私の幼馴染みは、少々心配性である。
暖かな昼下がり。私は1人、中庭にあるお気に入りの木の下で本を読んでいた。
中庭はカフェテラスから遠く、人があまり来ない。そのため程よく静かで本を読むにはもってこいの場所だ。
「シ……ア。」
時々人の話す声が小さく聞こえる。それ以外は木々が葉を揺らす音と鳥の鳴き声、本のページをめくる音しか聞こえない。
「シ…ィア。」
柔らかな風が緩やかに私の周りを通り過ぎていく。木陰にいるからか、風が少しだけ冷たく感じる。ふわりと香るのは土と草の匂い。
風に揺られて木漏れ日が本に光を差しては消えていく。なんだかダンスを踊っているみたいで可愛らしい。
ゆっくりと本を読み進めていく。今日の本はアタリのようで、気分も上がる。
「シルヴィア。」
ページをめくる直前、ふと誰かに名前を呼ばれた気がして本から顔を上げた。入り口の方へ視線を向けると、そこには太陽の光を反射させてキラキラと輝く白銀色の髪を遊ばせた美少年がこちらに向かって来ている所だった。
「ルシアン様…。」
その姿はなんだか物語の一場面のようで、相手が私でなければうっとり出来るのにと溜息が零れる。ちょうど読んでいた本が美男美女の恋愛物であったのも相まって、ガッカリしてしまった。
「やぁ、シルヴィア。」
テンションが下がった私に構うことなくニコニコと微笑むこの綺麗な顔の彼は何を隠そう、1つ年上の私の幼馴染みである。
キラキラしい彼は、木陰で本を読んでいた私にとって日差しも相まって若干眩しい。私は目を守るために隣を空けて、彼を招いた。
彼は1つ頷いて、私の隣に腰を降ろす。しかし眩しさは減ったものの、未だキラキラしているのだから、整った顔の持ち主には恐れ入る。見慣れた顔ながら改めて感心していると、彼はそんな私に気付くことなく私を見つめていた。
「ルシアン様?」
じっと見つめてどうしたのかと名前を呼ぶと、彼は垂れ目がちな薔薇色の目を更に緩めて顔を近付けてくる。
彼の距離感は人のそれより近いらしく、勘違いする女の子が後を絶たないとこの間友人が言っていたことを思い出した。
今読んでいる本のヒーローも距離が近くてヒロインの女の子がドキドキしていたなと思う。
私は慣れてしまっていたが、よく考えると吐息がかかる程傍に寄って話をするいうのは確かに近い気がする。幼馴染みとして注意すべきだろうか、と考えていると彼は囁くように声を出した。
「どうしたの、シルヴィア。」
「いえ、どうしたのではなく、私の顔に何か付いてます?」
肌に触れる息がくすぐったくて少し離れるが、彼はお構い無しにその距離を縮めてまた話し始める。
「ううん。いつものシルヴィアだよ。今日もシルヴィアの目はパライバトルマリンみたいに綺麗。」
「はぁ、そうですか。」
希少な宝石に例えられて少々気恥しい。そういえば、小さい頃くすぐったいから少し離れて話してと伝えた時、瞳の色が綺麗だからつい近くで見てしまうのだと言っていたように思う。
気を付けるね、と言っただけで改善はされていないように見受けられるが、まぁ、中々癖というものは治りにくいというし、仕方ないのかもしれない。
しかし最近はなんだかゾワゾワする事もあるから困ってしまう。私がくすぐったがりだと知っているのに。
「ルシアン様。」
これは今こそ注意すべきかと彼を見上げると、彼は私の髪を指で梳いて遊び始めた。いつもの事ながら脈略の無いことをするなぁと苦笑が零れる。昔からあちらこちらへ関心が行く人だった。
「シルヴィアは本当に綺麗な色を持ってるね。髪も蜂蜜みたいで凄く美味しそう。」
何故かは知らないけれど、彼はこの緑色の目と茶色の髪が大層お気に入りらしい。別にどちらも珍しくもない色だというのに。
「いつも言っていますが、私の髪は食べ物ではないですよ。」
小さい頃は美味しそうだと言われる度に食べられてしまうのではないかと戦々恐々としていたが、口に入れられた事は1度もないので、注意はするも好きにさせていた。
物語に出てきた女の子は確か、ハニーピンクだったな、と羨ましく思う。綺麗な髪と、瞳の女の子。
彼女は好きな人のために苦難を乗り越えて行く途中だった。続きはどうなるのだろう。
「なんだかいつもよりボーッとしてるね。」
頬に手を添えられ彼の方へと顔を向けさせられる。視界に彼と青空が入ってきて、膝の上に乗せた本へといつの間にか視線が行っていたと気付いた。
会話の最中に違う場所へ意識を向けるのはいくら気心の知れている幼馴染みとはいえ失礼だったと反省する。
「すみません、物語の続きが気になってしまっていて…。」
そう言ってから、これではただの言い訳だと気付く。本に心を奪われているのは事実だが、彼を責めている様に聞こえてしまったかもしれない。
慌てて言葉を付け加えるようとするが、分かっているというように眉を下げながらも微笑む。
「シルヴィアは本当に本が好きだね。でも、僕は凄く心配。また本に釣られて誘拐とかされない?」
彼の中では私はいつまでもうっかりものの子供らしい。小さい頃1度だけあった誘拐事件(仮)をまだ覚えているとは。
「またって…。いや、されませんよ、流石に。」
実際には誘拐ではなく本好きの商人から話を聞き、1人移動図書館へと足を運んだのだが運悪くその日は移動の日で、本に集中していた私は閉館時間に気付かず、司書さんも物陰にいた私に気付かず、そのまま別の領地へと運ばれてしまったのだ。
司書さんが私に気付いた時には大事になっていて大変だった。私には誘拐されたという認識はなかったし、司書さんだって誘拐したという意識はない。完全に不運な事故である。
だから別に怖くなかったのだけれど、父や兄、使用人達に泣きながら抱きしめられた時は申し訳なさでいっぱいになったのを覚えている。
彼にも多大な心配をかけてしまったようでその日から半年くらい何処に行くにも着いてきていた。いやその後も出来る限り一緒に居てくれた気がする。
もしかしたら彼の過保護が今も続いている原因かもしれない。彼は1度懐に入れたものをとても大切にする人なのだ。
「本当に?顔見知りとかに希少な本があるからって言われても?」
彼の柔らかな声が不安気に揺れる。私は安心させるように大きく頷き、力強く告げた。
「平気です。ちょっと考えてしまうかも知れませんが、着いて行きません!」
「シルヴィア…。」
彼は益々心配を募らせたらしい。おかしい。きちんと着いていかないと宣言したというのに、何故だろうか。
私はどうしたらいいか分からず彼を見つめる。彼も私を見つめる。ぱちぱちと長い睫毛を瞬かせ、不安の色を乗せたまま彼は言った。
「大丈夫?結婚する?」
「いいえ、大丈夫です。」
いつもの事ながら、彼の心配性には困ったものである。