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擬アポロオン綺譚  作者: 毛野智人
第一章 十四夜の邂逅
3/6

(二)

 滝沢(たきざわ)五平(ごへい)の通夜は五平の自宅で執り行われた。

 故人は奉公先の米問屋で番頭として勤め上げた仕事一徹の人だったから、通夜に参列するのは米穀商の関係者がほとんどで、五平の近所の住人の他は、久保田家とも顔見知りの人ばかりだった。

 坊主が経を上げている間、五平の妻が啜り泣く声が聞こえて蔵通は何となく心苦しくなったが、経を上げ終わると、悲しんでばかりいられない、とでも言うようにその後の仕切を気丈に務める細君の姿を見て、女性の強さに感心したのだった。

 その夜は食べることが大好きだった故人のためを思ってか、却却(なかなか)豪華な食事が振る舞われた。酒のせいもあり、通夜とは思えぬほど明るく、賑やかで、場は宴の相を呈していた。蔵通も何杯か勧められたので飲んだが、それ以上を確実に肚の中へ収めて良い感じに酔っている年寄り連中の興に溶け込むことは出来ず、そっと(かわや)へ行くつもりで席を立った。

 用を足して、座敷に戻ろうと廊下を渡る。酒が入ってやや火照った体に足裏から伝わる床のひんやりとした冷たさが気持ち良い。

 外を見ると、庭の草が月明かりに照らされていた。

 夜とはこんなに明るいものだったろうか。

 光に釣られて空を見る。満月が皓皓(こうこう)としている。

 雲はなく、空気が澄んでいて余計に明るい。

 ふと目線を元に戻すと、庭の向こうの門の方に人影があった。

 門に隠れてよく見えないが、その人も月を見ているようだ。

 一体こんな小さな町の、それも通夜をしている家に何の目的があるのか。もしかしたら道すがら月を見に立ち止まったのが偶然この家の前だったのかもしれないが、蔵通は(いぶか)しみ、その人影を凝視してしまった。すると、その視線に気が付いたのか、黒い影も蔵通の方を向く。そして、門の前から庭の端へ踏み込んできた。一歩毎に黒い影が光の中に露わにされ、確かに人間が現れた。

 それは、少年だった。

 (わらべ)でもなければ、大人でもない。

 少年と呼ぶに相応しい形の者が、そこに居た。

 黒い外套を纏っているから、その姿は半ば夜陰に溶けてしまっているが、顔は月明かりに晒されていた。月光のせいなのか、少年の顔は青白く映り、夜の薄暗さから浮き立っている。だが違和感は全くなく、夜闇によく馴染んでいる。まるで景色の一部のようだ。

「どなたか、お亡くなりですか」

 青白い顔の、青白い唇がそう言った。

 景色が話しかけてきたことに驚いて、蔵通はしばらく言葉を失っていたが、慌てて、ああ、と返事をした。

「この家の爺さんが亡くなった」

「ご病気ですか? それとも、事故か何かで?」

「事故だそうだ。転んで」

「そうですか。それで今夜はお通夜を?」

「そうだ」

 少年は黙って再び空を見上げた。

 随分と整った顔立ちだ。

 雛人形の内裏のようだと思う。

 無駄な造作のない、白面。

 その眼差しは真っ直ぐに空に浮かぶ光の主を見ている。

 似ているな、と蔵通は思った。

 月とこの少年はとてもよく似ている。

「今夜は月が綺麗ですから、故人もお喜びになることでしょう」

 少年は今宵の空気と同質の澄んだ声で言った。

「ああ。満月だしな」

 蔵通がそう同意すると少年は一瞥をくれて、突然お尋ねして申し訳ありませんでした、と頭を下げた。

「僕はそろそろお(いとま)させて頂きます。故人のご冥福をお祈り申し上げます」

 頭を上げて立ち去ろうとする少年を蔵通はおい、と呼び止める。何か用でもあってこの家に来たのか。何者なのか。

「お前は――」

「ああ、そうだ」

 蔵通が誰何(すいか)しようとしたのを遮って、少年は言った。

「今夜は満月ではありませんよ。正しくは、明日が満月です」

 涼やかな声の響きが空気に残って、蔵通が気付いたときには少年は既に消えていた。

 蔵通はしばらく惚けたようにその場に突っ立っていた。

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