第一話 迷宮の黒猫亭(改訂版)
俺は世界管理者と名乗る怪しげな輩に命じられ、非常に不本意ながら試練の迷宮に付属する宿屋に転移した。
宿屋の一回は食堂を兼ねているらしく、数人の冒険者らしい人達が食事を取っている。
「いらっしゃいませ。迷宮の黒猫亭にようこそ」
「自称世界管理者に言われて転移してきたんだが、試練の迷宮に付属する宿屋はここでいいのか?」
「はい。間違いありません、私はクローネと申します。今後よろしくお願いします」
身長一メートル前後の直立した黒猫のメイドさんが流暢な日本語で答えてくれる。非常に残念な事に黒猫メイドさんの語尾には「にゃ」は付かないらしい。
「世界管理者はここで装備を整えろといってたんだが」
「六面体ダイス二個分の金貨と金貨六枚。神様より転移される方の準備金としてお預かりしています。お好きな方をお選びください」
「じゃあ金貨六枚」
俺はバクチはしない主義だ。たとえ六面体ダイス二個の平均値が七だとしてもそれ以下の数が出る可能性は低くはない。ダイスを振って二とか三とか下手な数が出るよりも確実に金貨六枚もらうほうが無難だろう。
「少々お待ちください」
黒猫のメイドさんは金庫らしきモノから金貨を取り出してくる。
「では金貨六枚です。ご確認下さい」
「一、二、三、四、五、六。確かに金貨六枚受け取った。領収証はいるのか?」
「こちらにサインお願いします」
冗談のつもりで言ったのだが本当に領収書が必要らしい。ファンタジー世界もいろいろと世知辛いようだ。
「どこで買い物ができるのかな。お嬢さん?」
「お隣の建物がボッタルク商店です。必要なアイテムは全て売ってます」
「お嬢さんは何を買えばいいと思う?」
予算は限られているから無駄遣いはしないようにないとな。
「武器はお持ちのようですから冒険者セットと革鎧でいいと思います」
「冒険者セットって?」
「旅人の服、旅人の靴、背負い袋、旅人の杖、水筒、財布、小刀、袋、当面必要なものですね」
冒険者セットに必要なモノがほぼ揃っているらしい。火打石とか応急手当キットは魔法でなんとかなるのだろう。
「ありがとう。いくらぐらいになるか判る?」
「金貨二枚です」
「なるほど」
手持ちが金貨六枚だから金貨二枚はちょっとキツいがセットで買った方がお得だろう。黒猫メイドさんに一応確認しておくか。
「セットで買った方が安いんだろう?」
「はい。ですが単品で買ってもそれほど大きな違いはないと思います」
「ありがとう。ところで食事はできるかな?」
「もちろん大丈夫です」
「じゃお勧めの料理をお願いする」
「モーニングプレートですね。卵とお飲み物はどうなさいますか?」
ちょっと待て! お勧め料理がモーニングプレートだと!ここはメシマズラ……イングランドか?
「目玉焼きでとオレンジジュースで。モーニング・プレートがお勧めだと食事に関しては不吉な予感しかしないな」
一日三食モーニングプレートな生活は勘弁して欲しい。
「ご心配なく。まだランチの時間帯ではありませんから」
「失礼した。ところでここにはギルドとかないのか?」
「はい」
ほぼ全員が試練の迷宮に潜るのなら冒険者ギルドは必要ないか。
予定としては飯を食ってから防具を買ってそれから迷宮に入ってみるつもりだ。最初の地下一階を様子見でうろつくだけなら予備の武器とかは不要だろう。
ぼんやり考えていると人間のメイドさんがモーニグプレートを持ってきた。
目玉焼きとソーセージ、ポテトサラダ、刻んだキャベツが一枚のプレートに載っている。メインのプレートとは別の皿に六枚切りぐらいのトースト二枚、冷たいオレンジジュースがでっかいコップに八分目ぐらいに入っている。
冒険者の朝食にふさわしいボリュームたっぷりのイングリッシュブレックファーストだ。材料が何なのか少々気になったが考えない事にする。うまそうな食事をまずくする必要はないからな。
「お客さんはソロで冒険するおつもりですか?」
「当面はね。仲間は焦らず探すつもりだ」
「そうですか」
「お支払いは金貨で大丈夫かい?」
「今回はツケておきますから迷宮から戻られたら清算お願いします」
どうやら金貨だとおつりが面倒なのだろう。金を持っているのは間違いないのだし、ここでしか食事が出来なさそうなのに食い逃げする馬鹿もいないだろうからツケがきくのだろうな。良い商売だ。
「じゃ買い物行ってきます」
「少々お待ち下さい」
買い物に行こうとするとクローネさんに止められる。今回の支払いはツケでいいはずなんだが、連絡が回ってないのだろうか?
「なんでしょう?」
「買い物に行く前にステータスを確認しておきましょう」
「確認できるんですか?」
「こちらにどうぞ」
酒場の隅に、体重計のようなモノが置いてある。コレがステータスを測定する機械なのだろう。
「靴を脱いで測定器に乗って下さい」
「はい」
俺はクローネさんに言われた通り測定器といわれた物体に乗ってみる。
「これがあなたのステータスです」
名前 イズモ
種族 転移者(日本人)
性別 男性
年齢 15歳
体力 (15)
瞬発力(17)
持久力(16)
知覚力(14)
魔力 (18)
HP (16)
MP (18)
クローネさんが渡してくれたタブレットに俺の能力値が表示されている。初期能力値としては悪くはないかもしれないが、魔王と戦うには平凡すぎるだろう。
「御心配なく。このまま魔王と戦え、とは言いません。魔王と戦える力をポンと与えられれば、大概の人間は物理的にも精神的にも簡単に壊れます。その点はご理解下さい」
それもそうだな。チートで体力が百倍になれば、当然基礎代謝も百倍とまではいかないだろうがそれなりに増えるはずだ。チートが与えられる前の一日の基礎代謝が千五百キロカロリーならば、チートによって体力が百倍になると基礎代謝も五十倍ぐらいには増えるだろう。千五百キロカロリーの五十倍は七万五千キロカロリーになる。当然、チートによって消化器系も強化されているだろうが、食物が持つカロリーまでは増えるわけではないはずだ。と言うことはチート付与前に一日一時間食事していた人間ならば、チートで体力が百倍になれば一日二十四時間食事しても必要な栄養を摂取できずに飢え死するだろう。
もちろん、カロリーだけならばどこぞの探検家のように食用油をガブ飲みする方法もある。食用油が百グラムで九百二十キロカロリーらしいから、一日七万五千キロカロリーを摂取するためには一日あたり七キログラム以上食用油を飲まねばならない。
俺としてはそんな食生活は出来る限り遠慮したい。
「判りました。言われてみればそのとおりですよね」
「それと転移先の習慣や言語を習得してもらうための座学もあります。一日に一回は必ず参加して下さい」
「魔法で習得させるんじゃなくて?」
「不可能ではありませんが、脳に多大な負担をかけますので特別な事情がない限りやらないことになっています」
そう言えば世界管理者も似たようなことをいっていたな。
「解りました。よろしくおねがいします」
俺もクローネが言う「多大な負担」の具体的な内容を聞くほど馬鹿ではない。楽をするのは諦らめて、お隣のボッタルク商店に移動する。
ボッタルク商店は簡素な構えで店頭に展示してあるのは錆びた槍や錆びた剣ばかりである。商品は奥で保存しているのだろう。
「すいません。冒険者セットはお幾らですか?」
「金貨二枚です」
「在庫はありますか?」
「失礼ですが、能力値の確認はお済みですか?」
「はい」
「判りました。在庫はございますので少々お待ち下さい」
おそらく店長のボッタルク氏なのだろう。山妖精らしい壮年男性がそう言って店の奥に入っていく。
「お待たせしました。こっちが冒険者セットとおまけのロープ十メートルです」
「代金の金貨二枚です」
ボッタルクさんの目の前のキャッシュトレイに金貨二枚を置く。
「ありがとうございます。サービスで展示してある剣を一本差し上げます。錆びだらけですが万が一の予備に使えると思いますよ」
にっこりと人のよさそうな顔でボッタルク氏が笑う。
「いいんですか?」
「もちろんですよ」
ボッタルク氏はあくまで善人を装っているがその手は通じないぞ。
「剣があれば鞘がいる。まともに使おうと思えば砥ぎ代もかかる。御商売がお上手ですね」
「お褒めに預かり恐悦至極です」
流石商売人である。しれっと流された。
とりあえず一応の装備は整った。ちょっと試練の迷宮とやらをのぞいてみるか。
「よろしければ今お持ちの異世界の服と旅人の服を交換していただけませんか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます」
交換する旅人の服はすでに準備されているようだ。異世界にメイン・プレーンの服を持ち込むとまずいんだろう。
「両替できますか?」
「出来ますよ」
「交換レートはどうなっているんでしょうか?
「交換レートは金貨一枚が大銀貨十二枚で、大銀貨一枚が小銀貨五枚です」
「転移先の世界も同じレートですか?」
「おそらく」
「両替代はかかります?」
「ここではかかりませんが、転移先では必要でしょうね」
「解りました。金貨一枚を両替してください」
「では、大銀貨十枚と小銀貨十枚です。お確かめ下さい」
ボッタクル氏がカウンターの上にきちんと大銀貨と銀貨を並べる。貨幣の交換レートは覚えて置か
ないとな。
「ところで片手剣をお使いのようですが」
「はい」
「楯はお使いにならないのですか?」
「あった方がいいんでしょうか?」
有った方がいいんだろうが、まだ当分は必要無い気がする。
「スライムだけを相手にするのであれば不要ですが、蟻も相手にする場合はあった方がいいと聞いております」
ボッタルク氏は迷宮に潜らないらしい。
「楯はおいくらですか?」
「大銀貨二枚です」
「大きさはどのくらいでえすか?」
「縦が三フィートに横がニフィートです」
縦九十センチに横六十センチの木製の楯か。今の体力では重すぎる気がする。もうちょっとレベルが上がってから買う事にしよう。
「木製ですよね?」
「はい」
「今回は遠慮して起きます」
「解りました。次回のご利用をお待ちしています」
ボッタルク氏はあっさりと引き下がった。楯は武器を使う人型の敵が出てからでいいか。
お疲れ様でした。