第六章『処刑台へ①』
処刑の日。
牢獄から出されたアランは、処刑場へと連行された。
周囲を取り囲む数人の兵士に加えて、ジェスターが見張り役のように付き添った。
アランの両手は胸の前で縛られ、その手首には手錠までつけられている。
少し遠くに見える処刑台に目をやり、アランはふと空を仰いだ。
──よい天気だ。
ここまでくると、思い残すことは何もない。
あとは野となれ、山となれ。
…ただ一つ気になるとすれば、ヴァンのことだけ。
最後にキスくらいはしておくべきだったかと思うけれど、…いったい誰に?
屍のヴァンに?
それともヴァンの精神を持つファングに?
と考えると、滑稽になる。
もっとも、それすらも女に戻れるならの話だが──
「ファミリア…」
ためしにその名を呼んでみた。
だが、どれだけ祈りを捧げてみても、懐かしくて愛おしい光は、一粒も舞い降りてはこなかった。
「なにを考えている?」
ふいにジェスターが尋ねてきた。
とたんに厳しい目つきになったアランが、声の主を威嚇した。
「お前の目的を知りたい」
「ははは。教えるわけないだろう。最後のお願いなら、とっくに聞いたろ。二つ目はムリだ」
「お願いじゃない。ただの質問だ。…なぜあの時、ヴァンを狙った? …ジェスター」
「一度死ぬ必要があったから。花槽卿復活のために」
「そんなことは分かってる」
堂々巡りな問答に嫌気がさし、ぎりっと歯を噛みしめた。
「なぜあの時、王子が私を庇うと分かったのだ。未来予知でもできるのか?」
「ああ、簡単です。私はあなたの心が読める」
「!」
「なので、私には、あなたがフェルを庇うのは分かっていた。銃口の前に立ったあなたを、王太子が守るだろうということも」
「…なぜ?」
「ははは」
「おい」
笑うところじゃないだろう、とアランは舌打ちした。
フードをかぶったジェスターが、人差し指を口元にあてて小さく笑う。
その唇が、不敵に歪んだように見えた。
「仕方ないですね。どうせ死ぬのだから、話してさしあげましょうか。ここから処刑台に行くまでの間、のんびりおしゃべりしても、誰もとがめないでしょうからね」
そう言って一息ついたジェスターが、楽しげにアランを見据えた。
「あなたは、花槽卿がどうやって生まれるか知っていますか、アラン」
「──」
「種から生まれるのですよ。露桟敷の種子に、命が宿るのです。…けれど、花を咲かせ、実がなるまでは、決して人の手には触れないようガードされています。…それなのに、当時陸軍元帥だったバフィト国王は、まだ完全に実らないうちに、小さなプリンシパルを連れ去ってしまった。…誘拐したのです、露桟敷の森から」
「誘拐?!」
アランの声が、周囲に大きく共鳴した。
だが兵士たちは沈黙を守り、ただひたすらアランが逃げないように見張っている。
そんな中。
ジェスターの瞳が、わずかに陰った。
「国王は、花槽卿を独占して、立身出世に利用するつもりだったのでしょう。けれど不完全なまま人の手に触れた花槽卿など、無力も同然。──むしろ、ファミリアの使い手としてはあなたの方が優秀だ。アレクシア公女」
「…、」
「プリンシパルに残された力といえば、せいぜい不死の能力ぐらいでしょうか。…あぁ、でも」
と、ジェスターがなにかを思い出したように、瞳をきらめかせた。
そうそう、と呟き、その人差し指がこちらへと向かう。
「たしか一度だけ、まだ幼いプリンシパル・ヴァンが、あなたのために無意識にファミリア・ブライドを使ったことがありますね」
「えっ?!」
「あなたが庭の木から落ちそうになった時に」
「──!」
そのことは、よく覚えている。
あの時、ファミリア・ブライドを使った覚えがないのに、なぜか怪我ひとつしなかった。
アレクシアを助けようとしたヴァンは、
『自分の身を守るため無意識に力を使ったのでしょう』
と言っていたが、アランはずっと不思議に思っていた。
「…あれは、ヴァンの持つ潜在能力だったのか。やはり私の力じゃなかった」
「まぁそのくらい大切な人ですから、王太子があなたを庇うのは予測できました」
「予測?」
アランは、苦笑した。
「それは想像の域を出ないな。もしフェルディナンが親の仇を取ってくれると一瞬でも期待したのなら、…おそらく私の足はフェルディナンには向かなかったろう」
「言ったでしょう。…私はあなたの心が読めると。──あなたは私。…私はあなた。──あなたの記憶を、私も持ってる。あなたが忘れたことも、私は覚えている。あなたが知らないことも、私は知っている。…おそらく、あなた自身よりも」
静かにそう呟いて。
ジェスターは、アランの目の前でゆっくりとかぶっていた黒いフードを取り払った。
■□■□
その頃。
フェルディナンの私室では、アラン奪還計画の詰めが行われていた。
ファング、風配師、ルフトの3人が、フェルディナンを囲むようにしてテーブルに座している。
「王妃の日記に書かれていたあの詩は、破滅の呪文なんだ」
フェルディナンの説明に、ルフトが首を傾げた。
「…呪文、ですか」
「あぁ。とても古い詩だが、古来から歌にもなっているから、大昔から住んでいる国民なら誰もが知っている。…ただ、ダリール公家に代々伝わる呪文であるから、効力を発動できるのはダリールの直系のみ。ほかの誰が唱えたところで、効き目はない」
「──」
アンティナ王妃は、国外の生まれだ。
しかし、侍女の1人がダリール出身だと言っていたから、詩の内容を知っていたのかもしれない。
──しかし…
フェルディナンは、思案するように拳を口元にあてた。
「ただ、あの文章。中身はオレが聞いたものとは少し違っていた。人々に伝えられていくうちに、詩の内容も少しずつ変化したのだろう。…アレクシア・クリスタなら、ているだろうが、正式な呪句を知っているはずだ」
「それを唱えたらどうなるのですか」
「ファミリアの存在自体が、この世から消える」
「――」
「つまり、それに関わっていたものすべてが抹消するか。あるいは加護を受ける前の形に戻ってしまう」
「ファミリア嫌いで有名なバフィト国王も、なんらかの形で恩恵を受けていると考えているのですね。…しかし予測の域をすぎないのでは? 確証はあるのですか」
風配師の問いに、フェルはこくりと頷いた。
「たぶん、黒幕は側近のジェスターで間違いない。理由は分からないが、アイツはファミリアをコントロールできる。国王を取り込まないはずがない」
「…それで、戦略は?」
ファングが、険しい顔で尋ねた。
身を翻したフェルディナンが、すぐさまテーブルに置かれた戦略図に視線を落とした。
「銃士隊を配備させておくから、お前が指揮を取れ、ファング。ルフトは眠っているヴァンの体を守っておけ。アランがすべてのファミリアが壊滅させたら、一斉に国王への銃撃を開始する。…オレは王太子として、国王のそばにいる。風配師はその隙にアランを解放しろ」
トランスフィールドは、広げられた地図を熱心に頭に叩き込んだ。
「アランのそばには、おそらくジェスターがおります」
「ファミリアの力がなくなれば、あんなヤツなんの役にも立たないよ」
誰もが大きく頷いた瞬間。
「…大丈夫ですか」
とルフトが消え入りそうな声音を発した。
その言葉の意味に気づき、その場にいた誰もが一斉に息をのんだ。
全員の視線が、フェルディナンへと向かう。
彼は、ごまかすように口の端を曲げた。
「なんの話かな、ルフト。もちろん大丈夫に決まっているさ。間違っても気を緩めるなよ。国王の代わりはいるが、アランの代わりはいない。あいつに死なれたら、すべてが水の泡だ」
それが合図のように散会し、それぞれが持ち場につくべく退室していく。
そして、フェルディナンが一人きりになったとたん。
サキソライトが、足元も立てずに近づいてきた。
「さっきのはどういう意味ですか」
「うわっ、びっくりした!」
どかりとソファに腰を下ろしたフェルディナンは、その声に驚いて再び飛び上がった。
「まったく。お前はいつも突然現れるんだな。どこに隠れていたんだ」
「さっきからいましたよ。あなた方がおしゃべりしている間に、ドアから入ってきました」
「うそつけ。気配なんか感じなかったぞ」
「…さっきの質問ですけど、」
不満げなフェルディナンをよそに、彼女は質問の答えを求めた。
先刻、ルフトがフェルディナンに向かって『大丈夫ですか』と尋ねたのを、気にしているらしい。
「あー。ルフトは、オレがアランに恋愛感情を抱いていると思ってるんだ。そんなわけないのに。…《アランのそばに行かなくて大丈夫か》…という意味で尋ねたんだろ」
アランのことは風配師に任せてある。
いざとなればファングもいる。
これ以上、アランのためにしてやることは、もう思いつかないと考えていると、ふいにサキソライトの手が、肩先に乗った。
「私は、あなたのことが好きですよ、プルーデンス」
「…うん、」
「あなたのために、私になにかお手伝いすることはありますか」
「いや、なにも」
「バフィト国王を殺すことぐらい、私にもできますが」
そのセリフにぎょっとした。
どうやら冗談ではないらしい。
国王殺害については、息子のフェルディナンでさえ多少なりとも思うところがないわけではないのに。
いくら他人とはいえ、真摯な眼差しに光をともすサキソライトの覚悟に、軍人としての魂を感じる。
「いくら軍事教育を受けていると言っても、お前には頼めないよ」
「あなたはいつもそうやって私に遠慮なさる」
「いや、遠慮ではなく、」
その時。
近くで、かちゃりと音がした。
金属がこすれるような音に眉をひそめた瞬間。
ピストルの銃口がこちらに向けられているのに気づき、フェルディナンは動揺した。
「…サキソライト、」
「私、あなたとなら結婚してもうまくやっていける気がしていました。あなたなら、がんじがらめの私を解放してくれるんじゃないかと、信じていたんです。…けれど、もう…」
そう言って、彼女はセーフティを外して、まっすぐに狙いを定めた。
「おい! 正気か?!」
「本当はヴァンを狙うつもりだったけれど。殺すのは、あなたにするわ」
「オレを撃つのか」
「ごめんなさいね。結局、私は《自分以外の誰か》にはなれなかったみたい」
その声がかすかに震えていることに、フェルディナンは気づく余裕すらなかった。