敬親の日の夜
敬親の日は穏やかに過ぎていった。
昼食のサンドイッチを食べ終え、リビングで寛ぐ二人は、満腹感から眠気に襲われる。
「少しばかり、昼寝でもするか」
リチャードは寝室に行かず、呟くとシエラと座っていたソファから立ち上がり、対面に置いているソファに寝そべる。
シエラも眠たげにウトウトしていたので、座っていたソファを譲るつもりでリチャードは移動したのだが、シエラは移動したリチャードの後ろを付いて移動し、仰向けに寝るリチャードの上にのそりとうつ伏せに寝転んだ。
「おやおや、わざわざ寝辛そうな事しなくても良かろうに」
「ん〜。寝るなら、ここで……寝る」
シエラはリチャードに答えたのを最後に意識を手放した。
眠ったことにより、シエラの全体重がリチャードにのしかかる。しかしリチャードはそれを重いとは思わなかった。
寧ろ、その体から伝わる子供特有の高い体温に心地良さすら感じる。
「ふむ、可愛らしい布団だ」
自分の腹の上で眠る娘の頭を撫でながら、リチャードはこれまでの数ヶ月を思い出していた。
出会い、拾い、育んだ数ヶ月。「随分懐かれたものだ」そう思いながらリチャードもシエラに続いて目を閉じ、睡魔に誘われるまま意識を手放した。
そしてこの時、リチャードは夢を見る。
シエラと二人、知らない街、知らない山道、森の中、海の側を歩く夢。
一体どこを目指して歩いているのか。
夢から覚めたのは、最後に住み慣れた街の外門でアイリスに迎えられ、シエラがアイリスに向かって走っていく。そんな場面だった。
「アイリスとは旅に出なかった、という事か」
長い時間眠っていたらしい。
ふと目を覚まし、ボーッと見慣れた天井を見上げていると廊下の柱時計がポーンと三回、音を鳴らすのがリチャードの耳に聞こえてきた。
いつもなら、そろそろ夕食の準備を始めるリチャードだが、何故だろうか。自らの腹の上であまりにも心地良さそうに、よだれを垂らしながら眠る我が子と離れるのが嫌でリチャードはシャツの袖口でシエラの口元のよだれを拭ってやると「たまにはこんな日があっても良いか」と再びシエラの体温を感じながら目を閉じた。
わずか数ヶ月。
たったの数ヶ月で他人だった筈のシエラが我が子と、確かに自身の娘なのだと思える程にはリチャードはシエラを想っていた。
もしかしたら、お互いに両親がいない事に共感したからなのかも知れない。
あの日。
リチャードとシエラが出会った日。
愛していた母が死に、尊敬した父が死に、目的を失い、未来が見えず、自らを取り巻く世界から色が失われたように感じていた頃。
顔を洗うために瓶に溜めていた水に写ったかつての自分が、あの日のシエラの目と同じだった事をリチャードは思い出していた。
リチャードは仲間たちに出会い、共にクエストをこなすうちに立ち直った。
だが、シエラはどうだろうか。
成人していたリチャードとは違い、シエラはまだまだ幼い。
リチャードやアイリスとの生活で幸せだと感じているだろうか。
シエラ本人にリチャードやアイリスが聞けば、彼女はいつもの調子で「ん。今は幸せ」と答えるのだろう。
だが、それは本当の幸せなのか。
リチャードは考えてしまう。
未だにシエラは本当の意味で心を開いていないのではないか。素直で良い子なのは私達に見放されたくないから無理をして良い子であろうとしているのではないか。
今日始めてリチャードはシエラの食の好き嫌いを知った。
これまで文句1つ言わずなんでも食べてきたシエラが、初めて自分から好き嫌いを主張したのだ。
もしかしたら、シエラが自分の夢だと語った強い冒険者になると言う夢も、見放されたくないからという考えから語ったのであって本当は違うのでは――。
リチャードがそんな事を目を閉じて考えているとリチャードの耳元で「それは考え過ぎよ、もっと娘を信用しなさい」と若い女性の声が聞こえた。
リチャードは目をカッと開き、首を捩る。
もちろん誰もいない。
未だに腹の上に娘が眠っているだけだ。
「夢? だったのか? あの声、シエラに似ていたような……」
答える者はいない。
その後シエラを起こし、夕食の準備をして、アイリスの帰宅を待つ間。
家の中に侵入者がいないかシエラと一緒に見て回ったが、屋内に自分達以外いないどころか、裏口や窓どころか家の周辺には猫一匹侵入した形跡は見受けられなかった。
その事を帰宅したアイリスに話すが、アイリスは「二人して幽霊でも見たんじゃないの?」とその話を一笑した。一笑したが、笑っていたのは口元だけだ。目は全く笑っていなかった。
「ママ、顔が青いよ?」
「フ、フフフ。嫌いなのよねえレイス系の魔物、物理で殴れないから」
「魔法を使え、魔法を」
「突然出てきた時に魔法よりは殴る方が速いじゃない」
「「それは分かる」」
似た者同士、リチャードとシエラがアイリスの言葉に頷く。
食事を終えた三人はアイリス主導で家に結界を張り、アイリスとシエラが約束通りに二人でお風呂に入ると、敬親の日の夜をシエラが二人に肩叩きするなどして、のほほんと過ごしたのだった。