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水叡殿

 文政九年、幻翁げんのおきなの命でソウブと名乗る案内役の河童と共に地下水脈を進んだ夫羅ふらは、地下に広がる河童王国に辿り着いた。


 衛兵たちが見守る中、彼らが向かったのは王の居城。


 城内の敷地をキョロキョロしながら歩く夫羅はソウブに連れられるまま、ひときわ高くそびえる建物の前へ。

 「さあ夫羅さんよ、こっちだぞ。ここが王城、水叡殿すいえいでん

 その美しさに思わず目を見張る。

 「ほう、こりゃすごい。中尊寺や東照宮が霞んでみえるぜ。十七年生きてきたが、こんな建物は初めて見た」

 衛兵が綺麗に整列する広場の中央を通り抜け天守台の階段を上がる。楼閣の扉が開き、役人らしき者たちの出迎えを受ける。

 「さあ、こちらの昇降室へどうぞ」

 「むむ、なんだこの小部屋は」

 案内され入った四畳半ほどの小部屋がぐらぐらっと揺れたかと思うと再び扉が開いた。

 「こちらは三層目になっております。手前の小階段をお上りください」

 「ん、三層目?」

 不思議そうな夫羅にソウブが耳打ちする。

 「この小部屋は自動で昇降するんだよ。ほら、そこに数が書かれた押し子があるだろ、行きたい階層を押せばそこに連れてってくれるってわけだ」

 「はあ、さすが河童族。頭脳の賢さにゃ人間も敵わんな」


 小階段を上がった夫羅は目を丸めた。

 「なんだい、水面があるぞ…」

 「ああ、夜間は王国は全体が水で満たされるんだが今夜は…」

 水面から身体を出し、水の重圧から解放されて小躍りする夫羅。

 「空気だ、空気じゃないか。空気があるっ」

 「国の偉いさんたちの計らいだろ。ニンゲンのお前さんが来たってことで、特別に弁を開いて空気を入れたんだよ」


 早速、潜水服を脱いだ夫羅。

 「ぷはあっ。やっぱり空気は直に吸い込むに限るな、ああ美味しい空気だ」

 隣でソウブも背負っていた甲羅を外しながら言った。

 「お前さんでも判るかい。ここのすぐ下には溶岩が渦巻いている。熱せられて蒸散した出来たての純粋な空気を、王国は取り入れているんだ」

 「出来たての空気、ねえ」

 「ああ、地上のように汚れた空気じゃ無え。北東の空気田にある大きな噴出口に作られた王立の空気堰堤ダムで管理してる」

 

 しかし夫羅はその話よりも、ソウブの甲羅に興味を持ったようだ。

 「その甲羅…外れるのか」

 笑いながらソウブが答えた。

 「外れるも何も、こりゃ潜水具だ。河童族は非力だからな、甲羅は防具になるし、仕込んである圧縮空気で浮き輪の役目と、非常時に解放すればとんでもなく速く泳げるのさ。ほら、持ってみるかい」

 「おお、随分軽いんだな」

 「そうかい、こいつは地下水脈に棲みついた甲殻類から作られるのさ。お前さんも作るか。いい甲羅屋を紹介するぜ」

 「やなこった、人間様がそんな不恰好なもん背負えるかっての」


 夫羅はもう一度、大きく深呼吸した。

 「それにしてもこの空気の美味さったら。地上のゴミゴミした世界が嫌んなるぜ。俺もこっちに移り住んで…」

 「ほら始まった」

 ソウブはめっそうもない、という表情。

 「ニンゲンはそうやって何でもかんでも自分たちのものにしたがる。ったく強欲にも程があるぜ」


 二人の前に、卸したての萌黄の羽織を着こなした河童の役人がやってきた。

 「ここからは私めがご案内させていただきます」

 地上から案内を続けてくれたソウブに手を振って、夫羅はまた別の昇降室に案内された。

 「これで五層目までご案内いたします」

 ひゅうっと重力が上下する感覚ののち、ほどなく到着した階には多くの衛兵と役人がうろついていた。


 「ここからは特別機密区域だ、検めさせてもらいますよ」

 サッと寄ってきた衛兵たちのボディチェックを受けた夫羅は役人に連れられて広い廊下を進み、奥の部屋に通された。

 「そこに掛けてお待ちください」

 言われる通り、桐でこさえた上等な作りの洋風の椅子に腰掛ける。

 「うわあ」

 夫羅はその部屋の豪華絢爛さに思わず声を上げた。

 「たいしたもんだ…こりゃ地上でも滅多にお目にかかれないぞ」

 ところどころに金箔をあしらった壁面には色とりどりの絵画。唐風やら西洋風、その他にも色々なスタイルの調度品が並ぶ。

 「それにしても、夜だってのに昼みてえだな」

 天井の中央には煌々と明かりが灯っている。


 声がした。

 「電気、電気だよ」

 すこし嗄れた、しかし張りのある声。

 「地上でも英吉利えげれすが開発に取り組んでいると訊くが…」

 部屋の奥、木目も艶やかな大きな流木で作られた机にはじっと夫羅を見ている男。


 挿絵(By みてみん) 


 「我々は古代の埃及エジプトの技術を用い、既に実用化している」

 白いシルク仕立てのローブに金の刺繍、胸にぶら下げられた幾つもの勲章が高官であることを物語っていた。


 「貴殿がニンゲンの…いや幻翁の使いであられるか。書簡をお持ちだとか」

 ピンと張った口髭を指で繊細に撫でながら、その男は立ち上がってゆっくりと夫羅に近づき、手を差し出した。

 「検めさせていただこう」

 夫羅が怪訝そうに見上げると、男は気付いたように微笑んだ。

 「ああ、これは失礼。名乗るのを忘れていましたな。私はエボノ。ノウム=ド=エボノ、この王国の摂政を務めております」

 紳士然とした佇まいで深く頭を下げたエボノに、夫羅は幻翁から預かった書簡を手渡した。


 「ほう…」

 文面を読むエボノがニヤっと笑った。

 「さすが幻翁さま。よくご存知なようだ。ああ、明日の宴に地上界代表の来賓として幻翁の代理でおいで下さった、と。そういうことですな」

 「う、宴?」

 命ぜられるがままにやってきた夫羅がぽかんとしていると、エボノはさらに面白がっているように笑ってみせた。

 「ははは、幻翁さまもお人が悪い。何も聞かされていないですな」

 夫羅はうんうん、と頷いた。エボノは扇子で口元を隠すようにして控えめに笑った。

 「ならば、明日を楽しみにしておかれるがよい。今日は遠路お疲れであろう、夜も遅いゆえまずはお休み下され」

 「は、はあ…」

 エボノが机の上の小さなベルをチリンと鳴らすと、すぐさま二人の役人が駆けつけた。

 「お客様に失礼の無いように」

 キリリとした目つきを柔和に変え、エボノが夫羅に顔を向けた。

 「四層目に来客用の部屋を用意しました。明日は宴に間に合うように係の者を迎えに上がらせます」

 言われるがままに案内された夫羅。

 柔らかい絹のベッドの上で、旅の疲れを吐き出すようにぐっすりと眠った。


 つづく

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