名前が無い? よし名付けよう
「じゃあ改めて名乗ろうかな?」
ソファの対面に座るで無く、リチャードはあえて同じソファの反対側に座った。
三人掛けのソファの右側に少女が、真ん中を開けて左側にリチャードが座る形だ。
「私はリチャード。リチャード・シュタイナーだ。
ああちょっと待ってくれ何か飲み物でも入れるよ」
せっかく座ったリチャードは再び立ち上がるとキッチンに向かい、保冷庫から牛乳を取り出す。
そして砂糖を少量入れて再びリビングへと戻って牛乳を少女に渡した。
「……飲んで良いのか?」
「ああ、もちろん。そのために淹れてきたからね。
遠慮なく飲みなさい。
少し砂糖を入れて甘くしてある。気に入ってくれると嬉しいが――」
ソファに再び座りながら言うリチャードの言葉に甘え、コップに入った牛乳を一口飲む少女が驚いたように目を丸くしたかと思うと、味が気に入ったのか。一気に飲もうとコップを傾けそうになった少女の手に、リチャードは自分の手を添えて制止する。
「慌てなくて良い、一気に飲むと腹を壊す。
誰も取らないから、ゆっくり飲みなさい」
リチャードの言葉に頷いた少女は一口、また一口とリチャードの言い付け通りに牛乳を飲んでいく。
素直な子だ。何故こんな愛らしい子供を捨てるなどという愚かな事が出来るのか。
リチャードはそんな事を考えながら少女が牛乳を飲み終えるのを待った。
「……ん」
「美味しかったかい?」
「……うん」
牛乳を飲み終えた少女はそれを見せるようにリチャードに差し出してくる。
そのコップを受け取ったリチャードは少女の頭を撫でるとコップをローテーブルに置き「さて」と話を再開しようと口を開いた。
「あ~、まずはそうだな。君の名前を教えてくれるかい?」
「名前? 俺にそんな物……無い。
……あいつらは俺の事をお前とかアンタとか、おい、って呼んでた」
“あいつら”それは恐らくこの子の両親の事だろう。
我が子を捨てただけでなく、捨てる前からぞんざいに扱っていたというのがたったこれだけの少女の言葉で理解出来た。
水の女神アクエリアの加護を受けた者は髪が一部青みがかる事がある。
そんな情報を何かの書物で読んだなと、この時リチャードは思い出していた。
そして、髪全体が青系の色に産まれた子供は水の女神アクエリアの巫女たる資格を有しているともその書物には記してあった。
この少女が巫女だったりするのだろうか、いや、まさかな。と、黙り込んで考えるリチャードに、少女が不安そうな顔を向けている事に気が付いてリチャードは申し訳なくなり手を伸ばして、頭を撫でた。
水の女神であり豊穣の神であるアクエリアであるが、水の女神であるが故に沿岸部や川沿いの街で水害の多い場所では邪神扱いされている地域がある。
この街の南にある集落もそうだ。
恐らくこの少女はそんな迷信が定着している場所から連れて来られ、そして捨てられたのだろう疫病神、忌み子と罵られながら。
「……じゃあそうだなあ。
綺麗な水色の髪にちなんで――」
そこまで言って、リチャードは考える。
髪色全てが薄い水色の彼女に水の女神にちなんだ名前や水にちなんだ名前は、もしかしたら今後重しになるかも知れない。
なら、水色から想起させる何か別の、例えば空にちなんで――。
「これから君をシエルと……いやもう少し女の子っぽい感じでシエラと呼ぼうと思うが、構わないかい?」
「シエラ? 俺の名前? うん、嫌じゃ……無い」
「よし、じゃあ君は今日からシエラ、シエラ・シュタイナーだ。よろしくな」
「シエラ・シュタイナー。俺の名前。
あんたと名前が同じなのはなんで?
なんでこんなに優しくしてくれるの?」
「う~ん、なんと言えば良いのか。
気紛れ、思い付き、いや違うな。そうじゃない。
そうしたいと、君を助けたいと思ったから助けたし優しくしている。
私は自分の心に従っただけさ」
「……よく、分かんない」
「ハハハ。君には、ああいや。シエラにはまだ難しかったかな?」
リチャードは笑いながらシエラの頭を撫でる。
それを嫌がるでもなく、薄い水色の髪の少女、シエラは恥ずかしそうに下を向いて指をイジイジと手遊びしていた。
「シエラが眠る前にも聞いたが、良ければこの家で俺と一緒に暮らさないか?」
「……でも、俺はアンタを襲った」
「だからどうした? 私は元冒険者だ、あんなもの襲われたうちには入らんよ」
「……“あいつら”は私を捨てた、アンタだって――」
「捨てない。私は誓って君を一人に……そうだな。私が死ぬまで君を一人にはしない事を私の誇りである剣に誓おう」
シエラがリチャードの言葉全てを理解出来たかは分からない。
しかし、自分の目を真っ直ぐ見て言うリチャードにシエラは涙を目に溜め頷いた。
この日から2人の生活が始まったのだ。