旅立ち前夜
食事を終えた親子が席を立つと、今までそこにあったテーブルや椅子、食器に至るまでが光の泡になって消えていった。
「手紙と同じで魔力を感じない、魔法とは別物、という事か」
顎に手を当て目の前で起こった現象に感心するリチャード。そんなリチャードを真似してか、シエラも顎に手を当ててウンウンと頷いている。
辺りもすっかり暗くなり、朽ちて穴の空いた屋根から星がリチャードとシエラを見下ろす頃、石の床に瓦礫を集め火を灯してリチャードがシエラを抱えるように座って暖をとっていると、何やら聞き慣れた声が二人に聞こえてきた。
しかし、どこかその声は布に包まれているようにこもって聞こえ、誰の声かは判別出来ない。
「パパ、何か聞こえない?」
「聞こえるな。なんだ? どこからだ?」
そのこもった声がどこから聞こえているのか探してみる二人は、どうやらその声がシエラの上着のポケットから聞こえてきていると突き止め、シエラがポケットを弄る。
出てきたのはシエラが敬親の日のプレゼントを買いに行った際、雑貨屋でおまけに貰った共振石だった。
「シエラちゃん! シエラちゃん、聞こえる!?」
共振石から、アイリスの声が聞こえていた。
焦燥、嘆き、悲哀、そんな感情が入り混じっているアイリスの声がリチャードとシエラに届く。
「ママ?」
「シエラちゃん!? 良かった繋がった! リチャードは、パパは近くにいる?」
「私もいるよ。すまないアイリス、急にいなくなってしまって」
事情を説明している間、何度か共振石からの声が絶え絶えになっていた。
相当距離が離れている証拠ではあるが、同時に共振石同士で会話出来ると言うことは少なくとも大陸を渡ったり、別世界に飛ばされたわけではないらしいとリチャードは推測する。
「帰ったら手紙が置いてあったの『恋人と娘は預かった、帰ってくるまで大人しく待ってて』って、それで心配で心配で」
「うーむ、文言の出だしが脅迫状だなアクエリア様」
「……ママ寂しい?」
「寂しいに決まってるじゃないの! 二人共今どこにいるの!?」
「いや、すまない。本当にどこかわからないんだ。女神様の手紙通り、しばらく待っていてくれ、ちゃんと帰るから」
「もちろん待つわ、待つけど……女神様のバカあ、私も連れて行ってよ」
「元気出してママ、お土産買って帰るからね」
「お土産よりも、無事に帰って来て、じゃないと怒るか――」
しばらく共振石越しに話していたリチャードとシエラ、アイリスだったが、不意に話し声が途切れた。共振石に込めていた魔力が尽きたのだ。
「ママ怒ってた」
「そうだな、帰ったら一緒に怒られようか」
「ん〜。やだ、怒られたくない」
「おやおや、じゃあ怒られないように無事に帰らないとな」
「ん。頑張る」
共振石からの声が聞こえなくなり静まり返る朽ち果てた小屋の中、不意に立ちあがったリチャードに続いてシエラも立ち上がり、振り向いてリチャードに正面から抱き着いて、顔を埋める。
「どうした? ママの声を聞いて寂しくなったかい?」
「……うん」
「そうか……そうだな、私もだよ」
リチャードの腹あたりに顔を埋めるシエラから鼻をすする音が聞こえてきた。
養成所では気丈に振る舞っていたが、やはりまだまだシエラは子供なのだとリチャードはすすり泣くシエラを抱き締め頭を撫でる。
「さあシエラ、明日から頑張って歩くぞ。だから今日は、もう寝ような」
声は出さず、リチャードにくっついたまま頷いたシエラを抱き上げ、焚き火に照らされる石造りの部屋の隅、木の板の上に敷かれた毛布がある場所に腰を下ろす。
敬親の日から半年程待って、女神アクエリア様が自分達を転移させたのは寒い季節が来るからと、気を遣って下さったのだろうか。
そんな事を思いながらリチャードは上着を脱ぐと、それを雑に丸めて枕代わりにした。
食事前から虫除け、魔物除けの魔法陣を書いて発動させてはいるが本職じゃない自分が使ってどれ程の効力がでるのかと不安を覚えるリチャードだったが、色々な事が起こり過ぎた心労と、自分に抱き着いたままのシエラの暖かさにまぶたが落ちてしまい、リチャードは気が付く間もなく眠ってしまう。
そして、次にリチャードが目を覚ましたのは翌日の朝。リチャードとシエラが眠る石造りの小屋に太陽が陽光をスポットライトのように二人に浴びせた頃だった。