survival one
何が理由かは知らないが、祖父は本が嫌いだった。いっそ憎んでいたとすら言っていい。
漫画や新聞は気にしない。だが小説の類をひどく嫌悪して、目に入れるのも拒むようだった。
だから訃報を聞いてその家を訪れた時、小さいながらも書斎があることにます驚いた。そうして書棚にあるのが、全て漱石の『吾輩は猫である』なのを見て二度驚いた。
ざっと見で数十冊は同じ本が並んでいるのだ。一種異常の感がある。
まあ祖父の本当のところなど、本人が死んでしまった今は知りようがない。首を横に振ってから、真新しい一冊を抜き出した。
有名なタイトルであるが、実を言えば内容はうろ覚えもいいところだ。それでふと、結末を確認しようと思ったのだ。
確か酔っ払った猫が水に落ちて……と朧な記憶を辿りつつページを捲ると、そこには思わぬ展開があった。
猫が甕を脱し、生き延びているのだ。
つい、「え?」と声が出た。
首を捻りながら別の一冊を手に取って見ると、これもまた中身が違う。
名号も唱えず、延々と生に執着して足掻き続ける猫の描写が続いている。意地になって確かめれば、数十冊全ての結末部分が異なっていた。
自分が信じられなくなってスマートフォンで青空文庫を覗いてみたが、そこにあるのは自分の知る通りの猫の末期だ。祖父の蔵書の文章だけが、奇態な変異を遂げている。
もしかして、壮大な祖父の悪戯だろうか。そんな考えが頭を過ぎった。私家版を用意して、読んだ者を惑わせてやろうという魂胆かもしれない。
だが装丁を確認しても奥付を確かめても、きちんとした出版社の手で発刊され、市販されたものに間違いはない。
そしてこの作業のお陰で、もうひとつ気づいた。
祖父は全ての『吾輩は猫である』の扉に、購入した書店名とその年月日を書き込んでいる。
それを辿ればおよそ一年ごとに、そして全て異なる本屋で、祖父はこの小説を買っていたのだと知れた。
おそらく彼は確認していたのだ。
数十冊、つまりは数十年に渡って、変化し続けるその内容を。
それは好奇心ではなく恐怖心が為せる業だったろう。現在の猫がどうなったのか、祖父は見ずにはいられなかったのだ。
全ての漱石を棚に放り込み、逃げるように書斎を出た。
今年、ついに猫が生き延びたこと。祖父の死が、まさに最新の購入日に起きたこと。
そしてどこかで、猫の鳴く声がしたこと。
その全てが、偶然であると信じたかった。
以上は千賀藤兵衛様よりの原案
「祖父はほとんど本を読まない人間だったが、『吾輩は猫である』だけは三十冊以上も持っていた。」
を元に創作したものです。