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リタイアしたのですけど、幸せになれました

作者: 猫の人
掲載日:2017/01/29

「この役立たずが! クビだ! もう二度と来るんじゃねえ!」





 新卒の私がようやく就職した企業は、ブラック企業でした。



 私が大学を卒業するころは就職難の時代で、就職先を選べる状況じゃありませんでした。

 そんな中で見つかった就職先です。いい噂は無かったのですが、それでも無職よりはいいと信じて私は頑張って働きました。大学に在学していた時から付き合っていた恋人、妻となった人の為にも胸を張れる自立した大人でありたかったのです。



「売り先が見つかるまで帰ってくるな!」

「はぁ!? この程度の仕事に何時間かけてる!! 残業代? 払って欲しけりゃもっと早く仕事を終わらせろ!!」

「休日とかふざけたこと抜かすな! 休む暇があれば得意先の所に行くんだよ! コネも何もないくせに一人前に休ませろとか、やる気があるのか!」


 毎日毎日、遅くまで働きました。

 何年も頑張りました。


 妻に心配されても、生まれた子供と遊ぶ時間が取れなくとも、それでも働いて。


 私は、心労と過労で倒れたのです。



 病院に見舞いに来たのかと思った上司は、私に怒鳴り散らすとそのまま帰っていきました。

 同じ病室の方や看護師さんたちには申し訳なさから頭を下げて回る羽目になりました。


 私が倒れたことでいくつかの仕事に支障が出て、それを理由に私はクビになったのです。円満退職でもありませんし、退職金も貰えません。

 いえ。

 法に訴えれば良かったのでしょうが、当時の私にそのような考えを持つ余裕はありませんでした。むしろ、これ以上関わりたくないとさえ思ってロクな引継ぎも行わずに退職をしました。


 さすがに取引先の方々への挨拶だけは、退院後にしました。

 皆さんは揃って倒れた私を労わる言葉を下さり、担当が私ではなくなることを残念がってくれました。そうやって取引先の方に仕事を認めてもらえた事だけが、あのような仕事をしてきてよかったと思える唯一の事です。





 さて。

 そうやって無職になった私ですが、いつまでも無職のままではいられません。すぐに次の就職先を探すことにしました。


 そうすると、今度は妻が田舎で農業をしてはどうだと勧めてきました。

 一般的には会社に勤めるよりも収入が下がると言われる農業ですが、前の会社は残業代もろくに出なかった事もあり、収入はそんなに多くありませんでしたのでそう違いはありません。むしろ、就農支援や過疎化問題と後継者問題もあり、会社に勤めるよりも良い条件のところさえありました。


 私は妻の勧めに従い、家族3人で引っ越しを行い農家になる事にしました。

 行先は、山間にある過疎が進んだ村でした。





 農家になる事は大変な事でしょうが、私は農家としてではなく、会社にいた時と同じ営業職を任されました。



 一口に農業といっても、現代は工業化とブランド化の波に飲み込まれていました。

 その結果として村の農家が集まって会社を興し、分業が行われるようになっていたのです。ただ農協に助けてもらうのではなく、自分たちの力で生きていく必要があったのです。


 私は過労で体を壊した事もあり、肉体労働に準ずる作業に耐えられないだろうと判断されたのです。

 御年配でも見るからによい体格をした方々と比べられてしまえば私の身体はもやし未満です。言われてもしょうがないです。

 ですが戦力にならない、役立たずだと言うのではなく、私に見合った仕事を考えてくれました。


「みんなと助け合って会社作ったんだ。仲間を馬鹿にしてどうすんだ? あんたにだってできる事、有るだろ」


 助け合う事が当たり前。

 そんな彼らに私たち家族はとても助けられました。





 また、田舎暮らしというのもそこまで悪いものではありません。


 近くにスーパーなどは1軒しかありませんし、コンビニの類は全滅です。

 ですがネットで欲しい物を買える現代では店舗が無い事は苦になる事ではありませんでした。普段と少し違う、その程度で済みます。


 若い人が少ない所では村の自治組織への参加がほぼ強制だったりしますし、仕事以外の「善意のご協力」に多くの時間を取られます。

 私も自治会と消防団への参加を強く願われましたし、参加しています。

 ただ、出来ない事を無理矢理やらされるわけではありませんし、何かあれば休むこともできます。それに何より、人口の少ない農村では自分たち以外にやる者が無く、自分たちがやらねばならない事なのです。参加は理不尽な要求ではありません。



 それよりも助け合いをしてくれる隣人の方が大事です。


「多くできたからね、お裾分けだよ」


 我が家の状況を知っているご近所さんは、何かと作物を持ってきてくれます。

 これは言葉通りの意味ではなく、こちらに顔を出すことで私たちが何か困っていないかを確認するための物です。


 元から村民だった方たちと違い、私たちは新参者です。

 何かあった時、付き合いが長ければそれを察することもできるでしょうが、付き合いの浅い私たちの場合はそれができずに助けられなくなるかもしれない。営業担当の私には村の仲間の、そんな思いが透けて見えました。


 助け合わねばやっていけない土地柄で、自然と助け合うようになっていったのだと思います。

 ですからそこに住む私たちも協調性を発揮し、みんなの助けになれるように努力していこうと思えました。





 そんな土地柄でしたから、こんな時も助けてもらえました。


「お前の手掛けた仕事だろうが! 自分の仕事のケツぐらい、自分で拭け!」


 元上司が、我が家に殴りこんできた時の事です。



 私が会社をクビになり、ロクに引き継ぎを行わずに退職したのは確かな話です。

 ですが引き継も行わず病院で翌日から来るなと言われたのも事実なのです。

 それに会社にある私の使っていたPCにはToDoリストが作成してありました。それに従い仕事をすれば、ミスなど発生しないはずだったのです。


 元上司は私のPCを確認してなかったためにやるべき内容を理解できずに仕事を進め、結果として発注漏れから会社に大きな損害を与えた様です。そして、かつての私のようにクビになったと。



 元上司は私と違い、鍛えられた体つきをしていました。殴り合いになった場合、私は一方的にボコボコにされるでしょう。

 ですが、騒ぎを聞き付けた、珍しい来客が私に来たことを知ったご近所さんが駆けつけてくれました。


「あんちゃん、大丈夫か?」

「ありがとうございます。おかげさまで助かりましたので、怪我一つありませんよ」

「そっか。そんなら良かった」


 そのご近所さんは、村の猟友会に所属するとても強い方でした。

 熊などを相手にすることはありませんがそれでも鹿などの大きな獣を狩る為、普段から森に足を踏み入れるような凄い人です。

 たとえ鍛えてはいても車に頼りデスクワークの多い会社員では敵わなかったようです。


 元上司はそのまま傷害未遂など(・・)で警察に連れて行かれ、被害者という事で私も事情聴取を受けました。

 元上司は私以外にすでに当り散らしていたようで、私に会う前はすでに執行猶予状態でした。むしろ、そうなっていたから私のところに来たのかもしれません。

 ですので、その件で懲役5年の刑罰を受けるようです。情状酌量の余地はありませんでした。





「おや。売って頂いた食材、好評ですよ。今後もよろしくお願いします」

「こんな食材ありませんか? ああ、それですか。では試作の分を売っていただけますか? ええ、上手くいったら発注をかけさせてもらいますね」


 私は昔の伝手などを使い、個人営業の飲食店を中心に野菜を売り歩くことをしています。

 知り合いの知り合いというあまり関係の無い方たちですけど、「あの人の勧めだし」と話を聞いてもらうところまで助けていただいています。


 話を聞いていただけるようでしたらあとは私の頑張りです。

 誠実に、要望に無理なく応えられるように、互いに利益があるようにと商談を進めます。

 その結果、いくつものお店と専属契約を頂きました。


 村の皆の作った農作物は素人目にも良い出来ですし、営業が頑張れば売れる、そういった品です。

 契約を結べるのは私自身の力であり、村の皆さんの頑張りによるものです。みんなの努力の結果です。



 作物が売れれば、その分だけ私の収入も増えます。今では会社にいた時より多くの給料を頂いています。本当にありがたい事です。


「ぱぱ、ぱぱ。だっこ」


 そして今では息子と一緒にいる時間があります。

 この時間こそ、何にも代えがたい価値があります。


 ただ、ですね……。


「お、ぼっちゃん! こっちで遊ばないかい? 新しいおもちゃを買ったんだよ」

「それよりも獲れたての苺はどうだい? ほっぺたが落ちるぐらい美味しいよ」


 村の年輩の方に息子が大人気なのです。村の中で唯一の幼子ですから。アイドルのようなものです。

 本来は喜ばしい事なのでしょうが、その裏に自分の家の仕事の後継者にしようという思惑が透けて見えましてですね……。甘やかし過ぎのような気がするのです。

 どう対応するのがいいのか悩んでしまいます。



 私は一度リタイアした身ですが、新しい生活を始めて幸せになれました。

 これからもずっと幸せであるようにと願わずにいられません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 元上司ざまぁ♪ そしてそれをきっかけに労基の捜査の手が♪
[良い点] ブラック企業をやめてからの逆転劇が爽快で良かったです。 [一言] ありがとうございます。
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