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第三章『重なる手③』

 ファングは、アランがいる部屋の前に立つと、おもむろにドアをノックした。

「アラン…? いるんだろ。眠っているのか?」

 何度も呼びかけているのに、さっきからまったく応答がない。

 ここ最近ずっと引きこもっていると聞いたから、間違いなく部屋にいるはずなのに。

 つまり、居留守を決め込んでいるんだろう。


「入るぞ」

 一応、断りを入れておいて、ノブに触れた。

 そのとたん、かちゃんという金属音と共に錠が外れる音がした。

 中に足を踏み入れて、ぐるりと周囲を見回してみる。

 …ずいぶんと簡素な室内だ。

 アランらしく、無駄なものが一つもない。

 フェルディナンと王宮に住むようになって以来、ずっとこんな質素な部屋にいたのかと思うと、それはそれで胸が痛む。

本来なら、アレクシア・クリスタ公女として、華やかな日々を送っていたのだろうに…。


 中に誰もいないのを確認して、彼はさらに隣の寝室をノックした。

 もちろん返事はない。

 仕方がないので、ファングは再びドアのノブに触れると、勝手に錠をはずして寝室のドアを開けた。

「…いるのか?」


 ベッドの上で、アランが頭から毛布をかぶって眠っていた。

 やれやれ、と息をつき、ベッド端に腰を下ろしたファングが、半ばむりやり毛布を掴んではぎとった。

「わあっ!」

 とたんに、アランの叫び声が響く。

 ファングは、呆れた顔で肩をすくめた。


「…なんだ、不貞寝か」

「ううう、うるさいっ。そっちこそ勝手に入ってくるなよ!ファミリアの力はそういうことに使うものじゃないだろう?! 王子を覚醒するための力をこんなことに使うなんて無駄遣いだ!」

「…正しいことにしか使わない。ドアをノックしたのに返事もせず居留守を使うのは正しい行いじゃない」

「くっそ。ムカつくっ」

 赤くなったり、青くなったりしながら、アランは悔しそうに唇をかみしめた。


 妙に深刻な顔になったファングが、ベッドの端に座って、こちらを覗き込んでくる。

「…なにか怒ってるのか?」

 その口調は、ファングのものではない。

 ──今ならそれが分かる。

 彼の中に《ヴァン》がいるのは明白だ。そのことを確信して、アランはそっぽをむいた。


「私は落ち込んでいるんだ! まさかお前の中にヴァンの魂が入っているとは知らなかったから、…私ときたら、いろいろ恥ずかしいことをまくしたてて…取り乱して…今とんでもなく激しい自己嫌悪に陥っている」

「あー、」

 なるほど、と彼が頷いた。


「たしか君は、ファングの前で『ヴァンが好きだ』と告白したんだっけ? 『彼の死を信じきれなくて、彼の復活を望んでいる』と。『その可能性が少しでもあるのなら、どんな手を使ってでも、手がかりを掴みたい』と──そう言ってたよな?」

 目の前で、ファングがにやにやと笑っているのは、決して見間違いじゃない。

 その表情が、まぎれもなくヴァンのものと重なって、アランはますます苦虫を噛み潰したような表情になった。


「そんなこと覚えてない。忘れてくれていい!」

「そうか? 子供の頃から敬愛していたアレクシア公女に愛の告白を受けるなんて。オレにとっては、こんな光栄なことはないけれど」

「過去の幻想だ。アレクシア公女はもう存在しない」

「…」

 ベッドの上でふて腐れている様子に、ファングの双眸が暗くなった。


「オレにとっては、お前がアランでもアレクシアでも、ほかの誰であっても関係ない。…オレはお前の半身になるって伝えたろ? ちゃんと助けるって」

 その言葉に、アランはじっと彼を凝視した。

 たしかに、そう言われた記憶はある。

 けれど…

「あれは、《ファング》の言葉だと思ってた」

「《ファング》の心と体の中に、オレが間借りして、時どき入れ替わってる感じかな」

「そう、か。…じゃあ、ヴァンが目覚めるまで、ずっとこんなヘンテコな状況が続くってことか」

「…はは」

「何がおかしい?」

 アランは、首を傾げた。

 目の前で、ファングが困ったように笑っている。

「いや、少しは寂しがってくれてるのかなと思って」

「…べ、別に! そういうわけじゃ」

「愛してる」

「――」

「キスしたい」

「いや、ムリ!」

 アランは、即座に拒絶した。

 少し怒ったように、潤んだ瞳が彼をとらえる。

 拒絶の理由が多少なりとも分かる気がして、ファングが食い下がる。


「《アラン》のままなのがイヤなんだろ。それならファミリアの力を借りて、君を女性の姿に戻せば」

「絶対ダメ!」

 さらなる強い拒否と共に、アランは近づいてきた彼の唇を手のひらで抑えた。

「その力は眠っているヴァンのために使うべきものだ!」

「その《ヴァン》がいいと言ってるんだから。…でなきゃ、いつまで経っても君にキスできない」

「じゃあ、しなくていい」

「…アラン、」

 ファングの姿を借りた男が、明らかに落胆する。

 その様子に同情することなく、アランは唇を尖らせた。


「私も《ファング》とキスするのはいやだ。お前の中には、今もちゃんと《ファング》がいるんだろ? それなのにキスするって?!」

「…オレの中にいるファングが、今オレたちを《見て》いる」

「ますますムリ!

 ふいっと顔をそむけると、片手で顎をつかまれて引き寄せられ、リップ音を鳴らして口の端にキスされた。

 とたんに真っ赤になったアランが暴れだし、それをなだめるのにさらに苦労を要した。


「君のために力を使うことは、無駄でもなんでもないんだよ。たとえプリンシパル・ヴァンの復活が遅れようとも」

 その言葉の意味が、ようやく分かった気がして。

 アランは、ぱちくりと目を開いた。

「もしかして、私が男でいられるのは、お前のせいか? ヴァンの中のプリンシパルの力がそうさせてるのか?」

「君が、男のままでいたがってたから。それを望んでいるだろうと思って」

「!」

「──以前、アレクシアの姿をオレに見られて逃げ出したことがあっただろう?」

「…そういうことか」


 祈祷室で。

 ヴァンが凶弾に倒れた時。彼は自身が持つ潜在的なファミリア力で、アランを男にしてから死んだのだ。

 …彼はいつだって、アランにとって最良の選択をする。

 それが正しいかどうかは別として、アランを望むものを与えようとする。

 思えば、幼い頃から、そうだった。

 あれはすべてアレクシアが持つファミリアの力かと思っていたけど。…もしかしたら、ヴァンの中に眠る花槽卿の力だったのかもしれないと今さら気づいて、思考が真っ白になった。


「つまり私は、ずっとお前に守られていたのだな」

「ショックか?」

「まぁそれなりには。…私はずいぶんと己の力を過信した子供だったということがよく分かった」


 サキソライトの腕が腐らないのも、おそらくヴァンの力によるものが大きいのだろう。

 ヴァンの花槽卿としての潜在能力と、アレクシアとファミリアの密接な力が合致して、制御する力が狂ってしまっていたのかもしれない。


 そう考えると、ファミリアを操るアレクシアの力など、プリンシパルには到底及ばない些末なものに思えてくる。


 そんな時。

 ファングが、無言で空色のストールを差し出してきた。

 アランが撃たれた時に、心臓を止血したものをファングが預かっていたのだ。

 ヴァンの母からもらった空色のストールは血に染まり、いくつもの茶色い染みができている。

「悪かった。汚してしまった。せっかく大切にしていたのにな」

「あぁ、」

 アランは苦笑して、ストールを受け取った。

 消えることのない血痕が、当時の凄惨さを思い起こす。

 アランは、自分の心臓に押し付けるようにストールを抱きしめた。

「…今さらだけど…助けてくれて、ありがとう、《ヴァン》」

「こちらこそ。生きててくれてありがとう、アラン」

 ファングが笑った。


「私は、考える。ヴァンのためにも、フェルのためにも、国王を殺さずにプリンシパルが目覚める方法を探すつもりだ」

「こちらへ」

ファングはアランを手を引いてベッド脇に立たせると、恭しくその足元に跪いた。

「…なんだ?」

「本当なら、君がアレクシアの姿である時にすべきだろうけど…オレも今は《ヴァン》じゃないから、格好つかないけど」

「なに?」


「プリンシパルの復活も、国王殺害も、あなたがそれを生きるための糧とするなら、そうしたら良い。いくらでも力を貸しますよ。アレクシア・クリスタ公女」

「…」


 もうこれ以上、悲しいことや辛いことがないように…

 いつも前を向いて走る先に、鮮やかな光がありますように…

 アランに生きる目標があるのなら、たとえそれが人の道に反していようとも、共に倒れる覚悟はできている──

たとえ…


「ヴァン・テ・ラトュール・バフィト王太子殿下」

 と、アランがその名を呼んで、微笑した。

「あなたに殿下と呼ばれたくありません。…あなたに初めて会った時、生涯の忠誠を誓って、今日まで生きてきた。オレは、あなたの前では常に、あなたを慕う一介の騎士に過ぎないのです」


 たとえ、どんな未来であっても──



「ヴァン。あなたにファミリアのご御加護を。常に健やかで平和でありますように」


 その声音が、柔らかく耳に届く。

 小さい頃から何度も聞き覚えがある、心が温かくなる、優しい呪文の言葉だった…



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