グレイハウンドに導かれ
グレイハウンドの回復を、リチャードとシエラは片膝を付き、剣に手を添えて待った。
回復薬の効能で傷が塞がったなら立ち去るべきだったかも知れないのだが、せっかく助けた巨大な狼が他の魔物に襲われる可能性を危惧したのだ。
しばらく待っているとグレイハウンドが目を覚ました。
ゆっくりと起き上がるが、傷は癒せても体力の回復までは薬では行えないのは世の常。
そういう薬もあるにはあるが、そんな物は気休め、プラシーボ効果でしかない。
「やあ利口な狼よ。まだ体力は回復してないだろ? しばらくは安静にしていたまえ」
リチャードは言いながら立ち上がるが、グレイハウンドはそんなリチャードに申し訳無さそうな顔を向け耳を倒すとその場に座り、リチャードに謝るかのように頭を下げた。
「私はテイマーでは無いのでね。意思の疎通は難しいが、何を言いたいかは分かる。だが止めたまえ、森には帰らない方が良い。君は群れから出て来たんだろ?」
リチャードの言葉にグレイハウンドは「違う」とでも言うように首を振る、そしてのそりと立ち上がるとリチャードに背を向けて森に向かって歩き始めてしまった。
「パパ、狼さん行っちゃう」
「妙だな。本来なら群れから追い出されたグレイハウンドは同じ群れには戻らない筈。何かあるのか?」
ついて行く必要はない。しかし、リチャードもシエラもグレイハウンドから距離を空けて、そのフラつく後ろ姿を追いかけた。助けたグレイハウンドが復讐を考えているようならどうにか止めたいと思ったからというのが理由の一つだが。リチャードはどうにもグレイハウンドの行動が不可解だった為にその真相を知りたくなったというのもあったのだ。
「シエラ、パパの側を離れるなよ? もしもの時は私を囮にしてでも逃げなさい。まあシエラは嫌だと言いそうだがね」
「うん、絶対やだ」
「杞憂なら良いのだが、なんだか嫌な予感がするんだ。だから、もしも、もしもの時は逃げるんだ、良いね?」
「嫌、パパを置いては逃げない」
「うーむ、頑固な」
グレイハウンドに先導されるように親子2人は森の中へと足を踏み入れた。傾いて来た陽の光が差し込んで所々に光の柱が乱立している。
その様子は遺跡群を抱いていたあの聖域の森を思い出させた。
しかし、その美しい光景も突然終わった。
助けたグレイハウンドより一回り小さなグレイハウンドが何匹も血の海に沈んでいたのだ。
近くにはグレイハウンドではない魔物の死骸が息絶えているグレイハウンドの近くに横たわっていた。
「ヒュージマンティスの群れと交戦になったのか、酷い惨状だ」
グレイハウンドの横に倒れて動かなくなっている成人男性程もある巨大なカマキリ型の魔物。視認出来る頭数はグレイハウンドより少ないが、その鎌型の前脚や装甲のような堅い甲殻から単体の戦闘力はグレイハウンドより上に位置するという事は森の惨劇が物語っていた。
見える範囲に生きているグレイハウンドはリチャードが助けた一頭だけだ。
その助けたグレイハウンドが恐らく群れの仲間だったのだろう、息絶えたグレイハウンドに近付き、鼻先で今は亡き仲間の体を揺する。
「君の傷はヒュージマンティスからの物だったのか。群れ同士で交戦して生き残ったんだな。勇敢、というべきなのだろうか、ヒュージマンティスの方が格は上の筈だからね」
リチャードが助けたグレイハウンドの後ろから声を掛け、その横をシエラが通り過ぎてグレイハウンドの横に並んだ。
何をどう言えば良いか分からず、シエラは息絶えたグレイハウンドに視線を落として助けたグレイハウンドに手を添える。
助けたグレイハウンドはそんなシエラに「ありがとう」とでも言うかの様に顔を擦り寄せる。
しかし、そんなグレイハウンドが急にリチャードに振り返り「ガルル」と唸りながら牙を剥いた。
「狼さんどうしたの⁉︎」
「狼君、君は仇討ちをしたいのだな」
グレイハウンドから視線を外さずに、リチャードは剣をゆっくり抜き構える。
その様子に焦ったのはシエラだった。
「パパ待って!」
「狼君、娘を守ってくれ」
「パパ?」
不意に、リチャードが振り向きながら剣を縦に振った。
その剣がガキンと鈍い金属音を放つ。
シエラからは木の影になっていて見えなかったが、リチャードのすぐ後ろの木の影から生きているヒュージマンティスがリチャードを急襲したのだ。
息絶えている薄茶色のヒュージマンティスとは違い、体色は鮮やかな赤色の一際大きな個体だった。
「片腕が無いな、狼君に手酷くやられたようだ。グレイハウンドのように話しが通じるなら見逃したやもしれんが。お前達インセクター系の魔物は本能だけで生きていて話し合う余地は無い。だからすまんな。君には仲間の後を追ってもらうぞ」
それはどちらかと言うと話の通じないカマキリ相手に言ったというよりは、後ろで剣を抜いて構えたシエラに覚えておくように言った言葉だったのかも知れない。
兎にも角にも、リチャードはヒュージマンティスの鎌を弾くと、剣を握り直し、肩に担ぐように構えてヒュージマンティスの次の動きを待った。