そういえば昨日放課後にグラウンド走らされてたもんね。」
「ったく何で一人で寂しい夕暮れのグラウンドをぐるぐる周回しなきゃなんないのよ。」
「体育の授業ずっとサボってたアズサが悪いんでしょ。今日だってアズサの補習が終わるのずっと待っててあげたんだからね〜。感謝しなさいよ〜。」
いたずらっ子のような目をして顔を近づけてきた。真っ黒な瞳がよくわかる。
榎本心乃花。あたしの良き理解者で、一番の友達。成績優秀で文芸部の部長、おまけに優しくて気さくでいつも笑顔という性格の良さから高校中の人気者。口が悪くてほぼ不良みたいなあたしとは大違い。何でいつも一緒にいるのか不思議なくらいだ。
「別に頼んでない。」
「はいはい、わたしが待ってたかっただけです〜。ほら、帰ろ。」
そう言って心乃花が紺色のスクールバッグを肩にかける。"K"のキーホルダーが、チャリ...と音をたてて揺れる。あたしも同じデザインの"A"のキーホルダーをバッグに着けている。4月に、2年生も同じクラスだった記念、とか言って心乃花が買ってきたものだ。
「あたしバッグ下に置いたままなんだけど。」
「え〜、じゃあ早く取りいかなきゃ。日直の先生回ってきちゃう。」
屋上の扉を開けて、生徒の居なくなった静かな校舎に駆け込む。日の落ちた空は藍色に変わり始めていた。
隣からまたあの歌が聞こえる。静かに、呟くように。
― はじめの花は正義の花 ―
― 強き心に花開く ―
― 刀をもって闇を斬り裂き、―
― ただ真っ直ぐにつき進む ―
― やがて大きな闇が行く手を阻み、―
― 闇に包まれ花は散った ―
― 二番目の
「あんたさ、最近その歌ばっか歌ってるよね。なんか不気味だからやめてくんない?」
「それって故郷の歌ってやつじゃないのか?明日から行くんだろ?ほら、あのー、花ナントカ島。」
「うわ、めんどいのが来た。」
「そんなこと言うなよー、蓼野ー。」
相変わらずの馬鹿力であたしの肩をバシバシと叩いてくる。
沢城勇吾。同じクラスのお調子者男子で、なぜかいつも会話に入ってくる。良い奴というのはわかるのだがなんかノリが嫌い。
「花神島ね〜。」
「そうそうそれそれ!」
心乃花が帰り支度を始めた。あたしも沢城もホームルームで配られたプリントをバッグに放り込む。
「おばあちゃんが腰やっちゃったみたいでさ〜。おじいちゃんだけだと大変そうだから、家族で行こうって話になって。まあでもそんなに長くは学校休めないし、割とすぐに帰って来ると思う。」
心乃花は東京の島、花神島の出身で、中学の時に本土に越してきたらしい。この花神島というのが何とも不思議な島で、季節関係なく一年中色んな花が咲き乱れているのだとか。心乃花の母方のおばあさんが島で花屋を営んでいて、その手伝いに行くとかなんとか言っていた。
「で、その不気味な歌、花神島の歌なわけ?」
「不気味って、そんな不気味かなぁ。よくおばあちゃんが歌ってるのを聞いてたんだよね〜。たぶん数え歌かなんかだと思うけど、わたしも全部は知らないな〜。」
「ふーん。」
「蓼野ー。ちょっとこっち来い。」
クラス担任があたしのことを呼んだ。
「げ。また補習の知らせだ。」
「お前どんだけ課題ためてたんだよ。」
「うるさい。」
「そっかー。榎本が居なくなると寂しくなるなー。」
「だからすぐ戻ってくるって〜。」
補習用の課題で一層重くなったバッグを背負って住宅街を歩く。1年生で心乃花と知り合った時からいつも2人で一緒に帰る道だ。今日は3人だが。
「つか、何であんたもいるわけ?」
「榎本に旅立ちの前の別れの挨拶をと思って。」
「だからすぐ戻ってくるって〜。」
3人の影が並ぶ。あたしの影より心乃花の影の方が少し長い。沢城のくだらない話にちゃんと付き合ってあげる心乃花は心が広いとつくづく思う。沢城にキツめのツッコミを入れつつ、夕暮れの道を進む。会話に夢中になっていると、いつの間にか心乃花の家の前まで来ていた。
「じゃあ、帰ってきたら授業ノート見せてね。」
心乃花がバッグを肩にかけ直す。チャリ...とキーホルダーが音をたてた。
「あたしがちゃんとノートなんてとると思う?」
「真面目に授業受けなさいよ〜。また補習が増えるよ〜。」
すぐ近くの電線にとまっていたカラスが、カァと鳴いて飛び立った。
「お土産楽しみにしてるぞー。」
「あんたそれ伝えたかっただけでしょ。」
「はいはい、わかってる。ちゃんと買ってくるよ。じゃあまたね〜。」
沢城は、おれこっちだからと言ってすぐそこの路地を曲がっていった。心乃花が家に入っていく。それを見届けて、あたしも歩き始める。道端の街頭に一つずつ灯りがつく。いつもと変わらない光景が、妙に脳に焼き付いた。
家に帰って夕飯を済ませ、お風呂に入る。そしていつものようにベッドにもぐる。スマホを開いて動画を見始める。
しばらく動画を見ていたが、ふと思い立って検索サイトを開いた。検索バーに"花神島"と入力する。別に興味があったわけではないが、なんとなく調べてみようと思った。
花神島の"花神"というのは中国の言葉で"花咲爺"のことを指していて、島では年中花が咲き誇っていることから島民は島の神様を、中国の言葉を借りて"花神様"と呼んだ。一年中様々な種類の花が咲き続ける理由は現代の科学をもってしても解明することができず、島全体に何か特別な力がはたらいているのではないかと噂されている。島には5つの神社があり、定期的に大きな祭りのようなものが行われる。島特有の文化があるものの、戦後に日本の領域として指定されるまでの記録は無く、どのように発展していたのかは分からない。ただ、本土と同程度に文化が発展していたことから、何らかの交流が続けられてきたとされている。現在は東京都の島とされ、観光スポットとしても人気が出ているが、まだまだ謎の多い不思議な島である。
「変なとこ。」
それ以上の感想はなかった。特に花や歴史に関心はないので行ってみたいとも思わない。ただ、明日の午後にでも心乃花に連絡して、島の写真でも送ってもらおうかななんて思った。
そんな、夜にふと思い立った程度のことを翌日覚えてるわけもなく、結局心乃花に連絡するのを忘れた。
心乃花が島に帰ってから3日後。信じられないことが起きた。
花神島が消えた。