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金髪の彼女・銀幕の彼女

作者: 西禄屋斗

「あっ――!」


 とりあえず声は上げたものの、実際には助ける暇など一秒もなかった。


 オレはガールフレンドの桃子に請われるまま、避暑地で有名な湖畔までドライブに出掛け、その途中、絶好のロケーションを見つけた。美しい湖を一望できるそこで、桃子にねだられて車を止めたオレ。ところが、はしゃぎすぎた桃子があろうことか目の前の湖に誤って落ちてしまったのだ。


「桃子ッ!」


 オレはすぐさま湖を覗き込んだ。しかし、湖は岸部の近くにもかかわらずいきなり深くなっているのか、水の中に消えた桃子は沈んだまま。代わりに浮かび上がる気泡は、しばらくの間は続いていたが、やがてふつりと途絶えた。


「お、おい……桃子ッ!」


 まさか、溺れちまったのか──と泳げないオレが青くなっていると、唐突に湖面がパーッと光り輝いた。


 非現実的な現象を目の当たりにして、オレは開いた口が塞がらなかった。三メートルほど前方で無数の光の粒子が集まり始め、次第に人の形を作り出す。


「………」


 そこから現れたのは穏やかな表情をした美しい女性だった。不思議なことに、その女性は湖面の上に立つようにして浮かんでいる。神々しさを感じさせるまばゆい後光まで差していた。


 オレは言葉を失ったまま、茫然と湖から現れた女性を見つめた。


 やがて女性は優しい口調でオレに語りかけ始める。


「ここに落ちた女性は、あなたの恋人ですか?」


「はあ」


 尋ねられたオレは、我ながら間の抜けた返事をした。目の前で起きている現象に頭の理解が追いつかないのだから無理もなかろう。


 次の瞬間、女性の隣にもう一人の女性が現れた。迫力のあるバストとヒップに、くびれたウエストの持ち主で、肉感的な魅力を放つ金髪の美女だ。セクシーなミニ丈の赤いドレスを着た彼女はオレにウインクして、投げキスまでしてくる。


「この人がそうですか?」


 隣の女性が尋ねた。


 オレは穴が開くくらい、まじまじと金髪の美女を見つめた。もちろん、桃子とは似ても似つかない。けれども、そのダイナマイト・ボディはオレの煩悩にクリティカルヒットしていた。この金髪の美女がベッドの上で身を横たえ、大きな喘ぎ声を出しながら激しく乱れ悶えるシーンを想像する。うっ、鼻血が出そう……。


 しかし、もう一人のオレが冷静にこの状況を分析していた。これって、どっかで聞いたことがある場面のような……。


 そうだ、思い出した! 幼稚園のころに紙芝居で見た「金の斧・銀の斧」という童話に似ているではないか。


 あれは「イソップ物語」だったか、詳しいあらすじは忘れてしまったけど、確か木こりが川だか泉だかに大事な斧を落としてしまい、そこへ女神だか精霊だったかが現れるんだ。そして、木こりに「お前が落としたのは、この金の斧か、それとも銀の斧か」と問いかける。すると正直者の木こりは「どちらでもありません。私が落としたのは普通の斧です」と答え、女神から元々の斧だけでなく、金と銀の斧も贈られるという話だ。めでたし、めでたし。


 まさにこの状況は「金の斧・銀の斧」にそっくりじゃないか!


 オレはゴクリと唾を飲み込んだ。


 今ここで金髪の美女をオレの恋人だと主張しても、湖の女神は幻滅し、結局、彼女はオレのものにならないだろう。それどころか、湖に落ちた桃子すら戻って来ない可能性もあり得る。


 ここは正直に答えるべきだ。そうとも。あの童話では「正直者が報われる」結末なのだから。


 金髪美女から発せられる濃厚なフェロモンに頭をクラクラさせられながら、オレは必死に煩悩を振り払った。


「い、いいえ……その女性ではありません」


 そう答えると、金髪美女はパッと消えてしまった。代わって、別の美人がさっきと同じように現れる。


 今度は金髪美女とはまったく違うタイプだった。映画なんてアニメくらいしか観ないオレでも知っている超人気の銀幕スターだ。オレに微笑みかける仕種は、まるでこちらが彼女の恋人になったかのような錯覚を抱かせる。


「では、この人ですか?」


 隣の女神がまたしても問うた。


 オレの決心はダルマ落としのように揺らいだ。


 せっかく高い競争率を勝ち抜いて、やっと交際にまで漕ぎ着けることの出来た桃子ではあるが、いざ彼女にしてみるとわがままな性格に振り回されっぱなしで、いささか嫌気が差していたところだ。目の前の銀幕女優の虜になり、男性ファンならば誰もがうらやむ彼女との甘い結婚生活を夢見た。


 ──いやいやいやいやいやっ!


 なっ、何を考えているんだ、オレは! これは巧妙に仕組まれた罠なのだ。ここで屈してはすべてがパー。オレがちゃんと桃子を選べば、童話「金の斧・銀の斧」がそうだったように、ひょっとしたら先程の金髪美女もこのスター女優もオレのものになるかもしれないんだから。見え透いた誘惑なんかに負けるな!


 オレはどうしてもチラつく余計な考えをグッと抑え込んだ。


「ち、違います。ここへ落ちたのはオレの彼女――桃子です!」


 すると女神は優しく微笑んだ。


「分かりました。桃子さんですね。今、返して差し上げましょう。一生、大事にしてあげてください」


 女神はそう言うと、スーッと姿を消した。


 えっ? 帰っちゃうの? 正直に答えたオレに金髪の美女と銀幕女優をくれるんじゃなかったの?


 だが、オレの心の訴えと後悔も虚しく、女神はいなくなってしまった。畜生、こんなことなら途中で金髪美女か銀幕女優を選んでおくんだったか?


 オレが人生の終わりかってくらい落胆していると、湖の水面に再び気泡が浮かんできた。覗き込むと、誰かが浮上してくるような影が確認できる。


 いや、オレには桃子がいるではないか。ちょっとわがままなところはあるけど、桃子だってかなりの美人だ。自慢の彼女がいるというのに、ここでオレが浮気心を起こしちゃいけないな。


 浮かび上がった桃子は咳き込みながら、濡れた腕を伸ばしてきた。オレは滑りそうな手をしっかり掴んで、彼女の身体を陸へと引っ張り上げてやる。


「大丈夫か、桃子?」


 しかし、次の瞬間、オレはその手を思わず振りほどきそうになった。オレが引っ張り上げたのは、見たこともないほど不細工な女だったからだ。


 そいつは助けたオレに感謝するよりも先に悪態をついた。桃子の声で。


「ゲホッ、ゲホッ! もお、最悪! お化粧がみんな落ちちゃうじゃなーい!」


 オレは天を仰いだ。


 ……正直者はバカを見る。


 めでたくなし、めでたくなし。

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