悲劇の河童族
岐阜・百々峰の中腹にひっそりと建つ屋敷。ここは波動術マスター、幻翁の住処。
鋼弦の夫羅と勾玉の島二郎、ふたりの弟子を鍛え上げながら、現世に迫る闇の勢力に目を光らせている。
ある朝、島二郎は子分・芥子菜組の一人が発見したという清流・長良川の澱みに驚き、さっそく幻翁に報告した。
「この水は、闇の波動に満ちている」
幻翁は険しい表情。
「河童め…」
夫羅が驚いたように首をかしげた。
「えっ、河童って。あの河童…あいつらは俺たちの味方では…?」
夫羅は十五年前に訪れた河童の王国を思い出していた。彼らが闇の波動を使って現世に悪さをしようなど想像も出来ない。
「ま、まさか。あの跡継が冥界の勢力に寝返っちまったのかっ」
「早合点するでない」
拳を握り締める夫羅を幻翁がたしなめた。
「わしが言う河童とは、黒河童派のこと」
「黒河童だって、なんだい今や河童も色分けの時代かい?」
「茶化すな、島。黒河童派と云うのは、冥界勢力の手先と化した暗殺集団のことよ」
幻翁は島二郎を屋敷に通した。
「夫羅よ、昨日の残りの飯があるだろ。島の分も用意してやれ。蔵の鮎も出してやれ」
夫羅が地下の食料庫へ梯子を降りてゆく。幻翁が波動の力を利用して作った氷柱が幾つも横たわっている特製の冷蔵室。
「河童という生き物は、な…」
熱い茶を淹れながら幻翁。
「人間が誕生する以前から現世に存在する、高度な知能を持った生物じゃ」
夫羅にあれこれと指示をして、簡単な朝食を作らせた。
「まあ喰え」
「で、その河童がどうしたんです?」
解凍した鮎の塩焼きにかぶりつく弟子二人。
「現世の様相は変化した。湿潤だった環境はどんどん乾燥しあちこちで砂漠化が進んだ。結果、水分への依存性の高い河童は失敗作だったということになった」
「失敗作だなんて。まるで誰かが作ったみたいな言い方を…」
「あながち間違いではない。全くの無だったこの現世の支配権を争ったのは幻界と冥界。それぞれが駐屯兵と言える生物を送り込んだと言われている。もちろん何百万年、気の遠くなる過去の話じゃが、な」
「そんな昔…一体誰が、何のために…」
幻翁は乾燥させた薬草を細かく刻んだものを手で丸め、煙管の先に詰め火を点けた。
「それはわしも判らない、大いなる意志とでも言うべきものか…ある者はそれを神と、ある者は自然の摂理、と。幻界では『光の御前』と呼んでおった」
ツーンとした薬草独特の匂いが揺れる紫煙に乗って広がる。
「光の御前がいるなら…」
「そう。闇の御前が、冥界にいる。この世は二者の永遠の争いの場とも言える。闇の御前の意志を具現化する冥界の預言者は、古来『閻魔』と呼ばれてきた」
「閻魔…冥界の最高将軍」
「そうじゃ。幻界大戦の後、永らく冥界十王が乱立する混乱の時が続いたが、ここへきて冥界の覇者、閻魔を名乗る冥界卿がついに出現した。次に現世が狙われているのは間違いない」
茶をすする夫羅が思い出したように尋ねた。
「で、河童はどうなったんです、肝心の」
「うむ」
幻翁は薬草の火種をポンと煙草盆に入れた。
「古代幻界の民たちは試した。河童と人間、どちらが現世の統治者にふさわしいかを。河童族と人間族は生き残りをかけた戦いを始める羽目になり、河童たちは無残にも…」
夫羅はかつて目の当たりにした河童の知性と技術力を思い出した。
「しかし翁、河童の知力には相当なもんだ。人間を遥かに超える力を持ってるはず」
「ああ。だが人間は、知力という意味以上に賢かった。あの手この手で幻界の民に近づき、貢ぎ、まあゴマを擦ったというところか。今でも光が各地で崇拝の対象になっているのはその名残じゃよ」
「そんな…ゴマすりで幻界を味方につけたなんて」
「さらに人間は河童に比べ、圧倒的に繁殖力が強い。いつしか数で圧倒するようになったのじゃ」
夫羅と島二郎は顔を見合わせた。
「は、繁殖力…」
ニヤッと笑う幻翁。
「そう、繁殖力。身に覚えがあるのかね?」
「いや、その…あの」
「とにかく、どんな手を使おうと勝ちは勝ち。幻界の支援と物量作戦で人間は現世の頂点に立った。同時に、幻界に頭が上がらぬようにもなった。ゆえに現世に行き詰った際に冥界に救いを求める者もいる、というわけだ」
ふうとため息を漏らす夫羅。島二郎が尋ねる。
「で、敗走した河童族は…?」
「一部の幻界の賢者たちが僅かな生き残りを匿ったのじゃ。人間を下僕として支配するやり方に異を唱える者が、幻界にもいた」
幻翁は屋敷の棚にある地球儀の埃をフッと吹き払った。
「ここに、な」
現在は清朝が治める黄河上流の山あいを指した。
「だが、事件は起きた」
「事件?」
幻翁は頷いた。
「そうだ。黄河を下った野心的な河童の一団は海に出た。そして豊富な海洋資源を求めて放浪の末、肥後の球磨川に棲みついた」
「ああ球磨川といえば、ここ長良川と同様、鮎が絶品だと訊きます」
「よく知っておるな。その球磨川に定住した河童はやがて一大勢力を成し、九千河童兵を束ねる『九千坊』と呼ばれる豪傑の出現に至って、人間たちはその征伐に乗り出したんじゃ」
夫羅がポン、と手を打った。
「あっ、知ってるそれ。ええと、ホン、ホンゾク…ホンゲン…」
頭を抱える夫羅を横目に島二郎が呟いた。
「本朝俗諺志、だろ」
「そう、そのホンゲンチョウソク…」
呆れた顔の幻翁。
「まあ書物の名前はどうでもよいが…我らは『河童事変』と呼んでおる。屈強な人間の戦士、キヨマサという者は球磨川流域の河童族を滅ぼしただけでは満足せず、本拠地を訊き出して海を渡り大陸を制圧に乗り出したそうな」
「それが、大陸出兵の真実…」
島二郎が舌打ちした。
「歴史書なんて、御用学者が記したもんなんて、アテになるもんか」
「まあ記録はどうあれ、以後河童は人間を害する妖怪だ、と烙印を押され迫害される運命となった。世界中で河童の大虐殺が始まったんじゃ…」
「胸糞悪い話だ。人間てのはどうしてこうも…」
憤る島二郎、その肩に幻翁が手を掛けた。
「お前だってその人間じゃろ。ああ、人間とは清らかさと残忍さをいとも簡単に行ったり来たりできる生き物よ」
「…そうかもな」
「ふふ、お前を責めているのではないぞ、島」
苦笑いする島二郎、そして夫羅に、幻翁はさらに語った。
「わしはその時すでに現世にいた。およそ三百年前のことじゃ。黄河に飛び、やっとの思いで数十名の河童を救いだした。清朝の目を盗み、彼らを積み荷に偽装して大陸を離れた。人知れず上陸し地下水脈を彷徨ううちに巨大洞窟にたどり着いた」
「それが、あの河童の王国…」
「そう。地下水脈との水路を整備し、強い波動をもつ鉱石を中心に据えた波動増殖炉を建設した」
夫羅はポンと手を叩いた。
「あの鍵の」
「よく覚えておったな。あれの力で地下洞窟は生命とその力に満ちた『生きた場所』に変わった」
「そんな力が…」
「ああ。だがあまりに力が強過ぎるため封印され、小規模な新しい炉が今はその役目を果たしている。古い炉は、いざという時のために隠してある、というわけだ」
夫羅は幻翁の話もそこそこに、目を閉じてうっとりした表情。
「今でも目に浮かぶなあ」
開けた口からよだれが垂れそうになっている。
「まさに楽園、おとぎの国の楽園ってのはあれだ…」
「チッ」
呆れた顔の島二郎。
「またその話か」
顔を曇らせる夫羅。
「悪いか」
「ああ、聞き飽きた」
「羨ましいんだろ、実は…」
「こら。ひとの話を聞け」
幻翁の声で我に返った二人。
「いいか不羅、島。わしは河童の全員を救い出せたわけではない」
「それ以外の河童たちは…?」
幻翁が声のトーンを上げた。
「世界中で迫害され、その怨みと怒りを鬱積させ、やがて冥界の勢力にすがった」
「それが黒河童…か」
「そうだ。暗黒に帰依した黒河童派は、各地に身を隠していた過激派と結びついた。河童が支配者だった時代に戻るべき、と唱える河童原理主義に基づく殺戮組織『黒の旅団』じゃ」
弟子たちは眉をひそめた。
「殺戮組織…」
「奴らは手段を選ばず、暗殺に長けている。ゆえに冥界の傭兵となった。水源に暗黒波動を流し無差別大量殺戮を行ったりもする。時折大流行する黒死病は知っておろう」
「ああ、恐ろしい病だという…」
「病と言っても、あれは黒の旅団の仕業。汚い手口じゃ。お前さんがさっき見せてくれた水も…」
「なにっ」
島二郎が狼狽した表情で立ち上がった。
「こうしちゃおれん」
「ん、ん?」
「ったく鈍いな夫羅はよ。あの長良の水は暗黒波動つまり黒死病の素だって何で気付かねえんだよ」
「あっ!」
「翁も翁だ。そんな大事に長話なんかして。さあ急いでください」
幻翁と二人の弟子は、芥子菜組を連れ立って長良川の上流を目指した。
つづく




