“本当”の親と娘
翌朝の事。
いつもの様に三人一緒に目を覚まし、普段ならリチャードが「おはようシエラ」と声を掛ければ「ん。おはようリチャード」と朝の挨拶を返してくれるシエラなのだが、今日は昨夜に引き続き機嫌が悪いようだ。
「おはようシエラ」
と、シエラの頭を撫でながらリチャードは言ったが、シエラは顔を赤くして「ん」とだけ返してベッドから跳び上がる様に降りて寝室のドアの前で立ち止まると「おはよう」と残して、顔を洗いに洗面所へと向かっていってしまった。
「う〜む。無理強いが過ぎただろうか」
「照れてるだけよ。後はあの子の思い切り次第だと思うわ。私も、パパにはそんな感じだったなあ。
それに以前一回呼んでるんだし。ちゃんとパパって呼んでくれるわよ……多分ね」
「だと良いが……ん? シエラが私を一回パパって呼んだって?」
「ええ。ほら、熱風邪で貴方が倒れた時にね」
「ああ、あの時か。確かに呼ばれた気はするが……」
寝起きのアイリスに頬に口付けされ、話を聞いていたリチャードは、あの日看病に来てくれたアイリスに言われ、寝付く際に聞こえたシエラの声を思い出す。
「……そうか。夢ではなかったのか」
「さあ。私達も行きましょう? 今日も走るんでしょう?」
「ああ、そうだな…………いや……今日は無理そうだ」
窓から見える空が灰色なのは朝早いから。
そう思っていたが、リチャードとアイリスの耳に窓を打つ雨の音が聞こえてきた。
どうせ走って汗をかけば風呂に入るのだから濡れながら走っても良いのではと思うかもしれないが。良いわけが無い。
雨水に濡れながら走るなど、病にしてくれと言っているようなものだ。
というわけで、本日の朝のジョギングはお休み。
三人は登校、出勤の時間までをのんびり過ごした。
その間もシエラは2人に話しかけられても目を合わせることなく、俯き加減でしどろもどろな様子だった。
「無理はしなくて良いぞ、シエラ。
今まで通りリチャードと呼んでくれても構わないから」
「無理はしてない。でもやっぱりちょっと、恥ずかしくて……」
「照れちゃって可愛いなあ」
「う〜。可愛くないし」
アイリスに言われ顔を赤くするシエラの様子と、普段の学校でのシエラの気怠げな様子を思い返しながらリチャードは苦笑する。
シエラがAクラス一年生の王子様と呼ばれたりしているのも他の生徒達、特に女生徒達から聞いた事もあるリチャードにとっては妙な気分だった。
「さて、私はそろそろギルドに行くわ」
「ああ、分かった。……今日は遅くなりそうかね?」
「う〜ん。いつもの時間位になると思うわよ?」
「そうか、なら今日は私が一番早くに帰宅するかも知れないな」
上着を羽織り、ポーチを肩に掛け、愛用のロングソードを2本、腰のベルトに掛けながら玄関に向かうアイリスを見送る為にリチャードもシエラも玄関へと向かう。
これも今ではいつもの朝の光景になっていた。
だが、今日は雨も降っている。玄関の扉を開けるとサーっと耳に雨音が響いてきた。
「風魔法風魔法っと。じゃあ行ってきます」
「ああ、気を付けてな」
「い! 行ってらっしゃい! マ……ママ」
シエラがリチャードの後ろに隠れる様にしながら、玄関の扉を開け、雨よけの風魔法を発動し、今まさに外に出ようとしたアイリスの背中に向かって叫ぶように言った。
ママと呼ばれたアイリスは突然の事にそのまま硬直し、壊れたロボットのように少しずつ振り返る。
そして、不意に雨よけの魔法を消したかと思うと、リチャードの視界から一瞬で消えるように移動したアイリスがリチャードの後ろにいたシエラを抱きしめていた。
「は、速いな。君がそんな速度で動いたの初めて見たんだが」
「シエラちゃんが! シエラちゃんがママって! ママって呼んでくれたわリック!
そうよ私がママよシエラちゃん! もう一回、もう一回ママって呼んで!?」
「マ……ママ、仕事に遅れるよ?」
「良いのよちょっと遅れたって、私はギルドマスターなんだから」
「良いわけがあるか。 早く行きなさい。私達も準備するから」
「やだ行きたくない!」
「子供みたいな事を言うなアイリス。シエラのママなんだろ?」
それを言われては仕方がない、と言いたげに眉間に皺を寄せ、しぶしぶシエラを放すとアイリスは再びドアへと向かい雨よけの魔法を発動させると「行ってきまあ〜す!」と今までで一番元気よく家から出ていった。
「さて、私達も準備するか」
「ねえ、リチャード」
「なんだい?」
「俺、本当に二人の事、パパ、ママって呼んで良いのかな。
だって俺は、本当は二人の――」
本当は二人の子供じゃない。そう言い掛けたシエラの頭にリチャードが手をポンと置き、言うのを止めさせる。
「シエラ、そこから先を君が言ったら私は、いやパパは怒るぞ? 確かに私達に血の繋がりは無い。
だからなんだ。それでも私達は親子だよシエラ。
私は……私とアイリスは君の事を本当に愛している。それは私達の間に子が出来ても変わらない。変わるものかね。
血よりも大事な縁がある事は私もシエラも良く知っているじゃないか」
「うん。分かってる、分かってるけど」
リチャードに諭されシエラの瞳に涙が浮かんでいた。
リチャードに拾われてからずっと思っていた。 何故この人は自分を拾い育て、優しくしてくれるのか。
アイリスと暮らす様になってからはそんな疑問がもう一つ増えた。
人種すら違い、恋人と血の繋がりも無い自分を何故エルフのアイリスが愛してくれるのか。
「出会いは偶然だったのか、神の導きだったのか。それは私にも分からない。
でも、そんな事はどうでも良いじゃないか。
縁があって一緒に暮らし、鑑定を通してではあるが親子として神に認められた。
その事実は金輪際変わらない。なら、それで良いじゃないか。親が子を愛するなんて当たり前なんだから」
その当たり前が出来なかったシエラの本当の両親は、シエラを捨てたその日、街から出て自分達の住む集落に戻る際に盗賊に襲われ、無惨に殺された後、最後には魔物の餌になった事をリチャードは知っている。
アイリスに頼み、ギルドを経由して色々調べてもらった結果、南門の門兵の覚え書きに青い髪の少女を連れた妙な親子の記述があった。
そして親二人が何やら挙動不審な様子で街を出た事も当時働いていた門兵は「おいおい身売りかよ糞だな」とその二人を記録していたらしい。
そして、偶然捕縛されたある盗賊を精神感応系の魔法での尋問中に特徴が一致する二人を殺した供述を得たそうだ。
シエラを親に会わせたかったから調べてもらったという理由ではない。
リチャードがシエラの両親に会って、殴りたかった、怒りに任せ罵声を浴びせたかったのだ。
「本当に、パパって呼んでも良いの?」
「もちろんだよシエラ、我が愛しい娘よ」
同情の念が無いとは言えない。
しかしそれだけでは無い。
シエラと出会ってからのリチャードの人生はこれまでとは別の幸福を与えてくれた。
強さを求め、ただ戦いに明け暮れた冒険者時代。
仲間達との生活も悪くは無かったが、リチャードは今の生活の方が幸せだと感じている。
それは紛れもなく目の前の娘が運んできてくれた生活だ。
幸せにしてくれた娘にしてやれる恩返し。
それは今度は自分が娘を幸せにしてあげる事に他ならない。
「おいでシエラ」
「ん」
シエラの視線に合わせてしゃがみ、腕を広げるリチャード。
シエラはそんなリチャードに涙を溜めたまま抱き着いた。
そして、優しく抱擁されるシエラから聞こえた「パパ」と言う言葉をリチャードは今度こそはしっかりと聞き、微笑みながらシエラの頭を撫でたのだった。