ワン 4
―――…
「ただいまー…」
仕事から解放され、ドアを開けてやっと力が抜ける。力が入っていた個所を手で揉みながらソファへと進む。
ソファの端に鞄を投げ捨て、ドカッと体を沈める。大きくため息を落として、スマートフォンへと目線を移した。
そこには二件のメッセージが表示されていた。
一件目は蒼から。「カレーかシチューかどっちが好き?」と突然すぎて意味わからない内容。二件目は元カレからで「最近どうだ?」といった内容だった。
どちらも緊急性がないため一旦無視する。スマートフォンも投げ捨て、何度か跳ねているのを見ながらソファにうつ伏せになった。
スーツのジャケットもズボンもくしゃくしゃになるかもしれないけど、疲労の方が大きいため休むことを優先していた。
落ち着く。じわじわと体の疲れが癒されていくような感覚がした。
――ピンポン
インターフォンが鳴った。誰だよこんな遅い時間に、と思って聞かなかったことにする。
――ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン
鳴りやまないインターフォン。重い腰を上げて玄関まで行き、ドアを開けると。
「じゃーん! シチューにしました~!!」
バンダナにエプロン、キッチンミトンの先には大きめの鍋を持った蒼がいた。
「……」
「……」
「……は?」
「お疲れのさーやにぴったりの野菜たっぷりシチューだよ」
どういうこと? 私にぴったりって食べろってこと?
いやいや。食べられるわけない。あのカレーかシチューかっていう二択は夕飯ってことかい!
「お断りします」
「……え」
鍋を胸の高さまで上げていたのをだらんと落とす。その落差に、中身が零れそうで冷や冷やした。
蒼の悲しそうな顔。どんどん悲しみが深くなっていくのが目に見えて分かった。
「どうして?」
「もらえないよ」
「さーやが喜ぶかと思って作ったのに」
「ごめん」
「さーやの笑顔が見られるかと思って頑張って作ったのに」
「……」
フルフル震えているからか鍋まで震えてきている。沸騰した時のような暴走具合に気が気じゃなくなる。零れるって!
「……じゃあ、捨てなきゃだね」
「え」
「捨ててくるね。ごめんね」
「まっ……」
くるりと背中を向けて、とぼとぼと歩き出す。小さい背中に思わず声をかけた。
「待って!」
眉毛を下げたまま、こちらを振り返る蒼。じーっとこちらの様子を窺うように見つめる。
「食べる。……からもらう」
「さーや!」
目を輝かせ、駆け出そうとしてくる蒼。
「ストップ」
それを制した。だから、中身が零れるってば!!
「一緒に食べよう!」
「え…違う違う。鍋もらうってば」
「違うのはさーやだよ! これは二人分!」
「え。……二人分?」
「そうだよ。さーやと食べるために二人分作ったんだよ!」
えーと……そうなると私の部屋に上げなきゃいけなくなるじゃん。
蒼を? 隙あらば触ってこようとするこの変態危険人物を!?
「……それはできないかな」
「なんで! じゃあ、僕の家にする?」
「もっと嫌だ」
「そんな……どうするの?」
「だから鍋だけ……」
「痛い! もう持ってるの限界!! 置かせて! さーや! 置かせて!!」
「え……ちょっ……こら!」
鍋の重さに耐えきれなくなったらしく、強引に部屋に侵入してきた蒼。不法侵入で訴えるぞ!
キッチンまで足早に進めると、コンロの上に置いた。
入れてしまった。男の子を。
「さーや!」
キッチンまで来た私を抱きしめる蒼。肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「さーやの匂い……癒される」
ハッとした私は引き剥がしにかかる。力を腕に込めているが、剥がせそうにない。見かけによらず、どんだけ力が強いんだ!
「離れろ!」
「さーや……さーや……!」
このままでは、巻き付かれたまま絞殺されそう。
ニュースで出ちゃう!
「滝井沙彩さん(23)は隣に住む大学生に抱き着かれて絞殺されました。外傷は赤く残っておりすごい力で締め付けられたものと思われます」
って!
「蒼! 痛いよ!」
「……痛がってるさーやもかわいいよ」
変態め!
「シチューせっかく作ってくれたのに冷めちゃうよ」
「もうちょっと……」
だめだこりゃ。力で勝てずされるがままになっていると、うなじに唇を押し付けられている感覚がした。
「んっ……ちゅっ」
「っ……!」
変な声を出して興奮してる男がいた。
一瞬の力が緩んだ隙に一度に引き離す。熱を帯びた目でこちらをぼんやりと見てくる変態がいた。
両頬を挟むようにして、ぱちんと掌で軽くたたく。そのままグッと中央へ顔を寄せると、タコみたいな顔が出来上がった。
「……出禁にするぞ」
「……ごめんなさい」
反省した様子の蒼をソファに座らせる。キョロキョロと辺りを見渡している。
「シチュー、少し冷めたみたいだから温めるね」
「はーい」
返事を確認してから火をつけた。チチチと小さく音を立てて火が点る。
蒼はというと部屋を撫でまわすようにじっくり見ていた。一点気になった個所で視線を止める。男性と映ってる写真だった。
「これ誰ー?」
「元カレ。遼」
「……なんで飾ってるの? 未練あるの?」
「あの時が一番楽しかったからね」
「ふーん。……今でも連絡取るの?」
「たまに来るくらいかな」




