880/1000
流される
妻から相談があった。息子がトイレを流さないのだという。
用を足したら便座の蓋だけを閉めて、知らぬふりで出てきてしまうらしい。洗面所で手を洗ってはいるものの、流すべきものが流れていない状況に変わりはない。
どうしてそういう真似をするんだと叱りつけると、息子は涙目になって、「だって、流すとおっかない声がする」と言った。つまりは水洗の音が怖いのだろう。
呆れて妻を見やり、
「とりあえず、お前が傍についていてやれ」
こちらは一日仕事で疲れているのだ。この程度の家のことくらいはきちんと対応して欲しい。
言外にそうした空気を匂わせると、彼女はくすんだ顔で頷いた。
そののち晩酌を楽しんでいると、息子が妻に声をかけ、ふたり連れ立って手洗いへ向かった。
二度三度大人がついていってやれば、トイレなど別段怖いものでないと息子も理解するだろう。そう思いつつ肴を摘まんでいると、真っ青になった息子が駆け戻ってきて、
「お母さんが流れちゃった!」
慌てて手洗いに向かうと閉じた便座の奥からは、未だ続く水洗と、断末魔めいた妻の声とが轟いていた。