第二章『再会①』
リディナとは数カ月ぶりの再会だった。
しかも駐屯地で会った時とは別人のように着飾っている。
美しいドレスに身を包み、丁寧に整えられた髪を肩まで垂らした彼女の横には、あろうことかフェルディナンまでいて、その仏頂面にさらに驚かされた。
10人近いそば付きを従え、まるでどこかの女帝かなにかのようなふるまいの彼女に、アランは目を丸くしながら歩み寄った。
「おひさしぶり、アラン」
「…なぜ、あなたがここに?」
アランの疑問がよほどおかしかったのか、彼女はけらけらと笑った。
「だって私、プルーデンス王太子の婚約者だもの」
「は?! まさかリトシュタイン帝国の第四王女ってあんたのことか?!」
「そんな大声を出さなくても聞こえているわ。答えはイエスよ」
「…っ」
完全にだまされた気分だった。
まさかという思いだけが、胸内に溢れてくる。
それなのに、警戒心まるだしのアランをよそに、リディナはあっけらかんとして城内を見回した。
「ヴァンは、ここにはいないのね」
「え、」
「遠征中なんでしょう? しばらく戻ってこないと聞いたわ。久しぶりにお会いしたかったのに」
「…リディナ」
「あぁ、ご心配なく。プルーデンス王太子については調査済みよ。国王の隠し子なんですってね」
「第二王子だ」
とふてくされたフェルの傍らで、
「いえ。間違いなく王太子です」
と、ファングが肯定したせいで、じろりと冷たい視線を受けてしまった。
そんな彼らに微笑し、彼女はまっすぐにアランを見た。
「あ、それからアラン? 私の本名はサキソライト・シュガン・シュヴァルツェンよ」
「はい?」
「リディナ・カーマイトというのは偽名だから。二度とその名前で呼ぶ必要はないわ」
「──」
アランは、絶句した。
…自分も含めて、どいつもこいつも、ふたつ名だらけだ。
ぶっちゃけ、リディナの本名などどうでもいい、と思いながら、痛み出した額を押さえた。
「…あの騒ぎ以来ね、アラン」
「リトシュタイン帝国の姫君が、まさか駐屯地で軍人として働いていたとは」
「あら、それは差別よ。どこで働こうが私の自由だわ。第四王女なんて自由気まま。時折こうして兄や国のために利用されるだけの価値しかない存在なのよ」
「…兄?」
「皇帝だった父が昨年亡くなったの。今は長兄が皇帝の座についているわ」
つまり現リトシュタイン帝国の皇帝は、第四王女サキソライト・シュガンの実兄。
しかもフェルディナンの婚約者として送り込まれてきたとなれば、怪しいにもほどがある。
なにか裏があるに違いないと疑ってしまいたくなる。
「兄が即位した今でも、私は第四王女と呼ばれていますけど、まぁあだ名みたいなものよ」
「知らなかった。田舎ぐらしが長かったものだから、こういう情勢には詳しくないんだ。…それで、この城にはなぜ」
アランはまじめに尋ねたつもりだったのに。
なぜかサキソライトは、ありえないとばかりに目をむいた。
「まぁ、何を言ってるの、アラン。自分の婚約者に会うために決まってるじゃない」
「だって、でも…つまり王女は、この結婚に賛成なのか」
「残念ながら、私に決定権はないわ。兄が決めることだもの」
「…そう」
「しばらくお世話になるから、よろしくね」
そう言って、すっと左手を差し出してきた。
左手を…。
もともとアランのものだった左の手のひらを凝視し、一瞬だけ固まってしまった。
それでも、
「よろしく」
と自分の手を差し伸べると、思いのほか強く握り返されてしまい、大きく戸惑った。
■□■□
「婚約って本当だったんだ」
フェルディナンの部屋に集合したとたん。
アランとファングは、茫然とした顔でそう呟いた。
「だからそう言っただろ。信じてなかったのかよ!」
むっと眉毛を吊り上げ、フェルディナンがひどいとばかりに声を張り上げた。
「だって、フェルが結婚なんて実感がわかなかったから」
「じゃあ、これで実感したろ。足入れ婚ってやつらしいぜ」
「…足入れ婚?」
アランが首を傾げると、ファングが即座に、
「正式な結婚の前に行う、試験的な婚姻のことですよ」
と、説明してくれた。
「お試しってことか。じゃあ、状況次第では流れることもあるのかな」
「まずないでしょうね。よほどのことがない限りは」
フェルディナンのわずかな期待を、ファングは手厳しく一蹴した。
──まったく面倒くさいことになった。
今はそれどころじゃないってのに。
ジェスターについて調べようと思っている矢先に、厄介者が入り込んでしまった現実に打ちのめされる。
あの婚約者さまに城内をうろうろされては、さらにややこしいことになりそうで不安が募る。
「アランとファングは、駐屯地でサキソライトと会ったことあるんだろう? あいつ、どうなんだ」
「どう、と言われても」
アランは、うまく説明できずに言いよどんだ。
ヴァン王太子の成人パレードで発砲騒ぎを起こした犯人を見つけようと訪れたフィーユの別邸駐屯地で、彼女に出会った。
なぜかアランの左腕を持っていて、暗殺にも加担したと聞いたけれど…
実際は利用されただけ、という印象が強い。
ファングも同じことを思ったのか、視線が合うとすぐさま大きく頷いた。
「しばらく泳がせて様子を見ていましたが、特に怪しいところもなかったので、そのまま無罪放免になったはずです。まさかリトシュタインの王女だとは知りませんでした」
「いくら気ままな身分だからといっても…。もしバフィト王国とリトシュタイン帝国が戦争にでもなったら、どうする気なんだろうな。確実に捕虜になるぞ?」
「わが国が、リトシュタインに勝てるわけがない」
ファングは、苦々しく呟いた。
「軍事力の差は歴然です。おおかたサキソライト王女は《かっこいい軍人になりたい》とか何とか駄々をこねて、お忍びで駐屯地に配属が決まったのでしょうが…」
「リトシュタインに比べたら、バフィト軍など子供の遊びのようなものだからな。気楽に働けると思ったんだろ」
「辛らつだな、アラン」
「事実だ」
ふいっと顔をそむけ、拗ねた子供のように唇を尖らせた。
「つか、そんなにヒマをもてあました女なら、いっそ手伝わせたらどうだ」
フェルの発言に、アランとファングは、
「は?!」
と、声をそろえた。
「ちょうど良かったじゃないか。以前、あの女に恩を売って、国王暗殺を手伝わせるようなことを言っていただろう?」
「あんなのは冗談だ!」
アランはやたらとムキになって反撃した。
「下手すると王女を巻き込むことになるんだぞ。…そ、それに、私はもう、国王暗殺は、考えていない」
「震えた声でウソなんか言うなよ」
「っ、」
「どうせオレに協力させないってだけだろ。さっきもファングと2人で鞭の稽古をしていたくせに。俺に隠し事なんて無駄なんだよ」
「…フェル」
すべてを分かり切ったような彼の態度に、アランはうまい言い訳すら見つからない。
困惑した様子に、フェルはにかりと笑ってみせた。
「オレを画策のメンバーから外すより前に、あの女を使えっての。利用価値は大いにあるだろ。なにしろ軍人だぞ。訓練は死ぬほど受けてるはずだ」
「──お前、呆れるほど、あの王女に関心がないんだな。彼女がどうなってもいいっていうのか」
「当然だろ。いきなり現れて婚約者とか言われても。所詮、お前の腕を横取りした死に損ないにしか見えない」
「!」
「…彼女、左腕があったな」
「あぁ」
確かめるようなフェルの言葉に、アランは小さく頷いた。
──ファミリアはもういないのに。あの左腕は、なぜ腐らないのだろう。
当たり前のような疑問に、フェルが微笑した。
「お前がファミリアの力もなしに男でいられるのと同じ理由だろう。オレはそっちの方が不思議でならない。それを調べるための相談じゃないのか」
「…というか、アランが生きてるから、左腕も存在するって見方もある」
ファングはそう言って、アランとフェルディナンを交互に見つめた。
「アランがもし何らかの理由で命を落とすことがあれば、あの左腕も朽ちるのではないのか」
「その辺りはよく分からないな。サキソライト王女は、《左腕の移植に関わった人物については知らない》と証言したんだろう?」
「…確か『知らない人に移植を提案された』と」
記憶をたどるように、ファングは拳を口元にあてて考え込んだ。
「彼女にもう一度、話を聞いてみようか。もしかしたら何か新しい発見があるかもしれない」
「てゆうか、いっそ『左腕を返せ』と言えよ。あれはお前のだろ。彼女が持っているべきものじゃない」
「…それは、考えたことなかったな」
「能天気だなアラン!」
「だって、」
呆れたようなフェルディナンの罵声が飛び、困惑して声が掠れた。
「だって、相手はリトシュタイン帝国の王女だろう。下手に奪えば、こっちが窃盗罪と侮辱罪で訴えられるよ」
「その腕にくっつけちまえば終わりだろ。まるっと解決」
「くっつけばの話だ。ファミリアの力が頼りにならない以上、移植成功なんて夢に近い。それに、あの腕はもう、私のであって、私のではないのだから」
「まったく難儀な話だ」
フェルディナンとファングは、顔を見合わせてため息をついた。
そんな時。
アランが、ふいに誰かの視線を感じて顔を上げた。
(──今、ドアの前に誰か立っていた気がする…)
そんな気配に促されるように、扉に向かった。
「アラン?」
「悪い。ちょっと用事を思い出した」
そう言うが早いか、そそくさと部屋を飛び出していくアランを、2人は呆気に取られて見送った。
「…厠かな?」
「男子用か、それとも女子用であるか」
「…真顔で言うなよ、ファング。もちろん男子用に決まっている」
フェルは即答して、かかかと笑った。