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ワン 12

 開いてる椅子に鞄を置き、腰を落ち着ける。遼はこちらをにこにこしながら見ていた。


「なに?」

「いや? ……お互いスーツだなんて大人になったなぁと思ってね」

「確かに。知り合った頃は学生だったもんね」


 メニュー表をみて注文する。なんとなくカシスオレンジを頼んだ。


「お酒もだよな」

「そっかー。飲めない年齢だったか」

「俺ら、結構出会ってから時間が経ってるんだな」

「四年とちょっとって感じだね」

「付き合ったのは専門で半年経ったくらいか」

「そうだね」

「失礼いたします」


 店員さんがビールとカシスオレンジを運んできた。それぞれの前に置かれる。それを手に取って顔を見合わせた。


「かんぱーい?」

「だな。乾杯~!」


 グラスとグラスを合わせてカシャンといい音が鳴る。響いて、広がっていった。

 喉を動かしながら胃へ流していく。甘酸っぱい大人の味が口の中に広まった。


「美味し~!」

「……お互い、今日もお疲れ様」

「お疲れ!」

「転職してからそんなに経ってないけど、慣れてきたか?」

「うん。今のところうまくいってるよ」

「そっか。よかった」


 遼がビールをテーブルに置く。きっちりしまっていたネクタイを緩めた。


「なんで今日はかっちりしてるの?」

「打ち合わせがあったんだ」

「大変なんだね」

「仕事なんてみんな大変だろ。学生の時は楽しかったよな」

「そうだね」

「今でも連絡取っているやついる?」

「未希ぐらいかな」

「ああ、そうか。樋口、元気そうだったな」

「相変わらずよ未希は」


 お酒が染みわたり、気分良くなってきた。視界が少しぼやける。


「遼は誰かと連絡取ってるの?」

「沙彩ぐらいだよ」

「私?」

「なんでかな。沙彩には構いたくなる」

「なにそれ。妹にでも思われてる?」

「妹には無理があるだろ」

「どういうことよ!? 老けてるとでも言いたいわけ!?」

「まーまー落ち着けって」

「否定しろよ!」

「思ってもないことは言えないし」

「きー!! 最低!!!」


 ケラケラ笑い合う私たち。時間は流れていくけど、姿も違えど、あの頃に戻ったみたいで。あの頃のままで。遼といた時間を思い出させてくれる。


「沙彩、今でもアスパラガス食べれないの?」

「うん! 食べれない」

「繊維ぽいのがやだって言ってたよな」

「遼だってごぼう食べられないくせに」

「覚えてたか……! 腹痛くなるんだよ、あいつ」

「大人になって食べれるようになるものもあるけど、変わらず食べられないものってあるよね」

「その通り!」

「だからお互い粗探しはやめよう」

「へーい」


 あのころが一番楽しかったから。だから、なんで遼と別れちゃったのかななんて時々思うことがある。


 未練じゃない。シンプルな疑問。就活や就職は言い訳で、他に原因でもあったのかな。


「ねぇ、遼」

「なに」

「……私たち、別れない世界線ってあったのかな」

「……」


 頭がふわふわしてきた。お酒が回ってきた。それが気持ちよくもあり、せき止めていたなにかが溢れ出してしまうようなそんな気がしてくる。


「私は……遼と別れたくなかったよ」

「……」


 何も言わない遼。目も合わない遼。きっとそれが遼の答えで、結果。もう気持ちはないってことだろう。


 なら、なんで連絡してくるの? なんでこうやって誘うの?


 私の中身を見てもらってから付き合ったはずなのに、一年半で別れてしまったら、これから何を信じればいいの?


 分からない。遼が何を考えているのか。何を信じていいのか。


「沙彩、飲みすぎたんじゃ…」


 遼の茶髪の短髪が好きだった。遼の泣きぼくろが好きだった。遼の少し焼けた肌が好きだった。厚みのある胸が好きだった。


 同じ人が目の前にいるのに、あの頃とは違う距離感で、あの頃とは違う関係で。もう手に入らない。


「……」


 無言で遼のネクタイを引く。引かれた遼は顔を私の目の前に移動させられ……私はそっと唇を重ねた。


「……!」

「……」


 ビールの苦い味がした。


 唇を離してから、ネクタイを離す。椅子に脱力するように座った遼は、しばらく放心状態だった。


「……」

「……今のキスに意味はないから」


 鞄からお札を出して、机の上に置く。背中を向けると出口まで歩いて行った。


 外に出たら雨が降っていた。ぽつぽつと地面を濡らしていくのを見ながら、鞄から折り畳み傘を出した。広げて固定させると、降り注ぐ雨の中に一歩踏み出した。


 じわじわと私のパンプスを濡らしていった。


―――…


 私の住むマンションの前まで来たところで人影が写った。ざあざあに雨が落ちていく中、その人は傘もささず直立していた。髪の毛にはたくさんの雫が付いていて、自慢のふわふわはしんなりと元気をなくしていた。服は濡れ、肌に張り付いている部分もある。


 目は、私だけを見ていた。一直線に。ただ真っすぐに。


 傘に雨が当たる音が強く響く。ハッとして、すぐさま蒼を自分の傘の中へ入れた。


「どうしたの!? こんなに濡れて……」

「楽しそうだったね」


 睫に雫が流れて、先端で落ちていった。前髪からもぽつぽつ落ちていく。頬についた水滴は伝って顎から離れた。まるで泣いているかのよう。


「何のこと?」

「“俺”を見てよ」

「……蒼?」

「俺だけを見てよ」

「……」


 濡れているせいで体が冷えたのか、唇が紫色になっている。顔色も悪い気がする。


「ねぇ、蒼。とりあえず家に……」

「昔の人じゃん! なんで昔の人なんかにキスを……」


 昔の人。キス。……さっきの出来事を思い出した。

 そうか。蒼は何らかの方法で盗聴していたのか。それで私の帰りを待っていたと……。


 でも、盗聴器は結局見つからなかった。どこにも見当たらなかった。


「後をつけてた? やっぱりストーカーしてるんじゃん」

「……夢中にさせるさーやが悪い」

「……」

「俺だったらさーやにあんなこと言わせないのに」


 ふっと力が抜けていく。スローモーションでバランスを崩していき、蒼の体はアスファルトに打ち付けられた。


「蒼!!」


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