第一章『落胤②』
「…ファング。戻ってたのか」
「いつもこの時間になると、国王陛下はドリンクを片手にテラスにおいでになるのです。お忙しい執務の中にあって、唯一リラックスできる時間なのでしょう」
「…へぇ」
さっきのを見られていたのかと思うと、あまりにも気まずくて。
彼から目をそらしてテラスに寄り掛かると、ファングがおかしそうに目を細めた。
「アラン、」
彼が、気遣うようにその名前を呼んだ。
「あなたは以前『家族を殺した国王が憎いと。こんな国は滅べばいい』と言いましたね。…あの時はヴァン王太子が『そんなことさせない』とおっしゃっていましたが」
「はは。お前も同じ意見か、ファング」
「どうでしょうね」
その時、ファングの体が、ぐらりと揺れた。
めまいを起こしたのか、頭を押さえて倒れ込む姿に驚き、アランは慌てて手を伸ばした。
「おいおい、大丈夫か」
「えぇ、平気です。このくらい大したことありません」
「働きすぎだろ。ヴァンがいなくなって心身ともに疲弊しているんだ。フェルのことが心配なのは分かるけど、少しくらい私に任せて休んでくれてもいい」
アランが手をそっと押しのけて。
ファングは床にしゃがんで、両手を自分の額に押し当てた。
「…ファング? 苦しいのか」
「オレは、」
「うん?」
「オレは、あなたがそれで満足するのなら、国王の暗殺は、…正しい選択だと思っています」
「いきなり何言ってんだ。…どうせ私にはヤツを殺せないと思ってるんだろ。言っておくが、私はそんなに臆病じゃないぞ」
「臆病? 先日、国王に忠誠の誓いを立てたばかりだというのに。あれはウソだったのですね」
「…っ」
ファングの頭をばしっと叩き、からかわれたと気づいて赤面した。
「なんなんだよ、お前。どっちの味方なんだ! からかうつもりなら、私には付きまとうな。お前とは馴れ合わないぞ! 先日の士官学校の中庭を焼いた件についても、納得していないんだからな!」
「そうは言っても、オレも複雑な立場なんですよ。…亡きヴァン王太子のために、あなたの意志を尊重したい気持ちもあるのですが。なにしろ、あなたとヴァン殿下の思いは、真っ向から食い違っているのですから」
そう言って、ファングは懐からなにかを取り出した。
見覚えのある鞭だった。
それはいつもヴァンが愛用していた、棘付きのメタルフルドラッド。
アランが驚いていると、
「使い方を教えましょうか。せめて護身用に」
などと言われ、さらに呆気に取られてしまった。
「なぜ急に、私に…」
「その体では剣もボウガンも難しいでしょう。これならヴァン殿下が幼い頃に使っていたものなので、大きさも手ごろです。それより、あなたがうっかり下手なことをして死んでしまう方が、殿下はよほどがっかりなさるでしょうから」
「──!」
こんな会話を、以前にもヴァンとしたことがあった。
まるでデジャヴだ。
あの時の光景がまざまざと脳裏に浮かんできて。思わずファングを凝視してしまった。
「どうしました?」
「…ファング。お前って…。あ、いや、なんでもない。…つい感傷的になった」
「それは珍しいこともあるものだ」
「うっ、うるさい! お前はときどき私に対して馴れ馴れしいよな!」
「それは悪かった。オレの主君はお前じゃないから。扱いが違って当然だ」
「私はフェルの《付属品》ってことか」
「…あなたが今後、アレクシア公女を名乗るのなら、また話は違ってくるが」
「それはない。一生ない!」
「あはは」
ファングは声を上げて大笑いした。
こんな彼を見るのは、本当に珍しい。
「冗談だよ。お前をからかうのは、とても面白いから」
「…やっぱお前は苦手だ、ファング」
「あはは」
なぜかファングはいつまでも笑っている。
嬉しそうに、楽しそうに。
顔をぐしゃぐしゃにして笑う彼を見るのが意外すぎて、返す言葉を失っていると…
その時。
屋上に誰かの気配を感じて、2人ははっと後ろを振り返った。
□■□■
現れたのはバフィト国王の妻・アンティナ王妃だ。
彼女はお付きの者もなく、一人きりで車椅子を操り、こちらの方へと近づいてきた。
「王妃?! こんなところで何をされているのです」
しかし彼女は質問に答えず、なにかを探すようにきょろきょろと視線を動かしている。
そんな彼女を見かねて、アランは戸惑いぎみに声を掛けた。
「王妃殿下。お久しぶりでございます。私を覚えておいでですか」
不思議そうな王妃が、首を傾げて見つめてくる。
その様子に、アランは苦笑した。
「またお1人でお散歩ですか」
「いいえ。王子を探しているの。私のヴァンはどこかしら。あなた知っている?」
「――」
この間は『ヴァンなど知らない』と言っていたのに。この変わり身はなんだろう。
今は完璧に自分の息子だと認識しているらしい彼女の脳内は、いったいどうなっているのかと不思議になる。
王妃の心の病は、ますます悪化しているのだろうか。
「ヴァン王太子は、その、遠征に出かけていると…そうお伝え申し上げたはずですが」
ファングが答えると、王妃は気に入らないとばかりに彼を睨みつけてきた。
「そんなのウソに決まっているわ。あの子が私に何も言わず離れるはずがないもの! 私があの子を可愛すぎるから、きっと隠してしまったのね」
「――隠す」
アランが、ぼそりと呟いた。
…そうだ。
もし、まだ埋葬されていないのなら、王太子の遺体は、この王宮のどこかにあるはず…。
国民の動揺を思えば、王子の死を隠蔽したい気持ちも分かるが、ずっと隠し通せるものじゃない。
王子の遺体は、もしかして、まだこの王宮の中にあるんじゃないだろうか。
冷静になった今。
あらためてルフトの言葉が、思い出された──
「王妃、あなたは以前、《私は王子を産んでいない》とおっしゃったことを覚えいますか」
「えぇ、もちろん。あの子は私の子供ではないわ。でも、このことは側近の数人しか知らないことよ」
「そうなのですか?」
…最初は、王妃が勘違いしているのかと思った。
でも、そうじゃないとしたら。
「あの、王妃、その話もう少し詳しく」
そう言いかけたとたん、ファングにぐいっと肩を掴まれた。
「アラン。こんな絵空事を信用するつもりか? 国家機密に関わる問題だぞ」
「…ファング」
「だいたい王妃の言動を信用するやつなんて、この城にはいない。なにを聞いても無駄なことだ」
「でも、」
ファングにいくら諭されても、どうにも納得できない。
「私は、諦めきれないよ、ファング。王子の死を、やはり信じ切れないんだ。…フェルの言うとおり、私は、ヴァンが好きで、…そして、彼の復活を望んでいる」
「…っ。バカなことを」
「彼が私のところに戻ってくる可能性が少しでもあるのなら。どんな手を使ってでも手がかりを掴みたい」
アランの真摯な思いを受け、彼は呆れてしまったらしい。
「もしヴァン殿下がここにいたら、さぞかし大はしゃぎだろうな。きっと嬉しくて号泣してる」
「はは、それは見たかったな」
くすくすと笑って、アランは王妃の前に跪いた。
「王妃殿下。私はヴァン王太子のことを心から尊敬しています。彼がどのような人となりであったのか。また、どのように王妃に愛されて育ったのか、ぜひ知りとうございます」
「まぁ、嬉しいわ。…素っ気ないあなたとは大違いねファング」
思いがけず皮肉られてしまい、彼は不満であるかのように片眉を上げた。
そんな光景を微笑ましく見つめながら、アランが問いかけた。
「王太子は生前、口癖のように『自分は不死身だ』とおっしゃっていましたが」
「そのとおりよ、アラン」
王妃は、こくりと頷いた。
「あれは、人の子ではありません。子供の頃から頑丈で、他の子がはやり病で次々と亡くなった時も、あの子だけは寝込むことすらしなかった。神のご加護を受けた子なのですよ」
「昔から、つまり、生まれた時から、そうだったのですか?」
「私は、男の子を出産しました。しかし、生まれてきた子供は容体が芳しくなく、すぐに引き離されてしまったのです。ようやく会えたのは、生まれてから3カ月後。…私はすぐにこの子が自分が生んだ子ではないと気づきました」
「──それは、王妃は…それでは…」
と、ファングが絶句した。
彼がなにを言いたいのか、アランには分かった。
王妃はヴァンが自分の子でないと知りながら、それを周囲にひた隠しにして育てたのだ。
わが子のように…。
否、わが子として──
「王妃さまは、最初からすべて承知だったのですね」
アランが確認すると、彼女はとたんに不安になって首を振った。
「えぇ。…あぁ、いいえ、…違うわ、…どうだったかしら」
「…王妃?」
「ごめんなさい、よく思い出せないの。だって私、…」
(──ああ、まただ)
と、アランは落胆した。
アンティナ王妃は、いつも肝心なところで記憶が曖昧になる。
これも病のせいなのか。
どこまでが真実で、どこまでが虚言なのか。
突き詰められない現実に、アランの方が泣きたくなった。
そんな時。
まるで王妃を追うようにして、突然ジェスターが屋上に現れた。
頬をひきつらせたアランの前で。
黒いフードをかぶった彼は、まるで勝ち誇ったように口の端を曲げてみせた。
とたんに空気が張り詰めた。
なにしろ、こいつはヴァンを撃ち殺した男だ。
アランの中に、瞬く間に憎悪が溢れた。
だが、そんなことは気にならないとばかりにジェスターが近づいてくる。
「王妃殿下。こんなところにいらしたのですか。お付きの者が探しておりましたよ」
「まぁ、ジェスター」
「もしかして風邪をひかれたのではないですか。ずいぶんとお顔の色がお悪い」
そう言って、ジェスターが王妃の額に指を触れた。
その直後。
なにかに目覚めたかのように、はっと王妃が顔を上げた。
「ごめんなさい、アラン。私の勘違いだったみたい」
「え?」
唐突な言動に、アランは聞き間違いかと耳を疑った。
「なんですって?」
「ヴァンは、間違いなく私が生んだ子よ。いやだわ、私、何を考えていたのかしら。おかしいわね」
「…あの、王妃?」
「さぁ、お部屋に戻りましょう。私がお供いたしますよ」
ジェスターの声に応えるように、王妃がほほ笑んだ。
「えぇ、そうね。お願いするわ。…それではまたね、アラン、ファング」
「――ジェスター!待て!お前!」
アランが慌てて追いかけようとしたものの、ぎっと睨まれてしまい、その圧力にうろたえた。
「城内で騒ぐな、野良犬が! 王妃殿下の御前であるぞ!」
「…っ」
うっと怯んだアランたちをよそに、ジェスターはさっさと車椅子の向きを変えると、足早に王妃を屋上から連れ出してしまった。
「くっそ、何なんだ、あいつ。なんだよあれ!」
してやられたような感覚に、歯ぎしりするしかない。
はぁと息をつき、ファングが前髪をかき上げた。
「あの男は、宮廷道化師だ。国王のご意見番でもある」
「なんでそんなやつが。…というか、ヴァンを殺したのはあいつだろ。なんだよ、あの態度」
「…王太子を狙ったという確証はない。事故だった可能性もある」
「お前、よくそんなこと言えるな」
アランはすっかり呆れてしまったが、ファングの方はそれが当然とばかりに眉をひそめた。
「あなたは知らないだろうが、この城内で道化師のことを話題にすることは禁止されている。国王が信用しているのは、軍隊でも家族でもない。あの怪しげな道化師だけだ」
「…世も末だな。この国はどうなってんだ」
「それより、見たか。さっきの」
ファングに問われて、こくりと小さく頷いた。
──さっきの様子からするに、王妃は間違いなくなにかの暗示にかかっている。
王太子を生んだ記憶と、生まない記憶。
「暗示って、なんの暗示?」
アランが尋ねると、彼はそんなこと分かり切っているとばかりに見つめてきた。
…つまり、ファミリアってこと?
けれど、あの妖精たちは、常に正しいことにしか力を貸さない。
もし、王太子の出自を隠して、王妃が生んだというのが事実であれば、それはファミリアにとって正しい行いなのだ。
「いや、しかし」
と、アランは否定した。
「ファミリアはもう絶滅した。風配師もそう言っていた。私自身、ファミリアの気配を感じていない」
「では、なぜお前はいつまでも男の格好でいるのだ」
「!」
「お前がアレクシア・クリスタ公女だということは、今さら隠しようがない。その変身能力はファミリアの恩恵ではないのか」
「…」
アランは唖然として、ファングを見た。
頭の中が、混乱する。
なにが何だか把握できずに、答えを見出せないでいると、ふいにファングがアランを引き寄せ、頬を両手で包んで、額をこつんとくっつけた。
「ひゃっ、ファング? 何やって…」
「落ち着け。冷静になれ」
その声音が、低く間近で響いた。
「よく考えろ。こだわりは捨てて、思考を巡らせろ」
「…」
諭すような言葉に、アランの心が次第に落ち着いてきた。
ふっと、ファングが微笑した…ような気がした。
「何がどうなっている? 今、なにが起こっている? 王太子を救いたいなら、すべての思い込みを払拭して行動しろ。──ちゃんと、オレが助けるから。お前の半身になって、お前の代わりに動いてやる」
「…ファング」
まるで、麻薬か催眠術のように、ファングの声が心と頭に染み入ってきて。
さっきまでの高揚感がウソのように、冷静になった。
──そうだ。
よく考えなきゃならない…。
思いのまま、心の向くままに行動してしまったら、取り返しのつかないことになる。
真実を見極めたければ、彼の言う通り、冷静になる必要があった。