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第五章『王妃の日記②』


『花咲きゆれる月(4月) 19日目』

 大公の妹・フローレンス公女から、1通の書簡が届く。

 正式な婚約もなく、無名の民間人との間に、男の子をもうけたと噂される彼女からの手紙は、私を地獄に突き落とした。

 フローレンス公女の第一子、プルーデンス・ユー・ルノーは、私の夫ルクリュビエール・ジマ・バフィト元帥の息子であるという内容だった。

 ──たしかに、私の夫に側室は大勢いる。

 が、どれも格下の貴族女で、相手としては取るに足らない身分ばかりだった。

 側室との間に女児が2人とほど生まれたと記憶しているが、だからといって元帥妃の名を汚すものではない。

 …しかし、お相手が大公の妹君で、しかも生まれたのが男子とあれば事態は深刻だ。

 とうてい黙認できるものではなかった。

 それなのに──


『前略。バフィト元帥夫人。

 男の子が生まれたことにつきまして、貴家の夫君に認知を申し立てましたところ、《跡継ぎならもういる。貴婦の子息・プルーデンスは、当バフィト家に不必要な存在である》との返答を頂き、承服いたしました。

 私フローレンス・ネル・ダリール亡き後、相続云々で諍うこと無きよう、

 また愚息プルーデンスが万が一にでも路頭に迷うことになったとしても、決して同情なさらぬよう、重ねてお願いしたく、ご報告申し上げました。

 バフィト家次期当主ヴァン・テ・ラトュール氏の聡明さと利発さ。

 そして快活さと明朗さ、優れた行動力は、幼いながらもプルーデンスの及ぶところではございません。

 いずれ必ずや頭角を現し、国家の宝となる采配において、我がダリール公国を守ってくださるものと信じております。

 バフィト家の幼きプリンス・ヴァン・テ・ラトュールに、輝かしい未来を。

 あなたに愛と平安を。

 我がダリール公国に栄光を。』



 ──愕然とした。

 本来なら、こちらが捨てられても文句は言えない格差だ。

 私が夫の立場なら、間違いなく大公妹と息子を選び、本妻と子を実家に追い返すところだろう。

 夫がそうしなかった理由は、ただひとつ。

 大公の妹を娶るよりもさらに大きなメリットが、こちらにあると踏んだからだ。

《跡継ぎならもういる――》

 大公妹と、その息子を捨ててまで、夫が手に入れたかったのは、このヴァン・テ・ラトュールだ。

 この子の母親は、どこで何をしているのだろう。

 この子の父親は、本当に私の夫なのだろうか…

 …夫は、この子をどこでさらってきたのだろう。


 小さな手が、私へと伸ばされる。

「おかあさま」と呼ぶ声が、心地よく耳に響く。

 抱きしめると伝わる熱も、向けられる笑顔も、

「だいすき!」と慕ってくる感情も、すべてが私へと注がれる。


 今の私に、この子を手放す勇気はない。

 大公妹・フローレンスに罪悪感を感じながら、

 この子の本当の母親に懺悔しながら、

 バフィト家の《正当な》世継ぎとして、

 ヴァンを立派に育てていかなければならなかった。


 私の本当の息子は、とうに死んでいたのだ…。



『熱き太陽の燃ゆる月(7月) 21日目』

 ヴァン・テ・ラトュール 5歳。

 非常に聡く、健やかに育っている。ただ一つの問題を除けば、どこにでもいる普通の男の子に見える。

 ヴァンは、とにかく健康だ。

 …というより、怪我や病気を一切しない。

 驚くほど、体に傷を負わない子供だ。

 単に運がいいのか、それとも元から健康体なのか。

 その身体的強さは気のせいとは思えないほど驚異的で、神の申し子とは言いえて妙な気がする。

 世界に、特別に愛された子供なのだろう。

 大公殿下より『ファミリアが産み落とした伝説の花槽卿に仕えるにふさわしい騎士である』とのお言葉を賜った。

 …もちろん、この子にファミリアを使いこなす力はないけれど…

 



『風吹き荒れる月(2月) 3日目』

 ダリール公国で内乱。クーデター勃発。



『風吹き荒れる月(2月) 11日目』

 戦車の隊列が、公立公園を占拠。

 ゼルミタナル大学院の敷地が全焼。

 フリュックナール寺院、崩落。


『風吹き荒れる月(2月) 25日目』

 ダリール公国の崩壊。

 新・バフィト王国の誕生。

 新国王に、ルクリュビエール・ジマ・バフィト元・陸軍元帥が就任。

 第一子ヴァン・テ・ラトュール、王太子に就任。9歳。



『ほのかに芽吹く月(3月) 4日目』

 国王は、もとから仕事熱心な人であったけれど、クーデター以後は特に家族を省みない。

 国王のそばには常にジェスターなる宮廷道化師が立ちはだかり、家族での会話は激減した。

 …私たちは、もはや家族ではない。

 ヴァン王子は日がな一日教師室にこもり、軍事教育を受け始めた。

 最近は「おはよう」という声を聞くこともない。

 あまりにも忙しい王子は、私の部屋のドアをノックする回数も減ってしまった。


 そうして私は、亡き大公妹・フローレンスを想う日々が増えた。

 クーデターに散り、愛すべきご子息プルーデンスと共に天に召された聡明な方。

 彼女が、私に託したものは何だったのだろう。

《あなたに愛と平安を。我がダリール公国に栄光を。バフィト家の幼きプリンス・ヴァン・テ・ラトュールに、輝かしい未来を。》

 そのすべてを、私は広げた手のひらから、取りこぼしてしまったように思える。


 私は、考える。

 息子ヴァンを、本当の親元に返してあげる日が来たのではないか。

 母親として十分に幸せな時間を頂いた故、これ以上のなにかを望むのは不徳である。

 可愛らしいあの子を手放しがたく、実の両親に申し訳ないことをしたのかもしれない。

 ヴァンをはじめて胸に抱いたとき、

《この子は、私の子供ではない》と、はっきり声を上げていたら、どうなっていただろう。

 ヴァンには、別の生き方が待っていたかもしれない。

 あの子には、もっと、ほかに、生きるべき場所があるように思う…




『ほのかに芽吹く月(3月) 27日目』

 ここ最近。毎日のようにジェスターが私の部屋を訪れる。

 具合の悪い私のために、わざわざ調合した薬を持ってきてくれる。

 そのたびに私は、なにか大切なことを一つずつ忘れていくような気がしてならない。

 こんな風に思うことも、明日になれば、忘れてしまうのだろうか。

 ジェスターの声は、とても心地良い。

 まるで夢の中にいるように、ふわふわとした気分になって、すべてがどうでもよくなってしまうのだ。




『豊かな牧草の萌ゆ月(5月) 29日目』

 アラン・エル・ノジエ。(覚え書き)



『喜びし収穫の月(6月) 2日目』

 アラン・エル・ノジエ。(覚え書き)

 この名前を、記憶しなければならない。



『喜びし収穫の月(6月) 15日目』

 アランの清廉さは、アレクシア公女が7歳の時とよく似ている。

 …アラン・エル・ノジエ。 この男に、私の希望を託す。(覚え書き)


『喜びし収穫の月(6月) 16日目』

 アラン・エル・ノジエ。 この男に、私の希望を託す。


《ファミリアは目に見えない妖精の放つ光。

 最果ての荒地で風花の精は踊る

 かかる三日月は涙のかたち

 その月光のひとしずく》





 日記は、そこで終わっていた。

 内容をすべて読み終えて、ページを閉じたと同時に、フェルディナンたちが近づいてきた。

 ファングが顔を上げた先で、ルフトが不安そうに瞳を揺らしている。

「なんと書いてあったのです?」

 ファングは無言のままで、日記をルフトに差し出した。

 それを横から覗き込む風配師と2人して、夢中になって読み始める。

 そんな彼らに、フェルディナンは苦笑した。


「お前の父上は、ホントに最悪だな!」

「返す言葉もないよ。だが、お前の父親でもあるがな」

 と、ファングは言い返した。

「大丈夫そう?」

 心配するサキソライトに、ファングは大きく頷いてみせた。

「あぁ、問題ない。むしろ目的が見えてスッキリした」

「まぁ、それは良かった」

 日記を読んでいたルフトが、ページの一部を指さして首を傾げた。


「王妃は、アランに何を託したのでしょう。この最後に書かれてある数行は、何なのです?」

「歌だよ」

 答えたのは、フェルディナンだ。

「…歌、ですか?」

「ダリール公家に伝わる古い詩歌だ」

 そう言うと、ルフトはますます理解不能というように顔をしかめた。


「最後のページが少しちぎれているな」

 ファングの指摘に、フェルディナンが笑う。

「それなら、オレがアランに渡した」

「…、」

 その言葉の意味が理解できずに考え込んでいると、

「アランなら大丈夫。アイツは聡いだから、すぐにその意味に気づくはずだ」

 フェルディナンは、まるで確信があると言わんばかりだ。

 なにか策でもあるのだろうか、と思った矢先。

 日記を読んでいたトランスフィールドとルフトが、顔を見合わせた。

「終わりページあたりは、アランの名前ばかりですね」

「赤ん坊の時ならともかく、ここ最近、あの2人に接点があるとは知りませんでしたよ」

「王妃とアランは、いつの間に親しくなったのかしら」


 2人の会話を遮るように、フェルディナンがぱんっと手を打った。

「さぁ! アランを救出に行こうか!」

 その声が合図であるかのように。

 ファングは、ゆっくりと立ち上がった──


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