第一章『落胤③』
その日の夜。
アランとファングはそろって、フェルディナンの部屋を訪れた。
昼間見たアンティナ王妃の様子や、言動。
そして、ジェスターの意味深や行動や発言には、やはり拭いきれない疑心がある。
となるとヴァン王太子の死の真相にも、もしかして謎があるのではないかという気がして納得できないでいると、
「なるほどね。話は分かった」
フェルディナンは机上に肩肘をつき、顎を乗せるような格好で、頷いた。
「確かに。話を聞く限り、その黒マントの男は怪しいよな。おおかたアイツが国王にあらぬことないことを吹き込んで、故意に事態が混迷してるんじゃないのか? 王子の遺体を隠しているのもあいつのしわざかもしれないな」
「やっぱりそう思う?」
アランは、前のめりに身を乗り出した。
心なしか浮かれて見えるのは、どういうわけだろう。
事態がどうであれ、無意識にもめごとに首を突っ込むのはアランの得意技らしい。
フェルは、呆れたように息をついた。
「ヴァンが死んだときの状況を思い出してみろ。あいつはどんな最期を向かえた? ヴァンが凶弾に倒れる寸前、ファミリアの光に包まれたのはなぜだ。そのせいで、お前は男になったんだろ、アラン。あいつは本当に死んだのか?」
「──そのことについては、うまく答えられないけれど。…彼が死んだのは間違いないと思う。間違いなく、あの時に心臓は止まった。私が一番そばにいたんだから本当だ」
確信があるとでも言いたげな口調に、フェルディナンとファングはそろって顔を見合わせた。
今さらヴァンの死の真相を暴いたところで、どうなるものでもない。
しかし、それでアランが納得するのなら、協力を惜しむのは間違っているだろう。
そしてファングもまた、ヴァンの死については、いまだ立ち直れないでいるらしい。
この2人が満足するまで、とことん付き合うのも自分の仕事かもしれないと、フェルディナンには思えた。
「で? これからどうするつもりだ。王立図書室にでも行って、ファミリアが関わった過去の事件でも調べてみるか?」
「それならトランスフィールドに頼めばいい。あの風配師は信用できるし、確実だ。…どうせ書庫の文献なんて、諍いの伝記だの、武勇伝だのと、自国の都合のいいことばかりしか書きつらねてないのだろう?」
「一番大切なことは抹消されてる可能性のほうが高いってことか」
2人の会話を聞いていたアランは、風配師の名前が出たとたん、複雑な思いにかられた。
トランスフィールドとルフトには、もう二度と会わないつもりで別れを告げたのに。
「いまさら声をかけにくいな」
とグチると、
「あいつらは、アレクシアのためなら、二つ返事で動くだろう」
というファングの言葉に後押しされた。
「しかし」
と、ファングが神妙な顔で言葉を繋いだ。
「仮に国王がジェスターにたぶらかされているとして、その秘密を暴いたら、結果的に国王を助けることにならないか?」
「助ける?」
と、アランは首を振った。
「なぜ国王が被害者みたいな言い方をするんだ? 真相を究明する前から、ジェスター1人が極悪人だと決めつけることはできないだろう」
「そうは言うが、…お前は気づいていなかったかもしれないが…ヴァン王太子が撃たれた時、国王はかなり動揺していたぞ。想定外だと言わんばかりだった」
「芝居かもしれない」
「アラン、」
「国王は狙撃者であるジェスターの行為に目をつぶったんだ。なかったことにしようとしているのに、国王だけが許されると思うのが間違いだ」
そのやたらと強い口調に、なにか決意めいたものを感じた。
アランのことだから、ヴァンの死が究明され、遺体が発見された暁には、理由はどうあれジェスターともども国王を殺す気でいるのかもしれない。
それこそ、復讐のために──
(もっとも、それをフェルディナンの前で吐露することはできないだろうが…)
などと思案しつつ、ファングはちらりとフェルディナンを垣間見た。
ところがフェルディナンときたら何やら上の空らしく。
先刻から会話にも入らずに、ひとり思案に暮れている。
「プルーデンス殿下?」
思わず声をかけると、彼は考えごとの邪魔だというようにじろりと視線を上げた。
「そんなことよりさ」
「はい?」
…そんなこと呼ばわりされたのが気に入らず、アランがむっと唇を尖らせた。
「そんなことってなんだよ。ジェスターの正体を暴くことより大切なことがあるのか、今?」
思わず食って掛かろうとするものの、フェルディナンはやはり心ここにあらずという感じで天井を見上げた。
「そんなことより、オレ婚約させられたんだけど」
「えっ?! 誰と?!」
「…リトシュタイン帝国の第四王女だってさ」
意外な言葉に、アランとファングはぽかんと口を開けた。
「リトシュタインって《剣の国》と呼ばれる大国じゃないか」
「それだけではありませんよ。この辺りでは最大の軍事国家です。わがバフィト王国は、あの国をモデルにして軍閥政治を行っているといっても過言じゃない」
「その姫と結婚…フェルが…?」
アランは、いまだ信じられないというように棒立ちになっている。
「というか、あの国といまだに交流があったとは知らなかった」
「まぁ険悪ではないですね。ただ、ファミリア全盛のダリール公国時代ならともかく、婚約して向こうに利益メリットがあるとは思えないのですが」
「第四王女っていうからには、どうせ捨て駒だろう」
「リトシュタイン帝国と繋がりを持ちたがってるこちらに情けをかけて、仲良くしてやろうって魂胆でしょうかね」
「フェルも良いように利用される立場になったんだな。これだから王太子なんて立場は」
などと言い合っていると、
「おいおいおい! オレをそっちのけで勝手に話を進めるな!」
フェルディナンはおおいに不満だというように顔をしかめた。
「なぁ、オレはどうしたらいい?」
「──」
珍しく気弱なことを言う。
そういえば、今までフェルディナンの恋愛話など聞いたことがなかった。
それがいきなり婚約だのと言われれば、その動揺も多少は理解できるというものだ。
うーむ、と思案するかに思えたアランが、
「…えぇと、王女は美人なのか」
と、ファングを見た。
「存じません。幼少の頃はヴァン王子とも親しかったと聞いていますが、私がここに来たときには、すでに交流はなかったように記憶しています」
「ヴァンの幼馴染なのか!」
その事実が、よけいに事態を複雑にしているようで。
アランは、なかば混乱して頭を抱えた。
「まさかと思うけど、その王女は、誰と婚約するつもりでいるんだろう? バフィトの王太子と結婚するつもりが、いきなり目の前にフェルが現れたら卒倒するだろうな。ヴァン王太子はもう死にました、なんて口が裂けても言えないぞ」
「いや、そもそもオレに結婚の意志がないんだけど! オレの気持ちはどうなる?」
とたんにファングが、
「ははは」
と、声を上げて笑った。
「そんなもの! 個人感情より国家が優先されるに決まっております、プルーデンス殿下。なにしろあなたは、このバフィト王国の後継者なのですからね、お忘れかもしれませんが!」
「…まぁそれはともかく」
とアランが口を挟んだとたん。
フェルディナンの逆鱗に触れてしまった。
「ともかく?!ともかくってなんだ。オレが結婚しても構わないってのか?!」
「さっきファングも言ってたじゃないか。仕方がないって」
「…っ。うっ、お前らは、本当に薄情すぎだ」
わざとらしくさめざめと泣きだす様が、かえって滑稽に思えて、アランはファングと苦笑してしまった。
「とはいえ『プルーデンス王太子』の存在はまだ国民には知らされてないんだし。今なら対処のしようがあるんじゃない? 逃げるとか?」
「性格が悪すぎだぞ、アラン!」
まるで子供のようなケンカだ。
ファングは、くすくすと笑ってしまった。
「お気の毒に、殿下。…今のアランはあなたの婚約話よりも、ヴァン王太子の死体探しにご執心らしいですな」
とからかわれ、フェルディナンはますますふてくされて、そっぽを向いてしまった。
□■□■
フェルディナンの婚約話も気にならないわけではなかったが。
正直、今のアランはそれどころではなかった。
──なんとかジェスターの正体を知りたい。
そして、もしどこかにまだヴァンの遺体が隠されているのなら、なんとしても探し出したい。
そのために何をすべきなのか。
アランは、ヒマさえあればそんなことばかりを考えるようになった。
「腕を開かない! 力が分散していますよ!」
ファングに叱責されながら、アランはいよいよ鞭の使い方を練習することになった。
中庭の演武場には、連日ファングの怒鳴り声が飛ぶ。
単に鞭というけれど、その種類は多様にあって使い方も大きさも様々。
まずはアランのサイズに合う鞭を探すことから始まったのだった。
「鞭は、どんな武器にも劣らない強さを持っていますよ。もちろん完璧ではありませんが、要は使い方次第でしょう」
と、ファングの丁寧な説明を受けたのは、つい先日のことだ。
「目の前で振り回されている鞭はかなりの速度を保っていて、見慣れないものにはまずその音だけで威嚇できるでしょう。先を返すように打ち付ける攻撃は、痛みを通り越すとも言われていますしね」
「痛みを超えるって?」
「裂傷を突き抜ければ、感覚を失うということです。近すぎてもダメ、遠すぎてもダメな代物ですから、機動力には期待できませんが、あなたぐらいちょこまかと動くタイプなら、十分な勝率があると思います」
「…ふーん」
実際にやってみると、地面を打つ音は、かなり大きい。
しかし軽量だが威力がある分、殺傷力は高い。
もともとアランが持っている運動能力を差し引いたとしても、使いこなすのにそう時間はかからなかった。
もっとも、これはあくまで敵と対峙した場合のことであって。
いまだジェスターについての情報が得られない今は、練習というより遊びに近いものがある。
「何はさておき、やはり黒マント男の身辺を探るのが専決なんだろうな」
「ですが、容易ではありませんね。実に強固な鉄壁です。なにしろ国王が後ろ盾なのですから」
「そうだな。ヤツはライフルの腕が立つ上に、国王の保護下にある。簡単には尻尾を出さないだろう。…いやな男だ」
アランは、苦々しく舌打ちした。
…たとえ、あれが誤射だったとしても、王太子を撃っておいて、いまだのうのうと国王の側近でいることに罪悪感もないのかと思うと、無性に腹が立ってくる。
「それが世の理というものです。まだまだ甘いですね」
と、ファングは肩をすくめた。
「国王を討つことが、正しいと言えないのと同じです」
「私は一応、国王に忠誠を誓った人間だけど」
「口先だけの誓約に、効力などありません。…そうでしょう?」
とにやりと笑われ、ため息しか出なくなった。
ずいぶんと長い間。バフィト国王を殺すことだけを考えて生きてきた。
紆余曲折の末、ようやく王宮に住めるようになり、敵はすぐに近くにいるというのに。
いまだ大義を果たせずにいるのは、どうゆう了見なのだろう。
もしファミリアがまだ存在しているならば、この思考は《正しくないことだ》と諭すのだろうか。
しかし、このまま何もできずに、ただ年を取ってしまうのは怖い…。
「国王を討つ意思があることを、フェルには言うなよ」
「仰せのままに」
苦笑したファングは、まるで眼前にいるのがアレクシア・クリスタ公女であるかのように、わざとらしく深々と頭を下げてみせた。
「ところでフェルはどうしてる?」
「相変わらず帝王教育をお勉強中ですよ。彼は机に向かうのがことのほか苦手らしく、家庭教師も苦労しているようです」
「昔はおとなしくて賢かった気がするのだけどなぁ。…国境でマリオ叔父と暮らすうちに、技術職に才能があることに気づいたんだろうな。この義足と義手も、フェルのメンテナンスがなければ数ヶ月ともたない。…一生、付き合っていかなきゃならないパーツだ」
自分の手をにぎにぎと動かしてみせながら、アランはそんなことを呟いた。
「後継者に向いてるとか向いてない以前に、それが彼の務めなのですから。彼には王太子として頑張って頂かなければなりません。ヴァン殿下はもうおられないのですから」
「…そうだな」
感慨深く、アランがこくりと頷いた、その時だった。
演武場の外がやけに想像しくなり、大勢の人々が長い渡殿を走り抜けていく。
その慌ただしさに驚き、何事かと演武場を出ようとした直後。
1人の女性が、アランを見るなり、
「あらまぁ!」
と、声を上げた。
大勢のお供をひきつれ、美しいドレスをまとった若い女性が、こちらに手を振ってくる。
まったく見覚えのないアランは、眉をひそめて首を傾げた。
だが、それがリディア・カーマイト。
かつて、フィーユの駐屯地で会った『アランの左腕を持つ女性』だと気づき、
「あっ、」
と目を丸くした。
そんなアランに、リディナはにっこりと笑いかけてきた。