炎の中で
暗黒の炎によって瓦解した波動炉の暴走。
これを食い止めねば地上世界も巻き込む大惨事となるのは必至。
だが猛火に包まれ近寄ることも出来ない。
満身創痍の幻翁は波動球を撃ち、炉に穴を開けて炉心の露出に成功した。
疲弊の極限に達しつつ、最後の波動球をこしらえ火の中へと駆け込んだが、近衛兵長・レタウの妨害に遭った。
足に手裏剣を受けながら島二郎がレタウを倒したものの、幻翁は銃弾に肩を撃ち抜かれ、波動球は手を離れて宙を舞った。
「しまったっ」
幻翁は倒れこんで見上げた。最後の望みである波動球は陽炎に揺れながら、力なく宙を漂っている。
「ダメか…」
「俺が、俺がやるっ」
ひときわ大きな声。
「俺が蒔いた種は、俺が刈り取る」
何者かが駆け寄ってきた。そして力強く地面を蹴り上げて舞い上がった。
「ス、スボウジュっ」
「外さねえぞ」
キラキラと光の粒子を撒き散らしながら浮かぶ波動の球に向かって飛び上がったスボウジュ。身体をくねらせて腰を回転させる。
「今だっ」
右脚がムチのように撓って弧を描いた。
強い遠心力を発生させた爪先が光球の中心を正確にとらえた。
「たあああっ」
鮮やかな七色の光が弾け飛び、波動球は勢いよく飛んだ。
炉心に向かって真っ直ぐに。
「当たれっ」
スボウジュは物心ついた頃から宮中で蹴鞠に勤しんでいた。その技は驚くほどに正確。糸を引くように燃え盛る炉心に向かって波動球は進む。
「よしっ」
しかし、炉心に近づく不審な男がいる。
「誰だっ、あいつは」
男は狂ったように笑い、叫んだ。
「いひひひっ、誰にも邪魔はさせんっ。この俺が二十年かけて改造した究極の炉をっ」
「フスーブ…」
国防長官のエグローグ=フスーブは炉を暗黒波動発生装置に変えた張本人。憑りつかれたように炎に飛び込み、至近距離から矢を放った。
「うひひひっ」
自らも炎に包まれながら狂喜するフスーブ。
そして炉心は、再び瓦礫の中に埋もれた。
「まさかっ」
スボウジュの蹴りが正確であるがゆえに、標的がズレてしまっては当たるはずがない。
「無理だっ、もう」
「終わった…」
炉に向かって走るもう一つの人影が見えた。
炎に撒かれるフスーブをなぎ倒し、炉心に向かって走る。
「誰だっ」
ふわりとたなびく髪に炉心の炎が引火してゆく。
「あれは…」
スボウジュが叫んだ。
「り、凛っ」
玉のような汗の雫を炎の熱に蒸発させながら、凛は燃え盛る火中に自ら身を投じた。
「お前っ」
焼かれながら凜は、か細い腕で瓦礫の中から炉心を拾い上げ、胸の前に掲げた。
そこはスボウジュが蹴った波動球の軌道の上。
「何を、何をするんだ、凛っ」
スボウジュの声は、轟々たる炎にかき消されて届かない。
「やめろ、やめろっ…」
蹴り放たれた波動球は、凛の胸元にある炉心に真っ直ぐ突き進んでゆく。
「頼む、逃げてくれ、逃げるんだ…」
凛は、ふとスボウジュと目を合わせ、笑顔を浮かべた。
あの頃と同じ、優しく愛らしい笑顔。
「あなたと、あなたと一緒に見たかった。本物の月…」
波動球は、凛が抱えた炉心に、見事命中した。
激しい衝撃波が一気に広がり、バリバリと音を立て稲妻が四方に飛び散る。
長い髪が火の中に逆立つさまが、一瞬だけ見えた。
やがて光と炎が渦巻き、凜を包みこんだ。
「うあああっ」
泣き崩れたスボウジュ。
とめどなく溢れる涙を、吹きすさぶ爆風が払い飛ばす。
「凜…凜…」
王国全体が眩い光に包まれた。激しい振動はやがて静まり、キラキラと瞬く星のような金色の粒子が降り注がれた。
うねる熱風は渦を巻きながら波動球の中心に吸い込まれるように消え、赤々とした炎もまるで蒸散するように消えて失せた。
轟く地鳴りも噴き出す黒煙も、もはやどこにもない。
平和という名の静けさを取り戻した河童の楽園は、惨劇の爪痕をそこかしこに残したまま、水の雫が垂れ落ちる音とスボウジュの嗚咽だけをやけに空しく響かせていた。
「うっ、ううっ…」
戦いは終わった。
残った者、逝った者たち。
荒廃した土地、守られた未来。
「俺は、一番大切なものを失ってしまった…」
うなだれたままのスボウジュ。
足を引きずる島二郎がその肩を叩いた。
「ああ…だがお前さんは、かけがえのないものを手に入れた」
「えっ」
「カゴの中の鳥だったお前さんは、自由に空を舞うことを知った。自分を信じて飛び立つことを知った。それを教えてくれたのは…」
「凛…お凛」
島二郎はゆっくりと頷いた。
「生きる、ってことには別れが常に付きまとう。あの娘は自分自身を信じる勇気をくれたんだ」
唇を噛みしめるスボウジュ。
「ええ、そうです。生き抜いてやる…」
「しかし…」
思い出したように島二郎。
「お凛さん、どうやって牢を抜け出したんだ…?」
不思議そうに首をひねる。
「ふふふ、実は…」
ゆっくりと初老の河童が近づいてきた。
牢番だ、という。
「あの牢にはね、抜け道があるんですよ。あの娘がどうしても、と云うものだから…」
「教えたのか」
「だって、あの娘は幻翁さまのためにって言うんですから。それに夫羅さんの名前も出して…」
「夫羅の名前、って…知ってるのか、夫羅を。誰だお前」
初老の牢番はにっこり笑った。
「ええ。私はソウブと申します。むかし幻翁さまには世話になって。夫羅さんをこの国にご案内したこともあるんですよ。久々にお会いして事情は訊いておりました…」
島二郎は深くため息をついた。
「夫羅…」
「そうそう」
思い出したようにソウブは小走りに牢に戻り、痩せこけた老河童を連れてきた。
「夫羅さん、と言えば。昔、この方の面倒を見てくれと頼まれましてね。色々ありましたが、牢内にかくまっていたのですよ」
老河童はおぼつかない足取りで、久しぶりの明るさに目をこすっている。
「ゴホッ、ゴホッ。ああ、やっとこうして外に出れるとは…」
「ん、あなたは…?」
顔を覗き込む島二郎。
老河童は古びた緑色のマントを翻して背筋を伸ばしてみせた。
「わたしは、ス=ランタス。夫羅さんから頂いた幻翁秘伝の薬草のおかげでこうやって生き延びた、というわけです」
「えっ」
思わず、うつむいていた顔を上げたのはスボウジュ。
「と、父さん…」
駆け寄って思わずその身に抱き付いた。
「まさか生きていたなんて…」
「はは、大きくなったな、スボウジュ。なあにお前の成長ぶりはこのソウブから毎日のように訊いてはいたがな」
老いたとはいえ、その身から伝わる温もり、安らぎはかつてのそれと些かも変わっていなかった。
「ああ、いいんだ。何も言わなくていい」
腕に抱く手に力が入る。
「息子よ、これからどうするつもりだ」
「お、俺は…」
「もう一人前だ、おまえの好きにするがいい。この国をどうしようと…」
スボウジュは首を横に振った。
「いいや、俺はまだガキだと思い知った」
父の目をしっかりと見据える。
「もっと広い世界を見たい、知りたい。そして強くなる。この国を救ってくれたみんなにいつか恩返しできるように」
ランタスは優しい笑みを浮かべた。
「それもよかろう。ああそうだ、幻翁の弟子にでもなって修行するか」
「いや…父さん、俺は広い世界でもっと見聞を広め知識を身に着けたいんだ」
強く言い放った。
「これからは力がすべてじゃない。いつか知恵で、頭脳でこの世界を救ってみたい」
ランタスは大きくうなずいた。
「よかろう。世界は広い、お前には想像もつかないような不思議なものや技術に溢れている。お前はお前の人生を歩め。そしていつかお前の知恵が世界を救う、そんな日を私は待っている」
もう一度、親子は強く抱き合った。
「私の誇りだ、お前は」
「ありがとう。あなたたちはこの国、いやこの世すべてを救ってくれた」
スボウジュは島二郎、そして幻翁に深々と頭を下げた。
「今の俺には、何にもお返しが出来ない。でもいつか、あなたたちの力になれる日が来るよう修行します」
「ああ、頼むぞ」
幻翁、そして島二郎とガッチリ握手を交わしたスボウジュは、地上へと連なる道を歩みはじめた。
「目指すは地上。狭い場内での暮らしが長すぎたんだ、俺は。今からそれを、取り戻す」
「さあ、私はこの荒廃した国土を復興し、再び河童の楽園を作らねば。なあ、手伝ってくれるな?」
ランタスがソウブの方をポン、と叩いた。
「ええ、私なんかでよければ、全力で」
笑い合う二人。
「では、この国の繁栄を、心から願っておりまする」
幻翁と島二郎は、別れを告げた。
「ところで、師匠…」
島二郎は「幻」の印が入った鉢巻を外し、幻翁に手渡した。
「俺は少し、考える時間が欲しいんです」
「ふむ…」
「今までひたすら戦い、もがいてきた。だが友である夫羅を、弟子たちを失った。戦いってものが何なのか、解らなくなった…」
無言のままの幻翁。
島二郎は頭を深々と下げた。
「師匠、今までの御恩は決して忘れません。けれど、しばらくの間は一人で、俺自身の道、俺自身の戦いを生きたいんです」
うなずきながら穏やかに笑う幻翁。
「よかろう。生きる答えを見つけることは、生きる者に与えられた尊い権利。行くがよい」
あらためて島二郎は幻翁と固い握手を交わし、一人立ち去った。
「ありがとうございました。またいつか、どこかで…」
振り向かないままに、真っ直ぐ。
荒れ果てた地面の上を、ゆっくりと。途中、落ちていた鋼弦を拾い上げた。
「夫羅…」
しばらくクルクルと振りまわしながら歩んだが、自らの折れた刀と共にポーンと投げ捨てた島二郎は、地上への道を小さくなっていった。
あちこちに出来た地割れの隙間から少しづつ、元のような清らかな水が湧きだし始めていた。
―岐阜・長良川河畔―
小脇に抱えた風呂敷が夜風に揺られてパタパタと音を立てる。辺りはすっかり暗く、河原の石が歩くたびにカチカチとぶつかり合う音が響く。
「しかし、思ったより乾燥しているな。地上の世界ってのは」
ほとんど身一つで地上にやってきたスボウジュに吹きつける秋の乾いた空気。
風を避けるように、橋桁の近くに座り込んで風呂敷を広げた。
「ちょっと不格好かなあ…」
取り出しのは、ありあわせの木片でこさえた手作りの位牌。
抱き上げるように優しく。
「にわか作りだが、頑張って作ったんだぜ」
隣に並ぶように、そっと置いた。
空を見上げる。
「なあ、お凛…」
ススキが秋風にそよぐ。
「本当に綺麗だ。お前が言ってた通り、本当に真ん丸だ。あれが月、かあ」
いつまでもいつまでも、光る月を眺め上げていた。
隣には凜の位牌。
「やっとだ。やっと約束が果たせたなあ」
白い月明りが、濡れた頬を照らし出す。
「お前、確か二人で月を見ながら祝言を挙げたい、って。そう言ってたもんな」
秋の虫たちの歌声は、まるで二人の契りを祝うように美しく華やかに感じられた。
「お凛…」
どれくらい時間が過ぎたのだろう。
月が傾くままに二人は、いやスボウジュと一つの位牌は、空を見上げていた。
「さ、そろそろお別れだな…」
秋風が強さを増す中で、スボウジュはふと川の流れを見て呟いた。
「おや…こんなところにも月が」
長良の清流は、その水面に揺らめく月を浮かべていた。
「そうだな、お前も河童の血を引く女だったな」
スボウジュはゆっくりと、両手を添えながら位牌を川に流した。
「ここを終の棲家にするといい」
ゆらゆらと水面を川の中央まで進んだ位牌は、くっきり映し出された水面の美しい月の周りで、なぜか流れに逆らうように、しばしその場を漂っていた。
やがてゆっくりと、まるで家に帰るかのように、流れの中に溶け込むように沈んでいった。
「よう、何だよ、おおう」
橋の上から酔っぱらいの声。
「ん?」
「おめえだよ、こんな夜半になにやってんだよう」
今日は中秋の名月。どうやら月見酒でほろ酔いの町人が通りかかったようだ。ススキの束を持ち、団子を目いっぱい頬張りながら。
「川に入ると風邪ひくぞお、えへへ」
「あ、あの…」
どう返答してよいものやら、作り笑顔のスボウジュ。
酔っぱらいは随分機嫌が良さそうに、鼻歌交じりに大声で絡んでくる。
「しかし、なんだぁ。おめぇさん…なんだい、このあたりじゃ見かけねえツラだなあ。あ?」
「いや、あ。その…」
「誰だ、おめぇ。あ、名はなんていうんだい。あ?」
「え、ええと。あの、ス、ス…」
「はあ?」
酔っぱらいは食べかけの団子を吐き散らしながら笑っている。
「スス、って。ああ、煤か。けったいな名前だなあ。たしかに顔が煤まみれじゃねえか。ちょうどいい、煤か、煤…」
千鳥足の陽気な男は、尋ねておいてその答えを聞くまでもなく、大きな鼻歌を残して橋を渡って歩き去った。
「そうさ」
すっくと立ち上がり、一匹の河童が空に浮かぶ真ん丸な美しい月を見上げた。
「俺の名は煤。それでいい。今は誰も知らないヘンテコな名前さ。でもいつかこの名が知れ渡り、世界を救うんだ」
月が微笑んだ。そう見えた。
完




