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黒孔の恐怖

 最強妖怪ヌラリヒョンを前に、幻翁げんのおきなですら苦戦を強いられていた。

 一瞬の油断を付け込まれた幻翁は、ヌラリヒョンの切り札「次元の黒孔くろあな」によって敗北目前。


 「落ちろ幻翁」

 ヌラリヒョンが暗黒の波動を流し込んだ水晶球の周りは黒いオーラに包まれ、光さえ吸い込む「場の歪み」が出現した。

 「この孔の向こうは次元の狭間」

 平行世界である現世と幻界、冥界は幾つかの次元孔によって接続しているが、その隙間には次元のバグと言える「次元の狭間」が存在している。


 「此処に入ったが最後、二度と出られぬ永遠の苦痛が続く」

 ぶつかり合う平行世界に挟まれ、貫通する無限大の重力と止まった時間の中で意識だけはそのままに、永遠の苦痛を強いられる亜空間。

 「幻翁よ、かつて永遠の牢獄として使われたこの次元の狭間、タルタロスがお前を待っている、ふふふ」

 「やめろ、や、め…」

 ぽっかり空いた次元の穴、時間と空間の区別さえ無い闇の底から幾つもの呻き声が重なり合ってこだまし、例えようのない死臭が漂う。

 みるみる幻翁の身体から光が吸い取られてゆく。


挿絵(By みてみん)


 「ぐう、ぐううっ」

 総毛が逆立ち、ビリビリと紫色の稲妻が全身を包む。ガタガタと足が痙攣しはじめた。

 「死よりも辛い永遠の牢獄へっ」

 ヌラリヒョンの眼に狂気が宿る。

 幻翁を黒孔へと押し込む手に力を込め、サディスティックに笑う。

 「うひひひ、ひひひ」

 ジタバタする幻翁の足の動きも弱まってきた。


 「ひひひ、いひひ…う、うがっ」

 突然、ヌラリヒョンの手が緩んだ。

 「う、う、何だ、何だぐあ」


 背後に立っていたのは、夫羅ふら

 ボロボロになりながらも再び立ち上がり、鋼弦をヌラリヒョンの首に巻き付け背後から締め上げていた。

 「ああっ、ああ…」

 その隙に幻翁が黒孔からの脱出に成功した。

 

 「さあ、てめえが孔に落ちるんだ」

 ぐったりと横たわった幻翁に代わって夫羅が攻勢に出る。

 「妖怪の親玉も終いだな」

 口から泡を吹き出し白目を剥くヌラリヒョン、その背中に足を掛け孔に向かってぐいぐい押し込む。

 「うぐ、うぐぐう、人間如きに…」

 全身から黒紫色の波動のオーラを発し、顔面の血管が幾つか千切れて血を噴き出している。

 「下等動物め」

 ヌラリヒョンはゴキゴキっという音とともに自らの右肩関節を外した。

 「なにっ」

 腕はあり得ない方向に曲り、背後にいる夫羅を足首をガッシリと掴む。

 「ふぬうっ」

 渾身の力をこめたヌラリヒョンの右手は、夫羅の足首を握り潰した。

 「うっ」

 骨が砕ける音に混じって悲鳴が轟いた。

 「うああああっ」

 痛みで鋼弦を持つ手が緩んだ。

 ヌラリヒョンは振り向いて夫羅の喉元を左手でぐいと掴んで持ち上げた。

 「落ちろっ」

 黒孔に放り込む。

 「手こずらせやがって…ふぐっ、なにいっ」

 「道連れ、だ」

 ヌラリヒョンの首に巻き付いた鋼弦の一端を夫羅は自らの身体にきつく縛り付けていた。

 「まさか…」

 もろともに黒孔に、喰われるように落ちてゆく。

 「貴様っ、うあ、あ、あああああっ」

 急速に閉じてゆく黒孔。空気と重力が渦を巻いて歪みが戻ってゆく。


 「ふ、夫羅ああっ」

 駆けつけた島二郎が手を伸ばす。みるみる小さくなる黒孔に手をこじ入れた。

 「夫羅っ」

 孔の中から夫羅が手を握り返した。その手を孔の外まで引き上げて叫ぶ島二郎。

 「俺が引き上げてやるっ」

 暗黒の渦はどんどん引力を増す。

 「諦めるなっ」

 

 「…島、あとを頼む」

 「なにっ」

 孔の中から途切れそうに、夫羅の声が聞こえる。

 「この化物ヌラリヒョンが、俺の身体にぶらさがって今にも孔から這い出そうとしている。こいつを現世そっちに出すわけにはいかない」

 「バ、バカ言うなっ。孔が閉じたら出られないぞっ」

 「俺の誇りにかけて、このバケモノを此処にとどめる。孔が閉じたら直ぐに、水晶球を叩き割れっ」

 島二郎は首を激しく横に振った。

 「いやダメだ。何が誇りだ、そんなものクソ喰らえだ。戻って来い、帰ってきてくれ、夫羅」

 「頼むぞ…孔が閉じたら、水晶球を叩き割るんだ」

 パッ、と、夫羅は自ら手を離した。

 「夫羅、夫羅あああっ」

 前腕から手首、手のひらそして指先。親指を突き立てたサインを作った夫羅の手は、黒孔に呑み込まれてどんどん小さくなっていった。

 

 「いつか、いつか必ず、お前を救い出してやる…必ず」

 立ち尽くす島二郎の前には、まるで何事も無かったように水晶球が転がっていた。

 「約束だぞっ」

 手折れた刀に波動の光が宿る。定規で描いたように真っ直ぐ振り下ろした刀身は、次元の水晶球を粉々に打ち砕いた。

 真っ黒い煙が瞬間的に立ち上り、重力波が全身を貫いた。


 「夫羅…お前…」

 うなだれて肩を震わせる島二郎。

 「カッコつけやがって…」


 「だがな、島」

 その背中をポンと叩いたのは幻翁。

 全身のダメージに立ち上がるのもままならぬ様子。

 「休む間も、感傷に浸る暇も、無さそうじゃ」

 低い声は、まるで自分に言い聞かせているようでもあった。


 「波動の炉は、最終段階に入った」

 すでに神殿の建屋の屋根も壁の一部も焼け落ちた。中の波動炉から暗黒の波動が渦を巻きながら漏れ出している。

 「わしら二人しかおらん。何としてもあれを止めねば」


 つづく

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