暗殺者
摂政エボノたちが牛耳る政治は腐敗、国土は荒廃し河童王国は衰退の途にあった。
王子スボウジュは決意した。伝説の波動炉を稼働させ国力を高め、国政を王家の手に取り戻すことを。
「俺がやらなきゃこの国は…」
幻翁たち、エボノたちも見守る中、遂に伝説の神殿の炉に火が入った。
国土が徐々に変化の兆しを見せ始めたその夜、水に満たされた居室でぐったりと寝入るスボウジュの部屋に忍び寄る一つの影があった。
「おおいっ、誰か、誰かっ」
穏やかな宵闇は、突然のけたたましい怒号によって切り裂かれた。
「ス、スボウジュがっ」
そしてバタバタと無数の足音。大きく水が揺れ、細かい泡が散る。
「何者だっ」
物音に気付いた夫羅が潜水服で駆けつけ、発光珊瑚で出来た水提灯をかざす。
「こいつが・・・こいつがスボウジュをっ」
同じく潜水服に身を包んだ島二郎が、スボウジュの居室の真ん前で、黒装束、黒覆面の河童を羽交い絞めにしていた。
「賊だ。どうも怪しい気配を感じてな、もしやと思って様子を見に来てみたら、案の定このザマだっ」
捕われの侵入者の手には大きな匕首の刃がギラリと光っている。
「な、なんだよ…こんな夜半に」
ふと、開いた居室の扉からスボウジュが寝ぼけ眼のまま姿を現した。
「ん?」
「お、王子っ。無事だったのですかっ」
「ん、俺は何ともないけど…」
案ずる夫羅と島二郎の前で全身を動かして見せるスボウジュ。
「ところで、そ、そいつは…?」
「賊だ、こっそり忍び込んでやがったんだ」
島二郎が、侵入者を羽交い絞めのままスボウジュの前に突き出した。
「見てみなよ、このデカい匕首をよ」
七寸もある研ぎ澄まされた刃が提灯に照らされてギラギラ光っている。スボウジュの顔が青ざめた。
「こいつが俺を殺そうと…」
「ああ間違いねえ、お前さんの命を狙ってたんだ。俺が通りかかったとき、ちょうど部屋から出てきやがったんだ」
夫羅は賊の手を打ち払った。未遂の刃は、ゆらゆらと水中を落ちてゆく。
「外道め」
スボウジュは侵入者の前に立った。
「恐ろしい事を…」
「ちっ、誰の差し金なんだ…お前は一体」
夫羅は荒々しい手つきで賊のアゴを押さえ、覆面を一気に引き剥がした。
「あ、あっ」
はらりと落ち漂う覆面の下から、ゆらりと長い髪。
煌く絹糸の束のような亜麻色をしっとり垂らしたように。
「そ、そんな…」
喉元をぐいと掴まれたまま、真っ白な頬の柔肌が露わになった。唇が震えている。
スボウジュが叫んだ。
「凛っ、お前…」
膝から崩れ落ちるように、スボウジュはその場にへたり込んだ。
「なぜ、なぜお前が…」
集まった家臣たちが次々に上げる驚嘆の声や怒号も、まるで遠い山のこだまのよう。
右往左往する人だかりと、その中でもみくちゃにされる凛の姿も、まるでどこか遠い国の絵草子のごとく。
「凛が、凛が…」
あるいは、それまでの幸せな記憶を汚したくない、と、無意識に五感を遮断しようとしていたのか。
「ウソだ、ウソだ」
泣き崩れるように、スボウジュはうずくまった。
「お前、どうしてこんなことを」
島二郎は、険しい表情のまま黙してうつむく凛の髪の毛を掴みながら叫んだ。
「なぜ殺そうとしたんだっ、凛っ」
目を閉じて、凛は目を背けた。
「あいつが…スボウジュが、お前をどれだけ愛してるか知ってるだろ?」
襟元を掴む。
「その愛情をこんな仕打ちで」
その時、死角からすうっと一筋の、細かな気泡を伴う水流が迫った。先端には研ぎ澄まされた矢じり。
「なんだっ」
振り向いた島二郎が見たのは、凛に向かって真っ直ぐ進む銛。
「うがあっ」
咄嗟にかばった島二郎の肩に、銛の先が突き刺さった。
「島っ」
夫羅が駆け寄る。島二郎は中庭の物陰を指差した。
「あれだ、あいつらだ」
そそくさと背中を向け逃げようとする幾つかの人影。
「口封じだ。王子を殺すよう仕向けた上、さらに女の口を封じようとしてる黒幕がいるっ、追え」
「しかし島、この矢じりには毒が塗ってある…」
「大丈夫だ、翁の薬草で何とでもなる。それより、あいつらを逃がすな…」
「よしっ、女を頼む」
夫羅はひょいと柵を飛び越え、不審な人影を追って走った。
「てめえ、なんでこんな真似を」
歯を食いしばりながら銛の先を肩口から抜きながら、島二郎は凛を睨みつけた。
「誰の差し金だ」
抜いた銛を凛の喉元に押し当てる。か細い首の真っ白な肌にぐいと食い込む矢じり。
「うっ…うっ…」
「お前は何者だ、と訊いているんだよっ、コラっ」
島二郎の大声に、まるで全身の力が抜けたようにへなへなと、座り込んでしまった凛。
「わたしは・・・わたしは黒河童派の手先」
「黒河童だと?」
凛は頷き、小さな声で語った。
「私の父と兄は、私が七つの夏に死んだわ。河童の血を引くという理由でモノノケ狩りに遭って、私の目の前で。そのむごさといったら…」
「父さんと兄さんが…」
「ええ、兄はまだ十五だった。そして母と私は着の身着のまま、村を追われた…投げ出された母子が生きていくのがどんなに辛かったか」
凛は遠くをぼんやりと見るような目で続けた。
「河童の混血という触れ込みで見世物小屋に立って身体中を舐めまわすように見られたり、鎖で繋がれて裸で泳がされたり、物乞いもした。母は身体を売るしか日銭を稼ぐ方法がなかった」
島二郎は唇を噛んだ。
凛は無気力に笑って見せる。
「しょうがないよね、堕ちはじめた者に世の中は優しくなんかない。でも、それを理解するにはわたしは子供過ぎた。あきらめだけが人生だ、なんて思いたくなかった」
凛がそっと目を閉じる。
「わたしが九つの冬、名前も知らない旅人からもらった肺病で母は死んだ。一人ぼっちになったわたしは、復讐を遂げたいという思いだけを支えに生きてきたわ」
「人間に対して、か?」
「この世の中すべてに対して、よ。ある日わたしは黒河童派のザヒム=ディ・アクラに出会った。黒河童派の一団が、河童を見世物にしてる悪徳興行師を襲って殺すのを見たの。そしてわたしはアクラに拾われた」
島二郎が眉をひそめた。
「あの、アクラ…か」
「彼はわたしに全てをくれた。生きること、生きる悦びも。何が正しいか、なんてわからなかったし今もわからない。けれど、わたしは彼にすがるより他になかった」
傍で座り込みながら、じっと話を聞いていたスボウジュが拳を握りしめているのを、凛はちらっと見た。
「そしてアクラは私に命じた。河童王国に行き、世間知らずの王子をそそのかして神殿の炉を動かすように仕向けろ、と」
島二郎は首をひねった。
「炉を?」
「ええ、あの炉は…」
凛は語った。王国の摂政エボノは閻魔卿率いる暗黒帝国と取引をしていたことを。
王国の波動炉の力を知った閻魔卿は、手下の黒河童派に命じ王国への多額の援助をエサに、エボノを取り込むことに成功したという。
「現世侵略後の河童族すべての支配権の委譲という条件に目がくらんだエボノは閻魔卿の配下になった。そして今回の聖戦を受け入れた」
「聖戦?」
「ええ。河童王家の血を利用して神殿の炉を発動させ、用済みの王子は殺す、と。国を牛耳りたいエボノにとって王家一族は邪魔だったから、利害が一致したの。すんなり話はまとまったわ」
島二郎は怪訝そうな顔をした。
「しかし、なぜ閻魔卿は神殿の炉を…」
「あの神殿の炉は秘密裏に、暗黒波動の発生装置に改造されているのよ。もう十五年も前から計画が進んでいた」
「暗黒波動の炉、だっていうのか」
「すでに国防長官たちは炉の交換に成功したって訊いたわ。だからこうして私が送り込まれてきた…」
スボウジュはもたげていた頭を上げた。
「十五年前って。おれが戴皿をした頃もうすでに…」
目を見開き、ゆっくりと凛に近寄る。
「お前が俺のところに来たのは、そしてずっと俺の傍にいてくれたのは…」
瞬きもせず。
「暗黒波動の炉を起動させるためか」
凛の目の前に立つスボウジュ。
「そして、俺を殺すためか」
視線を外したままの凛。水の中で涙は見えないが、その瞼は赤く腫れていた。
スボウジュが叫んだ。
「答えろっ、凛っ」
「ご、ごめんなさ…」
返答を聞き終わる前に、スボウジュの掌が激しく凛の頬を打ちつけていた。
凛は目を逸らしたまま、うつむいた。
「ごめんなさい…」
「うああっ」
その時、大きな地鳴りがした。
「なんだっ」
続いて地面が大きく揺れた。強い水圧が河童王国を満たす水全体を揺さぶる。
「危ないっ」
水叡殿の天守の一部が崩れ落ちたようだ。にわかに水も濁り出した。半鐘も一斉にあちこちから聞こえ始めた。街が悲鳴と怒号に包まれる。
「あれを、あれを見ろっ」
神殿の方角に、ブクブクと大量の泡が立ち上る中に、真っ赤な火の手が見える。
「遂に、炉が動き始めたか…」
幻翁の表情は厳しい。
「あの炉の波動がすべて暗黒の波動に転じて暴走したら大変なことになる。地殻と水流が地下から崩れ地上も広範囲に崩落する。それに暗黒波動が世界中にぶちまけられて汚染すれば死の世界になるぞっ」
スボウジュは右手を上げ、衛兵たちに向かって叫んだ。
「水門を閉めろっ、今すぐにだ。地下水に連なる水に暗黒波動を流入させてはまずい、この国を隔離するんだ」
王国各所の水門は直ちに閉じられた。みるみるうちに水が引いてゆく。
スボウジュがちらりと凛に目をやった。
「この女…牢にぶち込んでおけっ」
もう水位は膝下にほどに排水が進んだ。長い髪から水滴を垂らす凛は衛兵に両脇を抱えられぐったりとしている。
涙に濡れた顔を袖で拭ったスボウジュ。
「炉の鍵を開けたのは俺だ。何とかしなきゃ…」
歯を食いしばりながら、悲しみや過去、思い出を振り切るようにして神殿へと向かった。
「なあ、お前さん…」
牢への階段を連行される凛に、島二郎は尋ねた。
「ひとつ訊かせてくれ。俺があんたを捕えたのは、王子の部屋から出てきたところだったよな」
思いがけない問いに凛は振り返った。
「えっ?」
「どういうことだい、あんたは殺し屋だろ。俺はもう、てっきり王子は死んだと思ってたが…なぜ殺る前に部屋を出てきたんだ?」
水が引き、空気に満たされた今なら、凛の頬を伝う涙がはっきりと確認できた。
「殺せなかった…わたしは殺し屋として失格」
「失格?」
「ええ。殺すべき相手を、本気で愛してしまうなんて…」
衛兵に連行されて牢に消えてゆく凛の姿を見届けると、島二郎は神殿へと急いだ。
つづく




