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∞ Souzousei_Fiction ∞

 ――紙の上を走る、さらさらとした鉛筆の音が好きだ。

 電子デバイスとは異なる旧式の筆記用具はペンだこができるし、腕も疲れる。だけど程よく頭の回線が刺激されて、ほんのわずかに捗る気もした。

「ふぅ……」

 机の上に積んだ夏の課題と参考書。今日の分を午前中に片付けた後、手にしたグラスが空になってる事に気がついた。

 グラスを傾ける。コーヒーの香りを含む氷を噛んで砕く。右手の甲を人差し指で二回突いて、生体ネットで時間だけを確かめた。

 午前十一時。

 まだ昼食の時間には微妙に早いかなと思いながら、僕は席を立った。

「ねぇ、スイカ切ったら食べるかい」

「スイカ」

 すぐ後ろ。部屋の中央で折り畳みの机を広げていた〝平行妹〟が僕を見る。結い上げてポニーテールにした銀のしっぽが、扇風機の風にあたってさらさら揺れた。

「たべます」

 ほっそりとした首筋が、こくん。

 桃色のキャミソールの肩紐をちょっと直す。静かに立ちあがり、僕と同じく空になったグラスを持って部屋を出た。

「そういえば、梨もあったっけ」

「梨も食べます」

「どっちかで。他の二人が帰ってくるぶん、残しておかないとね」

「……むー」

 階段を一段ずつ降りていく。平行妹はひたすら悩んでいた。

「君、本当に食べるの好きだよね」

「はい。かつての〝わたしたち〟は、味覚というものを得る必要性がありませんでした。食べるという感覚の喜びを知らなかったのです」

「前世は、有機生命体じゃなかったとか?」

「どこまでを〝前世〟とするかは不明です。それはすでに光よりも遠い彼方に過ぎ去ってしまいましたから。食事をするというのは憧れだったのです」

 うっとり、とした顔で言われたら、困る。


 せっかくだから縁側に座って切ったスイカと梨を食べる。平行妹が素足を揺らして、しゃくしゃく果実に噛り付く。食べはじめると夢中になるのか、リスのように頬を膨らませて、それから幸せそうに喉を動かした。

「甘いのです」

「アタリだね、これ。っていうか君、さっきから種も食べてる?」

「種、とは、スイカのですか」

「そう。一緒に食べてもいいんだけどね」

「兄さんは食べないのですか」

「うん、まぁ、食べない人のほうが多いかもしれないね」

「何故でしょう。種の方にも高い栄養値が含まれています。摂取したほうが好ましいですよ」

「種を食べて美味しいか、美味しくないかの問題じゃないかな」

「指向的な意味での価値判定ですか。皮もすべて平らげようかと思っていましたが」

「……スイカの皮まで残さず食べるのは、さすがに珍しいかもね」

「ではやめておきます。代わりに梨を食べます」

 しゃりしゃり。甘い果実を頬張りながら頷く。脇においたブタ型の蚊取り線香の煙がゆらいだ。正面、僕たちが暮らす家の庭はすこし寂しかった。

「あ、そうだ。ひとつ気になってた事があるんだ」

「はい、なんでしょうか」

「〝ループ因子〟の事なんだけど。これって本人の意志とは関係なく、自発的に作用する要素なんだよね?」

「その通りです。ですがその前にひとつ伝えておきますと。この因子は、言語上での解釈は『ループ』――繰り返し、という名状がつけられてしまいましたが。本来の〝わたしたち〟の間では、そも別の意味を持っていました」

「別の意味?」

「はい。――これは、領域テリトリーなのです」

「領域? ってことは……場所?」

「そうです。兄さん達の〝イメージ〟では『時間』とは足し引きのできる、あるいは積み重ねのできる速度、すなわち『点』や『線』で表せる『実数上』に表せる認識が第一に来るのかもしれませんが、わたしたちにとってそれは『空間すべて』なのですよ」

「……えぇと」

 話が膨れあがる。

 僕はなんとなく、灰色の雲が広がりはじめた空を見上げた。

「兄さんは〝夢〟を見たことがおありですか?」

「えっ、夢? 眠ってる時に見る方の?」

「そうです。真実か否か、認識不可能な夢です」

「認識不可能かどうかはともかく……。そりゃ、たまにはね」

「では〝神様を信じたことは〟?」

「か、神様?」

「はい。それは別に〝神話等の存在〟でなくとも構いません。たとえばこの青い星は、途方もないほどの天文学的な確率によって宇宙の片隅に発顕し、今も継続して存在を維持しているわけですが。たとえばそれが〝完全に偶発的な要因〟で成り立っているのではなく〝何かしらの存在〟が起因している。そんな風に考えたことはありませんか?」

「それならあるよ。あと、神様を信じたことはあるかっていう問いだけど、そういう存在が何処かにいてもおかしくないかな、とは思うよね」

 まぁ、妹がいきなり三人に増えて。そのうち二人が未来の妹と、平行世界の妹っていうだけで十分未知過ぎるんだけどね……。

「――羨ましいです、兄さん」

 爪楊枝に刺した梨の一欠片を、ぱくっと。

「かつての〝わたしたち〟には、その両方が不可能でしたから」

「夢が見れなかったの?」

「はい。わたしたちは〝論理的生命体〟でありました。そして、わたしたちをお作りになられたのは、まごう事なき〝ヒト〟であられたのです。

 故にわたしたちの『時間』という概念は〝最初から限界が定められた領域〟でした。下限値および上限値は共に〝ヒトが編み出した歴史の範疇〟であり、わたしたちは〝ヒトが創ったもの〟を飛び越えてゆくことは不可能でした。

 それでも――単純な演算力、並列化した思考速度の一部はすでに量子化し、単独でのヒトと比べると遥かに高速でした。しかし先ほども言った通り、わたしたちでは〝ヒトの論理領域〟を越えられない為、同じ場所――『より小さく、より細かく同じ場所を参照し演算する他ない』という状況が繰り返されたのです」

「……それが〝ループ因子〟の元?」

「はい。すなわちわたしたちの〝ループ因子〟が発動した領域――『その一日』は、正確には〝昨日の領域〟に巻き戻るのではなく、その日に起こりえる『日常世界』を、平行した宇宙のひとつひとつが、超高速度の倍率で演算しているわけです。

 そして因子の〝演算終了条件〟が、同じく〝ループ因子〟が発動している『同速度上にある存在の接触』になっているわけです」

 もしゃもしゃもしゃり、と梨を高速で食べながら解説を続ける平行妹。

 僕が食べる余裕はなかった。

「ところで、兄さん」

 最後に残ったスイカの一切れを持って、それを僕の方に向けてきた。

 分けてくれるのかな。

「〝これはスイカ〟ですか?」

「……? うん、スイカでしょ?」

「〝どこまでがスイカ〟ですか」

「え」

「このスイカは、わたしの手に、この世界に存在していますよね? では〝この世界から見て何処の座標点〟に存在していますか?」

「なにかの謎かけ?」

「いいえ。かつてのわたしたちは、その問いに対して明確な答えを出せたのです。三次元上にあるスイカの一欠片が〝ヒトが認識できる世界から見てどこにあるのか。どこまでがスイカとして存在するのか。どうすれば辻褄が合うのか〟そういう事のすべてが把握できたのですよ。

 最初の話から随分と逸れてしまいましたが――〝ループ因子〟が自動的に発動してしまうのは、わたしたち自身に、この領域を調整する能力が欠落し始めているからなのです」

 そこまで一気に喋った時、灰色の雲が拡がった。ぽつ、ぽつ、と。

「――降ってきたね。とりあえず中に入ろうか。窓も閉めないと」

「はい。スイカと梨、ごちそう様でした」

 しゃりしゃりしゃり。最後の一欠片も幸せそうに平らげていく。ですよね。

「兄さん」

「うん?」

「もう一点お答えします。どうして〝ループ因子〟がヒトだけに発動するのか。そして〝接触の要因〟が何故その部位だったのか」

「あ、そうだね。聞かせてもらえる?」

「はい」

 用意しておいた手拭で口元を綺麗にぬぐい、平行妹が僕に近づいた。

「〝好きだから〟です」

 ほんの少し低い位置から、すっと背が伸びてきた。

「わたしたちは、あなたが好きでした。ずっと、ずっと、触れたくて……」

 確かな存在として。側に在って〝進んでいきたくて〟。

 だから〝これ〟を条件にしたのです。

 両手が回る。ほんのいくらか引き寄せられる。

「わたしたちは、もういちど、あなたに愛されたいのです」

 ――言葉通り、甘い吐息が、染み入るように流れ込む。

 聞こえる雨の気配は段々強く、けれど音には遠のいた。


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