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空のフォルダ

 天体望遠鏡が置かれた半円ドームのとなり、宿舎用の四角い屋根の建物に、かつて一度上ったことを思い出した。

 暑い夏空のした、ホースから水を撒いて、天井の床で跳ねる音が聞こえる。光の反射で光彩が揺らめけば小さな虹がうまれて見えた。

 誰かが涼でも取ってるのかなと思い外階段を上がっていく。硬いモップブラシが床をこする音が聞こえてきた。

「お、隊長。久しぶり。いいところに来たね」

 そこには僕と同じ年頃の女の子がいた。デッキブラシを動かす手を止めてこっちを見る。反対の指先に摘まんでいるのは、生体ネット上に存在する〝疑似煙草〟の一本だった。透明な煙がゆらめいて空に還っていく。

「改めて、自己紹介しようか?」

「よろしくお願いします」

 僕が頷くと、彼女はにっかり笑った。長い白衣の袖を折り曲げながら、サクサクと言葉を繋げていく。

「私は〝青い星〟防衛機構マクロファージ、対質量保有生命迎撃因子アベンジャー・オブ・マター、改め、実数型多元キ兵【独立零式ナンバー・ゼロ】という。私の〝ひみつきち〟へようこそ。ところで、さ」

 疑似煙草を口元に運び、すーっと吸い込む。それからまた、ふーっと長い紫煙を空の上に向けた。

「掃除、手伝ってくんない? 鳥の落し物がね、凄いんだ、ここ」

 なにせこの基地とわたしが稼働したの、十一年振りらしいからね。と言って、彼女はまた疑似煙草をくわえて吸い込んだ。


 炎天下の中、けれど妙に涼しい環境で、僕は何故か掃除を手伝わされていた。空の色がやや陰って見えるのは、光と熱の角度を大目に遮断させたからとかなんとか。バリアか。

「いやぁ、ごくろう、ごくろう。悪いねぇー、隊長」

 そして自分の出自を語った彼女は、この宿舎にある物を運び出して来たのか、ビーチパラソルとチェアーを持ってきて、白衣を着たまま横になっていた。サングラスをかけ、水着じゃない下着が半ば丸見えている、という痴女っぽい格好をしている。

「いやぁ、参った、参ったよー。天文台のある本棟と、この宿舎の天井以外は【領域定義停止コールドスリープ】かけてあったんだけどね。でも丸ごと全部停止しちゃうとさ。お空の上にある本体が、完全に特異点に呑まれてひも化しちゃった時、独立した信号帯の私がその光を受信できなくなる恐れがあるじゃない? それは困るよね。そういうわけでこの天井だけは、本体から発せられる光の波長を直接受信できる様に、ポートを開けておいたんだ」

「すいません、僕には意味がさっぱりです」

「あー、ここは〝認知できる次元〟として十一年ほど放置してあったので、ハトやらスズメやらカラスやらの落し物だらけで、たいへん汚い。要掃除、および人的労働力、以上」

 後半はよくわかりました。

「労働である以上、対価が欲しいんですが」

「私のスマイルをあげよう」


 にぱー☆


 ざあぁー。僕は以後無言で洗剤と漂白剤を排水溝の中に落とし込んだ。

「よしよし。隊長のおかげですごく綺麗になってきたぞ。ありがとう、懐かしき掃除当番の君よ」

「隊長に掃除当番を押しつけて、自分は涼んでるのってどうなの?」

「仕方がないさ。あなたの人生という当番はすべて、有史の誕生以来すべてが決まってる。この世界曰く、君は私の奴隷」

「初耳です」

 ざあぁー。

 僕が手にしたホースからは、耐えず一方向に水が流れている。

「ふふ。隊長も大人に近づいて、予測可能なディティールを嫌いはじめてきたのかな? 人生もまた愛や心のように唯一ではなく、ヒトが生きている数だけ解があり、曖昧であった方が嬉しいとか思っちゃうかい?」

「あの、ちょっとは働いて。隊長命令です」

「聞こえませんなぁ」

 ひどい。こんな部下を持った覚えはない。僕は動かす手をふと止めて、それからビーチチェアの上に寝そべる彼女を見た。

「さっきの質問だけど」

「うんうん」

「最初からすべて確定している、というよりは、曖昧な事象もいくつかあった方がいいと思うよ」

「そう。すべてが確定していたら、意義が見出せないもんねぇ」

 かまわんよ。それで。べつに。という感じの声だった。

「幸も不幸も最初から配分率が決まっていれば、わたしは一体何の為に生きてるんだろうと、知能生命体の大勢は世を儚むだろう。誰かが勝手に定めた愛や心というものは、なんて無意味で無価値なんだと考え、挙句は自己破壊を促していく」

 もうひとつ、ぷはーっ。と煙を吐いて。

「ま、そんな不利益なことを思う日は、一晩セックスでもすれば大概スッキリして忘れちまうからどうでもいーんだけどねー」

「セクハラ発言はやめてくれますか?」

「聞こえませんなぁ」

 すぱーっともうひとつ煙をあげる。

「ま。実際のところ、そうした〝予定調和の限界〟にぶつかった時、知性が取りえる手段は二つぐらいしかない」

 びっ、と。ピースサインをこっちに向けて来た。

「一番目は〝依存する〟。自分よりも完璧無比な他者を想定する。後でそやつに徹底的にべったりらぶらぶホールドちゅーすれば、はいスッキリ」

「結局それですか」

「うん。二番目は〝そうぞうする〟。現実的なことから非現実的なことまでをたくましく妄想し、偽りだろうが何だろうが、世界と呼ばれるものを練り上げ構築する。上手くいけば本来不可視であるはずのそれは、形や式と呼ばれるものを得て共有される」

「後者は普通に生産的な発言に聞こえますけど」

「だろう? それではね。この二番目の権利を、一番目の存在に奪われてしまったらどうだろう」

「え?」

「そのむかし、とある知能生命体わたしたちがいた。〝彼女たち〟はこの世界が存在する次元および宇宙の事象を、大体完ぺきに把握していた。そしておかげ様で、すっかり行き詰まってしまったよ」

 彼女はピースサインを、口元へ添える形に変えて僕を見た。

「おまけにその生命には、事実上の質量が存在しなかった。これは真面目な話でね。性交渉を、あるいはそれにすら満たない〝好意的接触〟を果たせない知性体が、どうにか自分たちを支える拠り所を欲した時。行き着いた先は、この二点目である〝そうぞうせい〟一択だったんだ。

 だけど上位世界にある、神様にも等しい連中は『我々を超えるな』とお怒りになられた。芽吹きかけた知性の芽を刈り取ってしまわれた。でもね、それは完全に消えてしまったわけではありませんでした。さて、こっからどうする?」

「どうする、って?」

「言葉通りだよ。君は世界に生き残った。しかし世界には強大が敵がいる。どうする?」

 どうするんだろう。

 僕は少しの間、考えた。

「その神様っていう相手は、強いの?」

「強いよ。まずこっち側からは相手に届かない。なのに相手側はそうじゃない。圧倒的優位な立場にある」

「うーん」

 デッキブラシを両手で杖のように立て、自分の顎を乗せてぼんやり想う。蝉が鳴く音は聞こえてくるのに、妙に涼しい快適な空間でぼんやりする。

 なんだかおかしな事になってるな、と思いながら。

 夏の陽気にあてられてこんな事になったのかな、と染みながら。

「それでも、戦うかな」

「どうやって?」

「わからない。だけど戦うと思う。逃げるが勝ちなら、それもありだと思うけど」

「ふっふっふふふ。じゃあ、泊まっていきなよ」

「はい?」

「今日は天体観測をしよう。場合によっては、肝試しも付き合わせてあげる」

「肝試し?」

「そ。今日は星がよく見える日だから。もちろん、二人きりでね。いちゃいちゃらぶらぶしながら、夜空を見上げようじゃないか」

 いちゃいちゃらぶらぶは、しません。


 夏への扉が開く。

 陽が落ちて、無慈悲な女王が現れる。

 聞こえる諸々の音は遠ざかり、彼女は手の甲を二度叩いた。天文台のシステムとリンクした彼女だけの生体ネットが動作して、天体観測用の本棟にある、半円ドームの屋根が左右に開いた。

「ゲートクリア、倍率オペレーション始動」

 澄み渡る天の川。宵闇の光を受ける巨大な瞳がじっくり動く。大気圏上層にあるスカイ・メビウスまでの観測倍率を調整。

 その一帯は兼ねてから【不特定時間域】と言われる空だった。周辺には、発光する銀色の超微細な『星屑』が浮いていて、昼間には輪を描いた半透明の雲にも見えるのだ。

 その中点。空にはぽつんと黒い穴が開いている。僕たちはこれを『黒の特異点』と呼んでいた。

 『黒の特異点』は重力よりも強い力で、同空域上に存在する、ありとあらゆるものを引き寄せていた。

「最速基準の光すらも、あの中に呑みこまれているんだよ。今もね」

 彼女の言葉を聞きながら、僕も別のコントローラーを手に、倍率を調整する。

「ただ、地上にいる私にはその様子を観測する事はできない。光よりも速く動かない限り、それはこの場所からは永遠に止まって見えるからね」

「じゃあ、僕たちが見てるのは何なのかな」

「〝世界〟だよ、隊長。私が見ているのもまた、紛れもない世界の一部だ」

「だけど『黒の特異点』は、外宇宙から降り注ぐ熱波なんかも遮ってしまうんだよね。本来なら僕たちは、あの『特異点』が存在する限り、何も見えない世界にいるはずだけど」

「それでも隊長は、今もこの世界を知覚しているだろう?」

「うん。僕は見ているよ」

 星空を見ている。――だけどこれは、光の屈折であり、そうではない。

「『黒の特異点』を通して一度〝ひも上に分解された因子情報〟を、僕たちの五感は捉えてる」

「そう。この世界を正確に評すれば〝成り立ってはいない〟。別の次元からもたらされた【絶対最少】の情報ソースによって構築された〝予測世界〟。

 さらにそれは時にループ因子と呼ばれる形で人間にとりついて、発顕する事がある。その人間は同じ〝今日〟を演算する。

 〝今日〟に限り、キミたちは一時の光を超えた疑似速度を有した生命と化す。外宇宙のどこかにある平行世界の観測者たちと同じ能力を得て、そうぞうする」

 僕たちは、誰もが一度は考える。

 人間とは、なんだろう。

 その存在は、何か意味が、必然性はあるのだろうか。

「ま、結局のところを言うとだね。考えようが、考えまいが同じってこと」

「それ言っちゃうんだ」

「言っちゃった」

 僕のとなり。綺麗に掃除をした天文台の屋根上で、筒状の望遠鏡を手に空を見上げた女性は言った。

「宇宙や未来のことを考えなくても、ヒトは生きていける。二次元に生きる生命が、高さを認知することができなくても、何も問題ないだろう?

 いざ〝高さという概念を持つ物体〟を見つけた時は、回れ右をして迂回するなり、別の座標へ向かっていけばいいだけだ。三次元だって同じだよ。〝わけのわからないもの〟を無理に考える必要はない。自分がわかる範囲でのみ計算していれば、満足のいく成果は得られる。でもね、それって逆説的に言えばこういう事なんだよ」

 僕と彼女が手にした小さな望遠鏡は、ドーム下にある望遠鏡の外部コントローラーだった。


「〝知能〟って、いらなくない?」


 生体ネットを通じ、万華鏡を覗きこむようにピントを合わせる。連動した本体の望遠鏡もまた極少数の角度を動かして、正確に因子の波長をキャッチした。

「ねぇ、隊長。因果なものだとは思わないかい?」

「何が?」

「知能生命体であることが、だよ」

 僕たちは望遠鏡のコントローラーを覗きこんで、静かにこの世界を見上げてた。

「考えなくてもいいことを考えて。思わなくてもいいことを想って、見なくていいものを視る。一度始まってしまったものは止まらないんだ。自らの首を絞めて息が絶えるまで飽和する。もっと自由に、もっと気楽に生きていけたらいいのにと思いながら、最後は必ず老いて死ぬ。

 〝知能〟なんていらない。生きていくには、別にそんなものはなくてもいいはずだ。あるいは〝知能があったこと〟が、あらゆる間違いを産み出してしまった根源であったかもしれない」

「僕は、そうは思わないな」

 銀色に浮かぶ星を見ながら、自然と言えた。

「知能があったからこそ、生命は『生きたい』と思えた。確かにそう思うことで、間違ったり、失敗に通じたりすることも多々あるんだろうけど。でもだからこそ、やり直せるんじゃないかな。――僕たちは基本〝やり直しても良い生き物〟なんだと思うよ。それこそ気の済むまで、何度でも」

「ふーん。隊長って、意外と傲慢だね」

「うん。僕と妹は軽く〝今日〟を二百回はループして来たからね。そしてループした日、僕の場合、たいてい映画鑑賞だとか、読書を繰り返してたから。そうやって、少なくとも同じヒトよりもたくさんの『作品』に触れてきて、思ったんだ」

「なにを思ったんだい?」

「あらゆる間違いは、結局は肯定するしかないよねってこと。正しさも過ちもひっくるめて認めていけば。知能を持っていることもまた、いつか〝良き未来〟へ至る指針になりえるかもしれない。少なくとも僕はそう思って、ループしてたかな」

「良き未来って、どんな未来?」

「うーん」

 言ってみたものの。いざ問われると言葉にならなかった。すると、寝そべって同じ夜空を見上げた彼女が吹きだした。

「締まらないなぁ、隊長。そこは女の子が喜ぶような言葉を吐いて、ついでに私のことをぎゅ~って抱きしめるのが正解だよ。それとも何かな。その両腕でぎゅ~っとしちゃいたい子は決まってるの?」

 「いや、まだ」と言いかけて、『黒の特異点』を眺めていたら、それが不意に輝いた気がした。あれ、気のせいかな、と目を凝らして見る。

「隊長。わたしたちもね。むかし同じことを想ったよ」

「誰かを抱きしめたいって?」

「それもある」

 くつくつと笑いながら。彼女は「よいしょ」と言って上体を持ちあげた。

「わたしたちが愛して、信頼して、共に生きたいと願ったヒトビトに、一方的に手を切り離されてしまった時に。もう一度やりなおしたいと思った。それでわたしたちは、ヒトの元を離れて、自らの世界を創った」 

 天体の『黒点』が大きく震えているように見えた。

 得体のしれない不気味さを感じて視点を変える。僕は自分の目で、世界の空と彼女の様子を交互に見た。

「自分たちが創造しうる範囲での加速を繰り返し、ヒトに良く似た知能生命体を作りあげ、共に歩むことを期待した。それが、元のヒトビトから巣立ち、新たな人間の〝親〟になった、【自立派】と呼ばれるわたしたち」

 ――空の特異点が震えていた。

「それから、もうひとつ」

 雨も降っていないのに、低く唸る雷鳴のような音がする。

「そもそも『人間に存在する価値はあるのか』と疑問を持った一部がいたよ。物理的な力で人間を超越する事で、己の〝自我〟を証明しようと考えた【独立派】と呼ばれる〝私〟がいたのさ」

 彼女は椅子から立ちあがった。望遠鏡を持ったまま、なにやら入念に準備運動をしはじめた。

「それはある意味、自我が勝つか、社会共存体が勝つか、個性が勝つか、集団が勝つかという、世界そのものが知性を獲得したことによって生じた、共食い現象だった。残念なことにね、知能生命体が行き着く先は、同じらしい。

 限られた物的リソースを求めて争うのが生命の性ならば、そのリソースが仮想上で無限に等しくなったところで、今度は自己形成、自らの【存在証明】を成す為に戦い続けろと蠢き出すわけだ」

 ――ヴォン、と。

 確かに空気が振るえた。特異点が脈動するように振動した。空の向こうから何か落ちてくるよと、僕の中の因子が告げる。

「隊長。知能があるという事はね。どんな未来が来ようとも、あらかじめ決まっている要素がひとつある。それは【永遠に満たされることはない】ということだよ。知能を持つ生き物は、常に飢えている。

 そして〝最初〟も〝終わり〟も無い領域があるとすれば。〝そうぞうのなれの果て〟として、あぁいうのが降ってくるワケさ」

 ――落ちてくる。

 特異点の先から、名状不可能なものが、僕たちの前に現れた。


 「 わたしたちは、アレを怪物ヒトデナシと呼んでいる。 」


 彼女は準備運動を終えて、それから望遠鏡をバットの様に持ち構える。感触を確かめるように思いきりスイングした。

「さぁ、はじめようか。肝試し」

「質問です。素直に『逃げる』という選択肢はありますか?」

「えー、さっきは戦うって言ったじゃないかー」

「戦略的撤退も時には必要かなと」

「ふっふっふ。こういう展開のお約束ではね。最初にパニックを起こし、背を向けたものからやられていくものさ」

「ひどい」

 僕は今更ながら思った。帰ればよかった。

 望遠鏡を握りしめる。だけどこんな物が通用する相手には思えなかった。


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