橋での邂逅
その日の朝のリチャードは機嫌が良かった。
もう少しで住み慣れた街に帰る事が出来るというのが最大の理由ではあるが、愛娘のシエラと長い旅路を大きな怪我もせずに見知った場所まで辿り着けた事も理由の一つだった。
深く大きな谷。その昔、戦争があった際にある冒険者が召喚したドラゴンが放ったブレスの一撃で抉られたという言い伝えがある事から通称ブレスバレーと呼ばれるこの場所。
その手前に扇状に広がる宿場町の宿を出た親子と従魔のロジナは幅にして約40メートル、長さ2キロ程もある巨大な石橋を渡ろうと橋の方へと向かっていた。
その途中、前から来た冒険者であろう、装備を身に付けた一団が「今日もいたなあの幽霊」と話しているのが通り過ぎざまに聞こえ、シエラが首を捻った。
「パパ、これから渡る橋って幽霊出るの?」
「ああ、そうらしい。昨日ギルドに寄った時にも聞いたよ。どうも随分前から目撃されているらしい」
「誰か待ってるのかな」
「さて、どうだろうね。しかし朝っぱらから幽霊とは。もしかしたらレイス種の魔物かもしれないな。被害は無いらしいから、まあ気にする事は無いさ」
そんな事を話ながらリチャード達は橋への整備された山道を歩いていく。
馬車も通れる緩やかな坂道を登っていった先にまずリチャード達を迎えたのは聖堂のような造りをしたアーチ状の橋の入り口だった。
監視塔を兼ねたその門を過ぎれば橋の上だというのに露店が並び、真ん中付近には噴水まである。
その噴水付近では露店の出店が認められておらず、数十メートルという谷底までの高さも相まってブレスバレーを眺める恰好の展望エリアとなっている。
その展望エリアで親子二人とロジナは露店で買ったオークの串焼きを頬張っていた。
シエラの頬にタレが付き、リチャードがそれを拭おうと手を伸ばすより先に、ロジナがタレを舐め取る。
笑い合う親子と従魔。
そんなリチャード達の目に、舞い上がる花弁が視界に入った。
山の麓のラデラ平原と呼ばれるかつての戦場跡に咲いた花々の花弁が風に乗って運ばれて来たのだ。
風除けの結界がなければ大変な強風に見舞われるその展望エリアからリチャード達は、頭上で舞い踊る花弁を見て観光客や橋を渡っている冒険者や行商人達と同じように「おー、綺麗だなぁ」と感嘆の声を漏らす。
「ママとも見たいね」
「ああそうだな。今度は皆で来ような」
花弁の舞踊を堪能し、リチャード達は再びエドラへと向けて歩き出した。
そして、その先。エドラ方面の橋の出入り口まであと少しという所でリチャード達は件の幽霊の後ろ姿を見る事になった。
奇妙な光景だった。
気味悪がって近付かないにしてはあまりにも皆幽霊から距離をあけて通り過ぎていく。
幽霊を中心に円形に空き地が出来ているその中央で、件の幽霊は腕を組み、まさに仁王立ち、誰かを待ち構えているように見えた。
万人に見える幽霊など存在しない。
しかし、その幽霊を道行く人々が見ている。
となるとやはりエレメント類レイス種の魔物か。
そんな事を考えてリチャードも幽霊を避けようとしてシエラの手を引こうとして足を止めた。止めてしまった。
「師匠?」
何故そう思ったのか。
答えはその背にこそあった。
冒険者養成所を卒業してもうだつの上がらなかったリチャードを根気良く、いや、本人からしてみれば面白がってだったのかもしれないが、リチャードを指導した、リチャードにしてみれば恩師にあたるその人物。
かつて仲間達と共にエドラを支えたSランク冒険者の1人。エドガー・リドル。
死別して10年以上経った今でも追いかけ続けている男の背中を、リチャードが見間違える筈も無かった。
そして何よりその背中に形見であるリチャードが腰に携えている剣と同じ剣を幽霊は担いでいた。
「この魔力波形、お前リチャードか」
「師匠、なのか」
リチャードの声に反応したのか振り向いた幽霊が口をいた。
その声は壁でも隔てているかのように聞き取りづらいが間違いなくリチャードの名を呼んだ。
まるで幽霊を見たように、いや実際幽霊を見ているわけだが、リチャードはあまりに驚嘆して目を丸くし、冷や汗を流す。
「何でアンタが」
誰一人近付こうとしない幽霊に近付こうと、リチャードは一歩踏み出そうとする。
そんなリチャードの手を引いたのは、誰あろう娘のシエラだった。