女神の考え
しばらく言葉もなく、妙な空気が大広間に流れていた。
緊張、焦燥、戸惑い、それらが入り混じったような、なんとも言えない気まずさをリチャードとシエラは感じている。
そんな二人を、クッションに深く腰掛けて目を細め眺めているルナはというと、二人とは裏腹に楽しげに口角を上げてニヤついていた。
「お待たせ致しました大婆様。果汁飲料でよろしかったですか?」
「遅いわエル坊。まさか今、絞ってきたのかい?」
「ええまあ。義理とはいえ息子と孫には美味しい物を口にして欲しかったので、駄目でしたか?」
「かあ〜、お前は昔っからどっか抜けとるのお。保冷室に保存した飲料がいくらでもあるじゃろうに。まあ良かろう。早く渡してやれ」
大広間の扉を開け、エルがトレーに木でできたコップに搾りたてのジュースを入れて持って来ると、ルナに言われた通りに二人にそれを渡す。
今更それを警戒するわけもなく。
リチャードとシエラは木のコップに入った搾りたてのジュースに口を付けた。
「本当に美味いですねこれ」
「美味しい。パパこのリンゴジュース美味しいね」
「ああ、街で飲む物より遥かに美味いな」
コップに入っていたのはリンゴを潰してこしたジュースだった。
ただリンゴを潰しただけのジュースだが、香りも味も二人の住むエドラの街で味わう物とは一味違い、口の中に広がる味はまろやかで香りもリンゴそのものの香りが引き立っている。
「気にいってくれましたか?」
「ええ、こんなにも美味なリンゴジュースは初めてです」
「シエラちゃんも気に入ってくれたかい?」
「ん! 爺ちゃんのジュース美味しかった」
「それは良かった。ああ、爺ちゃんかあ。後二百年は呼ばれないと思ってたから嬉しいなあ」
リチャードよりも若い顔をしたエルは、シエラに微笑むと、ルナの座る特大クッションへと向かい、トレーに乗せたもう一つのコップをルナに渡すとトレーを持ったまま特大クッションの傍らに立った。
「ん〜。まあ搾りたては美味いわなあ。さて、ではグランディーネ様から賜った神託の話をするとしようかね」
渡されたコップのリンゴジュースを一口飲み、ルナは二人に視線を向けては口を開く。
その声は変わらず可愛らしいが、口調はおっとりしており、随分年老いた印象だ。
「迎えに行かせた者からも聞いておろうが、グランディーネ様から妹神アクエリア様が見初めた勇者が父親と共に遺跡の結界から現れるから、丁重にもてなせと言われてなあ」
「見初めた……アクエリア様から特級加護を賜っているのは鑑定医の鑑定書で確認していましたが」
「まあその髪色だものなあ。鑑定書が無くても何かあるとは思うじゃろう。グランディーネ様が仰るには、あと数年もすれば新たに魔王が生まれ、また性懲りも無く、人間やそれに連なる我々に喧嘩を売って来るらしくてなあ。シエラはその反存在として産まれたんだそうじゃ」
「あの、ちょっと待ってください。魔王とか、えっと……いや、分かります。分かってはいますよ? 過去の歴史にも魔王という魔族の王が度々現れ、世界に戦争を仕掛け、双方の勢力に甚大な被害をもたらしたとかなんとか」
「なかなか勤勉じゃないか坊や。歴史を学んでいるのかい?」
「学んでいる、という程ではありませんが本等は読む方なので」
「ほっほ。そうかい? 学者というよりは武芸家の風体なのにねえ。まあ良いさね、話を戻すとな、近々その魔王が新たに現れるわけさ。アクエリア様は人間が好きだからねえ。戦争が始まるまでにとっとと反存在であるシエラに力を付けてもらいたかったんだそうじゃ。今回、いきなり勇者の剣が眠る祭壇があるあの遺跡に転移させたのもひとえにアクエリア様の焦りからなんじゃとグランディーネ様は仰っておられた」
「焦り? アクエリア様は私の願いを聞いてくれたのだと」
「出汁に使われたんじゃよ、多分な。いきなりシエラを転移させるわけにもいかんじゃろ? それこそ過干渉じゃしな。だから、アクエリア様は信者のささやかな願いを叶えるという体でお主達を転移させたんじゃろ」
「信者、では無かったんですが。ああ、でも確かにそれなら急にこの髪色になったのも頷けてしまう」
ため息を吐きながら頭を抱えるリチャードに、ルナは苦笑しリチャードと同じ様にため息を吐いた。
神様の思考は人間やエルフ、地上に住む人々には理解できない物だ。
今ルナが話したのはあくまで女神グランディーネから聞いた事。そしてそこから予想した事でしか無い。
人と人同士ですらお互いの気持ちに気付かず、誤解し、争いにすら発展する。
その相手が天上の上位存在ともなると、もはや何を考えているかなど全くもって分からない。
「グランディーネ様からは街に戻るまで色々あるだろうが、今代の勇者が世界を好きになってくれる事を願うと言われてもいる。その役任せるぞリチャード、勇者の父君よ」
「勇者どうのこうのはちょっと受け入れるのに時間が掛かるでしょうが、それとは関係無しにシエラがこの世界を好きになってくれる事には全力を尽くします。私はシエラの父親ですからね」