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速斗の記憶

作者: 墓橋速戸水

この記憶はなんだろう?かすかな畳の記憶。古い家の脇にある下水にかかった鉄板の蓋。だれかと大勢で写真を撮影した時の面影。そこは石がたくさんあったような?砂利がたくさんあったような?自分の脳細胞の中核には広大な秋田の光景と茨城の骨のような怒りの記憶が曇っているように混じっていていた。前世は確かに日本人であったこと、そして生まれた日は『世界同時多発テロ』が発生した頃だった。前者は幼い頃の記憶を今となって言語化したもの、後者は後々にもらった新聞で気づいた情報だ。

この記憶はおそらく自分の0歳から1歳の記憶だ。

しかし、2歳から3歳からの記憶が依然として、全くなく解離しているのであった。4歳の頃には前の風景とその時の風景が全く相違していて、矛盾していた。0歳か1歳かわからない年齢とは別のステージに進んでいたことは後から気づいた。4歳の頃は、アンパンマンブロックを組みたてて遊んだり、それで街を建設しプラネールやトミカを混合させ、自分だけのオリジナルの世界を表現していた。ごく普通の家庭で見られた男の子の遊びのひとつであっただろう。そこから派生し、自由帳には自分だけの街をよく絵で描いていた。道路や建物を鉛筆で書いて、100円ショップで販売されている色んな車や動物のシールをペタペタ貼って遊んでいた。

この後に、引っ越した。平屋の貸家に住んでいたときも以前のような遊びをしていた。母親の祐はうさぎを2匹飼っていて、それを自分は初めての動物の経験として、触れた記憶がある。しかし、その2匹のうさぎは脱走してしまい、深い悲しみを抱いた記憶がある。

4歳の頃はこの4軒並ぶ平屋の貸家で、母親の祐がいない日、毎日アナログのアニメテレビを見ていた。おじゃる丸、忍たま乱太郎、ドラえもん、クレヨンしんちゃん、サザエさん、ちびまる子ちゃん、NHK東京ならがんこちゃん、ニャンちゅうワールド、わくわくさん、にほんごであそぼ、ピタゴラスイッチ、ぜんまいざむらいetc...その見た数は数え切れない。

とある日、茨城で雪が降った。この日が一番雪が積もった時期だ。4歳か5歳の頃の記憶であろう。4件立ち並ぶ貸家には柿の木が実っており、雪が積もっていた。自分の股関ぐらいまでは雪が積もっていた記憶があるが、それはまだ身長が低かったからだと推測できる。

この日、婆ちゃんと雪だるまを作った記憶がある。これが婆ちゃんの記憶の初の生成だ。木の枝を鼻に石を目にバケツを帽子に。

婆ちゃんのかすかな記憶は、とあるE3と呼ばれるホームセンターで青い三輪車を買ってもらったことだ。毎日のように嬉しがって乗っていた。その頃は婆ちゃんと買い物に行ったりすることが毎日の楽しみと日課で、買ってくれないお菓子があった時は駄々をこねたときもあった。

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