来光を見る
年の初めに、御来光を見るべく山頂を目指した。
夜の山道は無論暗い。一寸先もおぼつかぬ。足元を確かめながらゆるゆると進んでいると、突然鼻先を覆うものがある。何奴と剥ぎ取れば蚊帳であった。
しかも今捲った蚊帳の、その先にもまた蚊帳がある。しまったと後ろを振り返れば、やはりそちらにも蚊帳があった。
私はすっかり蚊帳に包み込まれてしまっていたのである。
さては蚊帳吊り狸めの仕業に相違ない。
狸の分際で不遜な真似をと、臍の下に力を入れてえいやと捲り進む。すると伝承に聞く通り、三十六枚目で蚊帳が途切れた。
そして同時に、朝日が見えた。狸めの足止めのお陰で、御来光に間に合わなかったのだ。
だがその曙光はまるで時機を測ったが如くであった。これを見越して蚊帳を吊ったのならば、それは狸なりの風流と讃えるべきではあろう。
そう納得して帰り皆に話したところ、
「お前は山頂に着いていないではないか、それではわざわざ元旦元日に山道を行った甲斐がない」
「蚊帳から拝んだのでは御来光のありがたみも半分以下であろう」
「お前は結局、狸めに邪魔立てされきったのだ」
返ってきたのは斯様な嘲弄ばかりであった。
私は狐仲間での評判をすっかりと落としてしまって、しょんぼり尻尾を抱いて眠る他になかった。