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錯覚
病院の空気は独特だ。
そう感じられる原因は、主にみっつだろう。
まず視覚。医師や看護士が忙しく立ち回り、病室には病人がみっしりと詰まっている。それはこの上ない非日常の光景だ。
次いで嗅覚。様々な薬品と病の香りが入り混じって、病棟には独特の匂いが漂う。ここはいつもとは違う場所なのだと、そう強く思わせるのには十分だ。
そして錯覚。人の死にまつわるところだという思い込みが、暗闇に鬼を生じさせる。柳を幽霊と見誤らせる。
平素ならなんでもないような事が、病院では何かの予兆のように、ありえない影のように不気味に感じられる事がある。
だから。
乗り込んだ僕一人きりのエレベーター。この密室の中に、僕以外の誰かの、見えない誰かの気配が確かにあるような気がしても。その息遣いが濃密なように思えても。
そんなものは錯覚なのだ。
この病院の空気が招く、ただの錯覚でしかないのだ。
息が首筋にかかる気がする。待ち遠しげな舌なめずりが聞こえた気がする。
でもそんな事はあるわけがない。
絶対に、あるわけがないのだ。