正当化幇助
『今昔物語集』にね、こんな話がある。
あるところに猟師の兄弟がいてね。立居のままならなくなった母の介護をしながら、鹿や猪を獲って暮らしていたんだそうだ。
だがいつものように山へ入ったある夜、兄が暗闇の中で髻を掴まれ、樹上に引き上げられそうになる。
あやかしの仕業と直感した兄は弟に頼み、雁股の矢を声を頼りに放たせる。矢は見事鬼の腕を射切り、兄弟は無事下山する。
だがね、家に帰ると、片腕の実母が唸りながら飛びかかって来たんだ。
ひどく老いた母親は、いつしか鬼になって子を喰らおうとしていたのだね。
……いやいや、別に話を逸らしてなどいないさ。
君には心から同情している。言葉にすれば安く聞こえるけれど、絶対に嘘ではないよ。
だからこうして、埋めるのを手伝ってもいるだろう?
とまれ、『今昔』の話だ。
「人の祖の年痛う老たるは、必ず鬼に成て、此く子をも食はむと為る也けり」。
歳を重ね過ぎた親は必ず鬼に変じ、斯くの如く我が子を喰らおうとする。
鍛冶が媼や渡辺綱に通じそうなこの話はね、そう結ばれているんだよ。
まあつまり、そういうことさ。
君がしたのは昔からよくある鬼退治だ。
かつては生みの親だった。けれど今や、彼女は浅ましい鬼に成り果てていた。黙って食われてやる道理などないだろう?
わかったのなら、ほら。
泣くのはもう、やめるがいいよ。
『今昔物語集』巻二十七「猟師母成鬼擬噉子語 第廿二」より取材