アジトを探せ
長良川の濁りは黒死病の流行をもたらす恐ろしい無差別テロの兆しだった。
上流から暗黒波動を流す、という黒河童派「黒の旅団」の手口であると気付いた幻翁と弟子の夫羅、島二郎は島二郎の子飼いの部下「芥子菜組」を連れ立って、長良川の上流へと急いだ。
「島、芥子菜の連中に薬草を川に撒くよう言ってくれ。これだ。幻界の薬草オセップの葉、ひとまず暗黒波動を中和できる」
「わかりました、翁。百々峰の留守番と併せ、こちらには十人ほど残します」
「助かる。我らは敵の本隊を探そう、さあ行くぞ」
夫羅と島二郎はそれぞれ芥子菜組を五人ずつ連れ立って長良川の両岸を、幻翁は情報収集を兼ね、関街道を北上した。
「ああ寒くなってきやがった」
左岸を往く島二郎が手拭いを顔に巻く。
「そろそろ雪が舞ってもおかしくねえ季節だからな」
「いえ、先生」
芥子菜組の一人が手を上にかざした。
「この冷気、何か普通じゃありません。おそらく…」
「暗黒波動の妖気を感じるってわけだな、さすがだな兆次」
「北上につれ次第に強く感じます、針路に間違いないかと」
「たいした才能だ。さすがは芥子菜の若頭」
川沿いの茅に身を潜めながら、島二郎たちは北上を続ける。
「この辺はちっとばかり入り組んでやがる…」
右岸を上る夫羅。目の前の景色を眺めながらぼやいた。
「ここを通る、か」
「いえ、夫羅どの。保戸島を抜けるよりこのまま武儀川に沿って北上すれば、武芸川に渡りやすい浅瀬があります」
芥子菜組の一人が地図を持ち出して見せる。
「むう、『むぎ』だの『むげ』だの…しかしこの川中島に敵が潜んでたら見逃しちまうじゃねえか」
「大丈夫です。川の水に含まれる暗黒波動が百々峰付近であれくらいの濃度なら、ここが源泉ではありません、もっと上流なはず」
感心して頷く夫羅。
「へえ、さすがだな芥子菜組」
「それに、先程から感じられる妖気はもっと北、いや北東から流れてきていますから」
「すげえな、お前さん。新介って言ったな、島もいい部下もったもんだ。ようし、任せたぞっ」
芥子菜組が先導し、夫羅がついて行く。彼らも北上を続ける。
「ほう、いい刀じゃのう」
関村の東、津保街道に連なる刀剣商の店先。
「こらジジイ、お前さんみたいな百姓が見てどうする」
「百姓が刀を見ちゃいかん、とでも言うのかい、いひひ」
脇差に手を伸ばす幻翁。
「ほう、なかなかの造り」
刀剣商の主人が呆れながら怒鳴る。
「こらっ、そんな汚れた手で触るなっ。全国から目利きが見に来るってのに」
「そりゃたいしたもんだ。それはそうと、ここに薬師の仙八はいねえかい?」
「何言ってんだジジイ、そりゃもう西の通りだよ。見ればわかるだろ、ここは薬屋じゃねえっての。耄碌してんじゃねえのか」
「失敬、失敬」
笑いながら幻翁は歩き出し、思い出したように振り返った。
「ああ、そう言えばお前さん刀剣商なら、備中の敷衍って男を知ってるかい?」
「んなもん知るか、さあ、さっさと行けって。商売の邪魔だ」
「あは、ははは」
辻を曲がって西の通りへ。
「もうちょっとで上有知湊か」
地図と地形を見比べる島二郎。
「あれが住吉の灯台だな」
芥子菜組、斥候役の宗三郎が島二郎に駆け寄る。
「組長、ここは水運の要所。もし私が敵の立場なら作戦を決行するのに好条件かと」
「うむ」
宗三郎は人別帳と筆を取り出し、ささっ、と算式を書いてみせた。
「また撒布物濃度と流域世帯数を考えれば、ここよりも上流では効率が悪いと思われます」
「確かに。どうだ、兆次」
再び両手を上空にかざす兆次。
「妖気も近い、近いのですが組長。これだけの船と水運の商人が右往左往している中では」
「確かに目立ち過ぎる、な。すると…」
兆次はすかさず地図を指差した
「あの、板取川が合流するところにある小さな川中島あたりが」
「俺もそう睨んだ」
島二郎たちは幾つかの寺社を右手に川沿いの林を抜け、さらに北へ。
「おおっ、賑やかだなあ」
夫羅は右岸の高台から上有知湊を見下ろしていた。
「ちょと寄り道して、ぼたん鍋でも…」
新介が諌めた。
「夫羅どの、そんな事したら私たちが組長に叱られますっ」
「あ、そうだ。任務中だったな…で、どうだ?」
「この辺りの地形に詳しい者がいます…おい、光平っ」
「はっ、この通り、ここを降りればすぐに上有知の湊。しかしここは左岸から組長がすでに到着しているかと」
地図を広げて夫羅に見せる。
「我々は北に山を越え、まず板取川に出てから下るのがよいかと。そうすれば万一敵が板取から毒を撒いていても見逃すことはありません」
「よしっ、それで行こう」
光平の提案に従って北上する夫羅一行。
「しかしここへ来て山越え、か…脚が攣りそうだ」
「こりゃご禁制の薬だなあ…」
「なあにいってるんです、旦那…あ、あっ」
幻翁の顔を見るなり背を向けて逃げようとする薬売り。
「待て待て、仙八。お前をとっちめようってわけじゃない」
肩をすくめる仙八の後ろから幻翁が近寄る。
「ちょっと尋ねたいことがあって…」
いきなり仙八は店頭においてあった薬瓶を幻翁に向かってぶちまけて走って逃げ出した。
「くそジジイめ」
裏口から出、北の通りを走りぬけ、呉服屋のある大きな四辻を東へ。
「ひいっ」
だが目の前にはニコニコ笑う幻翁。
「仙八…」
パンッと足を払って転がされた上に背後から腕を極められた仙八。
幻翁はその首筋に杖の先をあてがった。
「この場で、この人通りの中で、おまえが実は河童だってバラしてやってもよいのだぞ、あ?」
「ちょ、ちょっとそいつは勘弁を、後生だから。翁っ」
手を緩めると、仙八は額を擦り付けて土下座してみせた。
「すみませんっ、本当にすみませんっ。つい、その、出来心ってやつで…」
「ああ?」
「いや、その…マタタビの件、あれは、その」
「何だ、ほら言え」
「西国からわざわざ出向いた化け狸の頭領が、その、狸用のマタタビを調合してくれ、って。どうしても、って」
幻翁がニヤリと笑う。
「ほう、どうしても、って?」
仙八は再び額を地面に擦り付ける。
「だってほら、遠くからあっしを頼って来たってのに追い返すわけにゃ…」
「お前、いつからそんな情で動くようになったんじゃ?」
幻翁は杖を首筋に押し付けた。
「あ?」
「あ、いや、その…二十両くれるって言いますもんで、その、あはは…」
幻翁は手を緩めた。
「で、見逃して欲しいか」
思いっきりの笑顔を作ってみせる仙八。
「そ、そりゃ、もう。翁の言うことなら何でも聞きますから」
「じゃあ・・・」
幻翁が手を差し出した。
「その二十両。よこせ、いひひ」
仙八、泣きそうな顔。
「そ、そんな殺生な…あっしだって生まれたばっかりの、まだ皿も乗せねえ子供がいるってのに…」
幻翁が仙八の襟元をぐっと掴んだ。
「じゃあ、ツケにしといてやる。だが、一つ教えてもらおうかのう」
「えっ、もう何にも隠してなんかいませんぜ、翁」
再び杖の先を仙八に向ける。
「黒河童は知っておろう…裏の事情にも通じているお前なら…」
仙八が青ざめた。
「いや、そんなのは…あっ、ちょっとだけ、名前だけ…」
喉元に押し当てられる杖の先。
「待って、待ってくれ翁。ああ、例の旅団が来てる。確かに来てる。何に使うかは教えてくれなかったがウチの薬たんまり持っていきやがったよ。それも一銭も払わずに、な」
「で、賢いお前さんなら知ってるじゃろう、もう少し。旅団のことを」
幻翁はじっと仙八の目を覗き込んでいる。
「あ、ああ噂だけ、あくまで噂だが…そうそう翁、俺がバラしたなんて言わないでくれよな、こりゃマジだ、あいつらほんとにヤバいからな…」
黙って頷く幻翁。
仙八は耳打ちした。
「旅団らは今、何かもっと大きな力の下で動いてる…奴らでさえビビるような。で、拠点を作ってるらしい。もう少し上流、川の合流するところてあたりだ」
「他には何か聞いてないか?」
幻翁は仙八としばらく話し込むと、穏やかな笑顔で関村を後にした。
仙八は額の土埃を手で払いながら立ち上がった。
「ちくしょう、あのジジイ…ん、まあいいか。二十両の取立てに来るまえに、またズラかるとしよう」
目的地はもうすぐ、川の合流地点。
つづく




