村の生き残り その1
ここは城塞都市アストン。
町の北西から東にかけて巨大な『ヴィズの森』と呼ばれる黒楢の森に覆われたその町は、直径一キロ半ほどの防壁の中で、人々が今日もひしめき合って暮らしている。
大昔に石材を積み上げて造られたとされているその防壁は、ここ数百年魔物の侵攻を幾度となく防いできたらしい。
そんな歴史的にも価値のある防壁の入り口に、僕はいた。
「わわっ、攻撃しないでくださーい!」
歴戦の冒険者達が剣や杖を構え、慌てて集まって来た門兵達までもがこぞって周囲を取り囲む。衆人環視の中心で、僕はたまらず背負っていた物を下ろした。
「気を付けろ、魔物が倒れたぞー!?」
「レックスウォーウルフの下からガキが出てきやがった!!」
「し、死体だあああ!?」
背負っていた荷物を下ろしたことでようやく防壁の全貌が視界に映り込み、僕は思わず感嘆の声を漏らした。
初めて見るアストンの防壁は、見渡す限り背の高い壁が続いていて、話で聞いたよりもずっと大きく、とても重厚だった。
何人たりともこの先には通さないという覚悟のようなものが、ずっしり骨の髄にまで伝わってくる。
きっと有事の際には塀の上から多くの兵士達が魔物と対峙し、その脅威に立ち向かうことだろう。
そしてそれは兵士だけでなく、冒険者達もその戦力として駆り出される。
そこで手柄を立てれば兵士に取り上げてもらえ、また冒険者としての格も上がるというもの。つまりは『英雄』になれるというわけだ。
将来冒険者を目指す身としては、その光景に思いを馳せるだけで胸の内が熱くなり、否応なく気持ちが高ぶってしまう。
「おいボウズ、これはいったいどういうことだ」
駆けてきた門兵さんの一人に声をかけられた僕は、ハッと我に返り視線を地上へと戻した。
僕が運んできたレックスウォーウルフというのは、全長四メートルもの巨大なオオカミの魔物のこと。
その下に大人三人の死体を担いできたので、僕の姿が完全に隠れてしまって、魔物が町を襲ってきたと勘違いされてしまったらしい。
辺りは大騒ぎで、思わず失敗したと苦い顔を作った。
「お騒がせしてすみません。実は森で狩りをしていたら突然悲鳴が聞こえまして、すぐに駆け付けたのですが、この通りすでに三人の息がなく……」
僕が見つけた時には魔物が彼らを食べようとしているところだった。
「魔物は退治したものの、ご遺体をどうしたものかと思いここまで運んで来た次第です」
「ほぅ……」
顎の髭を撫でながら壮年をやや過ぎたぐらいの門兵さんが小さく呟く。
時刻は昼過ぎ、秋の収穫時期に差し掛かったとはいえ、冴えわたるような青空に僕は頬の汗を拭った。
「班長、こいつら一攫千金狙いのBランク冒険者『犬のしっぽ』ですよ。一週間前ここを出る時に俺が担当したので間違いありません!」
と。
死体を調べていた若い門兵さんの一人が声を上げた。
町の門兵さんは自分が担当した人の顔を全部覚えているのだろうか。
だとしたら凄い記憶力だ。僕にはとてもじゃないけど務まらないや。
「……ふむ。こいつらの身体に付いてる歯形や爪痕からして、ボウズの言う通り死因はこのレックスウォーウルフによるものでまず間違いないだろう。すぐにギルドへ知らせてくれ」
「はっ!」
ふぅー、よかった。
どうやら身元不明の仏様にならなくて済みそうだ。
今思えば昨日からずっと背負って歩きっぱなしだったからもうへとへとだよ。
帰るにもしても、ここいらで少し休んでからにしたい。
「ボウズ。悪いが調書を作るからついてきてくれ」
「は、はいっ!」
近くで休める場所を探していると、先程班長と呼ばれていた髭面の門兵さんに呼び止められ、僕は思わず声を弾ませた。
僕の村にも門番は居たけど、実は門兵さんを見るのは初めてなんだ。
そう、門は門でも彼らはこの町の兵士さん。
村の門番を目指していた僕からすれば、現役の門兵さんのお仕事を間近で見られるというのはとても魅力的な職業見学だったのだ。
そうしてやってきました取調室。
防壁の内部に作られた石造りの重々しい造りとなっております。
窓の類は無く、閉鎖的で圧迫感のあるとても魅力的な取調室と言えよう。
中央に置かれた木製の机を挟んで腰を下ろすと、遅れて若い女性の門兵さんがお茶を出してくれたので、これ幸いと一気に飲み干した。
「はあ~、とっても美味しいです」
適度な苦みと風味が口内に広がる、ほっと落ち着くような味わい。
この疲れた体に染み渡る深みは、リフィーラの葉だろうか。
僕の豪快な飲みっぷりに気を良くした班長さんが「そうだろうそうだろう」と繰り返しながら笑みを作る。
「酒でも茶でも若い女が淹れてくれたもんは、何でも美味いよな」
そう言ってお茶を口に運んだ班長さんの後ろで、お茶を出してくれた門兵さんがオボンを胸に抱いて涼し気に言った。
「班長。今の台詞、今度奥さんが来られた時にでもお伝えしておきますね」
「──ブフォッ!? ゴホッゴホッ……」
咽る班長さんをよそに、その門兵さんは微笑みながら僕に手を振って部屋から出て行ってしまった。
「だ、大丈夫ですか」
「ああ、すまん。問題ない。俺の嫁はまだまだ若いからな」
僕は笑いを堪えるのに必死だった。
頭を抱えながら言い訳をされても、それを言う相手は僕じゃありませんよ。
「……ゴホン。俺はこの東門を任されているアーバンだ」
ズズズともう一度お茶をすすったアーバンさんが取り繕うように喋り始めたので、僕もそれに倣う事にした。奥さんとはじっくり話し合って欲しいものである。
「僕はルカと言います。あの、先程はお騒がせしてすみませんでした」
門での騒ぎについて謝ると、アーバンさんは首を横に振った。
「その件はもういい。だいたい討伐されているのにあいつらも騒ぎすぎなんだよ。だがまあ嘘は頂けねえな」
「うそ、ですか?」
「ああ、あのレックスウォーウルフはAランクの魔物だ。とてもお前みたいな子供に倒せる相手とは思えん。差し詰めあの三人と相打ちしたってとこだろうよ」
僕は嘘なんか……あ、そうか。
亡くなった冒険者さんの名誉のために、そういうことにしとけってことなんだ。
僕も五歳の時に村の門番だった父さんが魔物からみんなを守るために戦って死んだから、そのあと村の人達にたくさん感謝されたんだ。
だからこれは残された家族のためにってことなんだね。
なるほど。やっぱり町の門兵さんはすごいなあ。
「あはは、ばれちゃいましたね」
「ま、そのぐらいで罪になったりはしないが気をつけろよ。嘘つきは泥棒の始まりだからな」
「はい!」
僕の返事に納得した様子のアーバンさんだったが「それとボウズ」と告げてから、今度は僕のことを上から下まで眺めて何やら言いづらそうに、
「あーお前、金は……その、持ってない……よな?」
「狩りの途中だったもので……。村に戻ればいくらかあると思いますが……あの、入場税ですよね?」
「あ、ああ。まあそうなんだが」
この門兵さんはきっと優しい人なんだろう。
今日初めて会ったばかりの僕のことをとても心配している様子がすっかり顔に出てしまっている。
どこか言いづらそうにしているアーバンさんの不安を払拭するために、僕は自信満々の笑みを湛えて答えた。
「大丈夫です。僕このまま中には入らずに帰りますから」
入場税っていうぐらいだし、入場しなければ払う必要はないよね。
とそんな僕の思惑とは裏腹に、アーバンさんは苦い顔で頭を掻いた。
「いやたぶんそうはならんと思うが、まあ今はいいか」
あれ、僕帰れないの?
きょとんとする僕をよそに、アーバンさんは羽ペンを走らせながらわざとらしく話題を変えてきた。
「ところでボウズはどっから来たんだ? 村っていうぐらいだし、この町の人間じゃないよな」
「あ、はい。僕はエルル村から来ました」
「……っ、お前それって」
思わず書類から顔を上げたアーバンさんが眉間にシワを作った。
きっと一ヶ月前に起きた魔物の襲撃のことを思い出しているのだろう。
この町からも騎士団の人達がたくさん現場検証に訪れたので、情報はしっかり伝わっているようだ。
「たぶんアーバンさんのご想像されている村で間違いないと思います」
「そうか」
そう。僕の村は、一月前の豚の襲撃で滅んだんだ。
羽ペンを置き、胸の前で腕を組んで背もたれに寄りかかったアーバンさんが、考え深げに息を吐き出す。
「確かに生き残りは一人だけって話だったが、まさかこんな子供だったとはな。お前よく一月も生き延びたな」
「小さい頃から狩りの仕方とかを教わっていたから、でしょうか」
「ふむ、それでも運がよかったと思うがな。あの森じゃあお前みてぇな子供は三日もちゃあいい方だろ」
さすがにそれは言い過ぎだと思う。
僕はずっと母さんと二人暮らしだったということもあって、一通りのことは全部自分で出来てしまう。それに加えて畑には未だに村のみんなが残した収穫前の作物が大量に残っているので、当分の間は食べ物に困ることもない。
初めてだったけど、無事にここまで来られたしね。
町の中を見られないのは残念だけど、取調室に入ることが出来ただけで僕は大満足だ。
「僕冒険者になりたいんですけど、十五歳になってからじゃないと無理だって騎士団の人に言われて、それであと半年だから村で待つことにしたんです」
僕の父さんは元冒険者だった。
たまたま受けた依頼で村に訪れて母さんに一目ぼれし、口説き落としたそうな。
父さんがまだ生きていた頃は、よく色んな冒険の話を聞かせてもらった。
だから僕も父さんが居なくなるまでは、冒険者になるつもりだったんだ。
でもまだ僕が五歳の時に村を襲った魔物の集団に、父さんは一人で立ち向かって死んだ。
後から聞いた話によると、他に死人どころかケガ人も居なかったそうで、父さんはたった一人で村を救った英雄だと、僕と母さんはとても感謝されたんだ。
僕はそんな父さんに憧れて村の門番を目指し、一月前の襲撃でその夢は儚く潰えてしまった。
そして、お金を稼ぐために子供の頃に憧れたいた冒険者になることにしたんだ。
「いやお前あと半年て。冬越しはどう考えても一人じゃ無理だろ」
僕らの住んでいる地域は、冬になると深い雪で覆われて人の行き来が完全になくなる。もしそんな状況でまた魔物に襲われでもすれば、次は春になるまで助けには来られないと騎士団の人にも言われてしまった。
だけどその騎士団の人達が村に到着したのは、襲撃から一週間が経ち、何もかもが終わった後だった。
本来であればそれも随分と早い到着だったらしい。
今更彼らのせいにするつもりはないけど、冬のあいだ家にこもるのは魔物も一緒なのだ。どんなに狂暴な魔物でも、自然の驚異には敵わない。
元々母さんと二人暮らしだったんだし……って、あれ。
もしかして僕、からかわれてる?
子供と言っても十四。それもあと半年で一人前となる年なんだ。
一人暮らしぐらい僕にだって出来るよ。
いくら何でもバカにし過ぎでしょ。
「こう見えて僕は剣士なんです。森の魔物ぐらいへっちゃらですよ」
「お前なあ」
腰に差した木の棒をここぞとばかりに見せつけてやると、アーバンさんは大きく息を吐き出して頭を抱えてしまった。
並の冒険者でも手を焼くと言われる『ヴィズの森』の魔物相手に、この少年は棒っ切れ一本でいったい何が出来るというのか。バカにも程がある。
脳天に致命傷を受けて仕留められていた魔物の死体。
カマは掛けてはみたが、やはりただの子供にそんなことは出来るはずがないと、アーバンは自分に言い聞かせた。
そして、タイミングを見計らったかのように扉がノックされる。