第七話 森の中の説明会 (side 召喚者)
肉球のぷにっとした柔らかさはまさしく至福の感触だと、あたしは思ふ。
現在、女の子座りーしているあたしの膝の上で蕩けているのは、可愛らしい子狼ちゃん――というかワンコちゃんである。小動物好きのあたくしのペッティング技術の前に、そりゃあもう至上の快楽を味わっている事だろう。きゅうんきゅうん気持ち良さそうに鳴きながらお腹剥き出しにしちゃってるのだ。ええい、この可愛らしさは反則だ! 理性という単語が涅槃に飛び立ってしまって、さっきから帰って来る気配が無い!!
「――そしてこのフェルサリナ大陸に七つの魔が現れた。惨劇竜魔、魔女、氷霊之星、焔光刃、影之槍、絶雷幻想、そして殺戮之皇子。これを七大魔王、または七魔と呼び……」
真っ白でふわふわの体毛が! ぴょこぴょこ動くお耳が! ふりふり揺れる尻尾がぁ!!
おおお……何と言う事だろうか。くりくりした眼であたくしを見つめながら擦り寄ってくるこのワンコちゃんの愛らしさは!! ほーら、ごろんとしろー。ごろんとするんだー。お腹撫でちゃうからにゃー。うりゃうりゃうりゃー♪
「――七魔と呼ばれたこの魔王を討つ為に、当時の生物の殆どが力を合わせた。人間のみならず、フェアリー、エルフ、ドワーフ、リザードマン、ホーク……我等『ウルフ』とて例外ではない。種の垣根を越えて力を合わせた……唯一最後の時代」
おお、そうか! ここか! ここが良いのか! うりうりうりー♪
いやぁ、かわいいなぁ、あったかいなぁ、やらかいなぁ……あたしの住んでたマンションは小動物なんて飼えなかったからもう嬉しいの何のって! もっと早くこんな子犬をハグしたかった!
なに? 子犬じゃなくて子狼だって? 五月蝿い喧しい黙らっしゃい。可愛いは正義なんだぞ。
「――しかし七魔の力は強力でな。エルフ達の魔法も、ドワーフ達の武具も、フェアリー達の結界も、リザードマンとホークの武勇も決定打にはならなかった。あまりに強力で強大過ぎたのだ。我等の一族も七魔相手では劣勢であった」
ああ、癒される。あたしの膝の上で寛いでるこの子は、世の中の厳しさに肩を落す者達に潤いを与える極上の清涼剤に等しい。柔らかで温かな感触だけでなく、くりくりした眼で見上げられたらもう。もうっ! 殺伐とした日常を送っていた森羅ちゃんからすると、このワンコちゃんの仕草だけで大量のヘモグロビンがまろび出てしまいそうになる。気をつけねばなるまいて。
だがしかし、この可愛さの前には鼻腔の平穏なぞキャバクラのポケットティッシュ並みの価値しかない。駅前でアルカイックスマイルと共に押し付けられるちり紙程鬱陶しいものはないのだ。いっそのことここで鼻なぞ永眠させた方が良いかもしれぬ。
「――そこに三人の女が――この世界の伝説『三大聖女』が現れた。僧侶リザリー・ロール、魔道剣士フェン・リー、そして勇者システィーナ・ロレンス。最終的にこの三人の人間が七魔を討ち滅ぼし世界に平和を齎したとされている、が……」
いや、とは言え、鼻の中の平和なんて幾ら崩壊しても構う事は無いが――それではワンコの匂いを嗅げなくなってしまう! それは一大事である。血の匂いに支配されてしまっては、この小さなワンコの魅力が半減だ! 大体、この真っ白なこの世の春が鉄分たっぷりなバイオレンスな赤に染まるなど赦せることではない。そんなことになったら鼻の代わりに眼から血涙が流れてしまう。
くそう。どちらにしても血が流れるとは。なんて非情な現実なんだっ!
「…………」
耐えるしかない。新雪の如き純白の毛皮を、いかに美少女とは言え生臭い青っ洟の血で汚す訳にはいかぬ。小動物愛好家としての心が粉微塵に粉砕される事は間違いないだろう。首でも括った方が何ぼかマシだ。
だけんども、首吊りは死後の発見が早くないと酷い有様になるからなぁ。目ん玉ひん剥くし、舌はでろでろんと出ちゃうし、色々垂れ流しに――ああ、でも大丈夫か。この森は狼さんが一杯居るから酷い惨状になる前に、あたしの身体はお腹の中だ。エコロジーで大変宜しい。
残骸が残る事も無いだろう。目の前に居るでっかい狼、大老さんは象もびっくりのLサイズ。あたしの身体なんてぺろりと平らげて――うや? 何かこっちをジト目で見てる?
何ざんしょ?
「……サジョウ。我の話を聞いているのか……?」
「え? ああ、うん。ちゃんと聴いてるよ? 昔、まおーが七匹現れました。みんなががんばりました。でもだめでした。それでもがんばりました。そしたらこんじょーのある人間のメスが三人ほどハッスルしてまおーたおしちゃいました。すごいので崇めてます……こんなところでしょ?」
「きゃんきゃん♪」
「わーい♪ 正解? 正解だよねー♪ よーしよしよしよしー♪」
「…………」
かぁいく鳴くワンコちゃんを、なでこなでこしながらあたしはゴートゥヘヴン。この世の楽園は、ワンコの温もりの中にあるのだと思い知らされる今日この頃である。
いやまあ、最初は真面目に大老さんのお話聞いてたんだよ? だけどなんちゅうか、ワンコちゃんが懐いてきて擦り寄ってきて、それどころじゃ無くなったと言いますか。だって撫でてあげないと涙目になるんだもの。これはもう致し方ない。でけぇ狼の無駄話なんぞ聞いてる場合ではない。
「何が無駄話だ何が。そもそもお前が所望した話だろうが」
「まあそうなんだけど……要点さえ解ればそれで充分だから、正直魔王とか聖女とか、大して興味が無いと言うか」
そもそも、どんなに崇高な昔話であろうとも、所詮は別世界の話である。そんなもの幾ら覚えたところで高等部の歴史の授業に出題される訳でもなし。自信満々に答えたところで黄色い救急車呼ばれるのが関の山な知識である。
国が違えば常識が変わるのと同じだ。違う世界の歴史なんて触りだけ聞ければそれでいいのだ。
「解りやすく最初から順を追って説明した我の目の前で言うでないわ。そちらの世界には人の話は最後まで聞く、という教えは無いのか」
「そう言われるとまあ」
「ならば聞けい。耳を傾けて神妙な顔で頷けぃ。どうして『子』とじゃれる方を専念するのだお前は」
「それは勿論この子が可愛い過ぎるからだと全世界に向けて断言するっ!! ……それに表向きの話を幾ら聞かされても、ねぇ」
「――なに?」
「あとは、この子を蔑ろにするのは、ある意味じゃ大老さんの話を聞き流す事以上に危険だと思ったからかなぁ……この子に『何か』したら、冗談抜きであたしの命無いでしょ?」
ぐるりと周囲に視線を巡らせば、そりゃもう沢山の狼さん達の瞳が。
疑わしい視線やら、敵意ある視線、殺意一歩手前の視線やら。酷いもんである。あたしが一体何をした。あたしはただ森の中爆走して、狼さんの顔面殴りつけて、森の樹をぶっ壊して……ちょっとお茶目が過ぎたかも知れないが、うら若き乙女にこんな不躾な視線投げ掛けなくてもっ!
あ、でもなんかあたしと同じように、ワンコちゃんの可愛い様を恍惚とした顔で眺める狼さんの姿も。間違いない。彼だか彼女だか知らんが、あの狼さんは同好の士。あたしの輩だ。よもやこんな異界の森の中で魂の友に巡り会えるとは。突然召喚された不幸まっしぐら天中殺な日かと思ったが、中々捨てたものではないらしい。
けど、まあ……やっぱり敵対する瞳の方が多い訳で。
それなのに今あたしが五体満足無事なのは、きっとこの子のおかげなのだと思うのだ。
「大老さんが言い聞かせてる、ってのもあるんだろうけどね。でもやっぱり、この子の影響が大きいなーっと。最初逃げてた時は確実に殺しに掛かってたのに、この子が現れた途端足止まったもの」
「……随分と冷静なのだな。このような状況に置かれて尚……異世界というものは、何処まで不穏な場所なのだ? この状況下で平然と話せる人間に出会った記憶は、我には無いぞ」
「や、実はそんなに平然としてる訳でも無いんだけどね……あと異世界、ちゅうかあたしの出身地である地球の日本は、とんでもなく平和な場所だよ。モンスターも魔王も魔法も剣も、『表向き』は存在していない世界ですからねぇ」
「……お主が特別、という訳か?」
「うん。真に遺憾ながら、残念な意味であたしは『特別』の部類。色々ぶっ壊せちゃう力なんて異端も異端。日本じゃ不必要なオプションだよー」
特異な力、特殊な力。そんなものはノーサンキュー。あたし個人としては普通に生きたい。
人生、平凡が一番である――こんな歩く破壊魔生成装置みたいな力はいらんのだ。
ついでに言うと、異世界召喚なんていう、他人に話すことも出来ない経験もいらない。履歴書にも書けないし、心底役に立たねぇ経験である。
「で、本当に本気で不本意なんだけど、変な荒事にはそれなりに慣れちゃってる訳。大老さんみたいなでっかい狼と対面した経験は無いけど、今と同じような状況下なら何度か経験あったりしちゃうんだよ。これがまた」
「……ほう」
「――あ、ご安心を。この子を人質……じゃなくて狼質? にする気は色んな意味で無いから。理性と感情、両方が不認可なのですよ」
「――聡い娘だ。殺気を出した覚えは無いのだが」
「だからおっかない。大老さんなら、殺気なんか出さなくても人間殺せるでしょ? 人が平然と虫潰すのと同じ感じで。理性が待ったをかけちゃうのは当然。この子を使って何かしようものなら……よく言うアレだよ。死んだ方がマシって目に会う筈」
そう。今あたしを見ている狼さん達の中で、一番おっかないのは目の前のビッグサイズキングな大老狼さんである。他の狼とは違い敵意を向けていないが、だからこそ恐ろしい。
それはつまり――敵意なんか無くても人を殺せる絶対者の証拠だから。
「成る程な。では感情での不認可とはどういう意味……まあ、その様子を見れば解るが」
「イエス! こーんな可愛い子捕まえて人質扱いなんて所業、神が許してもあたし砂上森羅がゆるさねぇ。いやもう本気で。どんな状況でも、『子供』を平然と殺せるようになったら色々終わりだと思うのですよー」
「きゃうん♪」
ワンコちゃんをなでこなでこしながら、きぱっと断言するあたし。
やっぱりねぇ。可愛いものは愛でなきゃ。不穏なこと考えちゃめー。
「……不可思議な人間よ。我の眼前に座りつつ動じないその胆力。冷静な判断力。そして……『子』を撫でるその手には愛情だけがある。お前のように揺るがぬ人間は久しく見ていない」
「……逆に言うと、それだけ波乱万丈な人生歩いてきたんだなー、としみじみ思っちゃって、ちょっと森羅ちゃんは鬱になるの……ってやけに詳しくあたしを『計った』けど……もしかして大老さんは心読めちゃうとか、そんなエスパーちっくな力の持ち主?」
「えすぱー? なんだそれは? その単語の意味はよく解らんが……感情程度なら読み取れるな。喜怒哀楽快不快……心の動きを、我の前で誤魔化す事は出来ん」
「うわ、ずっこい」
「やかましい。長年の研鑽の成果を、ジト目で批難するでないわ」
研鑽の成果て……一体どれだけ人間観察すればそんな境地に至れるのか。興味は尽きぬ。
「言っておくが人の身ではどれだけ時を重ねても無駄だ。真の読心や見心の境地に至れる機能を、お前達人間は持っていない。我等ですら至れる者は限られているのだから」
「機能? ……その振り振り尻尾に何か秘密が?」
「……まあ、我等一族の尾と感情は、確かに切っても切れぬ密接な関係にあるが……」
突然遠い目をする大老さん。
なんだろう。ご飯が待ちきれなくて尻尾振った経験でもあるのだろうか。
食いしん坊さんである。まあ、このガタイならそれも致し方無し。すくすく育ちすぎである。
「……何を考えておるサジョウ……? その生暖かい感情は一体なんだ?」
「イエ、ベツニ」
大した感情は向けてねーです。
精々、学年上がった新学期時に間違えて去年まで通ってた教室に向かってしまった可哀相な上級生を見る時の感情だ。
「まあいい。それでサジョウよ。先程、我の語った昔話を『表向き』の話と断じたのは何故だ?」
「………………?」
「首を傾げるな。本気で心の底から不思議に思うな。……お主忘れたな? 散々話が脱線した所為で綺麗サッパリ我が話した昔話を忘れたな?」
「…………………………ああ!」
「ああ、じゃないわああ、じゃ」
いやそんな事言ったって。あたしは校長先生の長話を最後まで聞かないで寝ちゃう生徒筆頭だったんだから。最後まで寝ないで聞いていただけでも表彰ものなのデスヨ?
「お主は学び舎をなんと心得る。それではただの駄目な人ではないか」
「失敬な。悪いのは睡眠音波を発生させる校長先生で……って、ん? あれ? 学校あるの、この世界? ……まあ、貴族階級とか偉い人は通う、かな?」
「大抵はそうだ。だが、この国の第二王位継承者が市井の者にも教育を受けさせようと苦心している……前途は多難のようだがな」
「そりゃそうだろうねぇ」
この国の第二王子さんがどういう人なのかあたしは知らないが、教育ってもんは難しいのである。国民が無能なのは困るけど、優秀すぎてもそれはそれで問題が。頭が良くなり過ぎて政治経済にちょっかい出すようになられると、政がし難くなる。しばらくは教育環境は足踏み状態だろう。ご愁傷様。
「と、その教育問題とさっきの話は絡んでるよ。上に立ってる人がさ、何でもかんでも真実語る訳無いからね。魔王さんとの戦争の歴史は、かなり隠蔽されてるというか捏造されてると睨んでるけど……実際のところはどうなの?」
「……まさに、だ。人間の都合の良い様に塗り替えられているものがある。列挙していくだけでキリが無いが……最も大きく変えられているのが、『三大聖女』の功績だ。魔王を実際に討ち滅ぼしたのは彼女達ではない」
「わーお。そりゃまた思い切ったでっち上げだね」
「無論、『三大聖女』も魔王討伐に関わっていたのは事実だがな。だが違う。実際に滅ぼしたのは一人の少年……サジョウ。お主と同じ、異界の人間だ」
「うーわー……ドロドロした国の陰謀が聞かなくても解っちゃうなぁ」
うへぇ、と我ながら変な声出しながら、お国の考えに頭が痛くなる。
いやまあ、解ると言えば解るんだ。どこぞの別世界の少年が魔王を倒したとか、そーいう話は実際起こったらエライ事である。国や軍の面子ってもんが粉微塵のバラバラ祭り。立場ってもんがねぇのであるよ。
となれば事実の方を何とかして捻じ曲げるのが国の打つ手という感じで……うーん、名も知らない少年君はどうなったんだろう。やっぱり殺されちゃったのかなぁ。あたし達の世界風に言えば、コンクリ詰めにされて東京湾にぶくぶくぶく。死人に口無し。あら怖い。
「しっかし大老さんやけに詳しいね? もしかして生き証人?」
「一応は、な。千年程昔の話だ。聖女にも異界の少年にも面識だけは、ある」
「おやまあ。随分とお爺ちゃんだったんだねぇ……」
道理でデカイ訳である。千年も生きればそりゃあ象サイズになっても納得納得。
「でも、というかやっぱり、というか、この世界は昔から召喚なんてもんがあったんだねぇ。しかも国挙げてやってるとか……あー、帰るのが中々しんどそうだなぁ。召喚についてのあれこれは機密になってるだろうから情報集めるだけで一苦労だろうし」
「……やはり、心に揺らぎが無いな。淡々と事実を受け止めて対応している……」
「だって嘆いていも帰れる訳じゃないし。帰りたいよー、ってえぐえぐ泣きながら落ち込んで、それで帰れるならいくらでも涙流すけど……そうじゃないなら建設的に物事を考えた方が無難ー」
「その言葉通り物事を考えられる者なぞ、我等の一族の中でもそうは居ないがな」
「種族は関係無いよ。出来る人は出来て、出来ない人は出来ないだけ」
――おおう。今こっち睨んでる狼さん達の気配が強くなった。これが所謂殺気である。何故、花の女子高生であるあたしが殺気云々に関して理解しているのかと言うと……まあ、森羅ちゃんにも色々あるのですよ。要らん力を持ってる人は、要らん物事に巻き込まれると言うか何と言うか。
さて、とりあえずはどうしたものかね。あたしが何言っても神経逆撫でするだろうからひじょーに難しいのだけど。
……と、どうしたのだいワンコちゃん?
「……きゃんきゃん!」
「グゥ!? ガ、ガウッ!!」
「うー……きゃんきゃん、きゃうん!!」
「……グルル」
うん。サッパリ解らん。
どうも、ワンコちゃんが周りの狼さん達に何か言ってるようなんだけど、流石に狼語を勉強した経験は無いのだ。わんわんわんと話せれば解るんだろうけど……これは犬語か。でも犬も狼も分類的には同じだから問題無いのだろうかねぇ。
…………そういえば言葉で思ったけど、あたしの『現状』は一体全体どういう事――――
「――静まれ」
……黙った、ね。大老さんの一言で皆黙ったね。
ちなみにあたしも黙った。ああやっぱりだ。この大老さんはとんでもない。最初に遭遇した時平伏したあたしを褒めてやりたい。だってそれ以外に生きる道は無かった筈だから。
あたしの能力なんて関係無いよ。何もかも壊せるからって、それが何になる。
……出来る人は出来て、出来ない人は出来ない。それと全く同じだ。
あたしじゃ、この狼の長には――絶対に勝てない。
「……若い者は血の気が多くていかんな。サジョウの、あれしきの言葉で我を忘れるか」
「あっははー。でもでも、血気盛んなのは若者の特権だよ。元気なのは良い事さー」
「……状況による。お主の腕の中に『子』が居る状態で我を忘れるなど、あってはならぬ事だ」
「きゃうん?」
しみじみと語る大老さんに、小首を傾げるワンコちゃん。
ワンコちゃんは自分の立場ってもんが解ってないんだろうなぁ……そういうあたしもまだ触りしか解ってないけどね。ただ、この『子』がとんでもなく希少というか貴重な存在なのは解ってる。
だって軽く百超える狼さん達に囲まれてるんだけど――ちいさな『子供』の形をしているのは、あたしの腕の中に居る一匹だけなのだ。他は全部、最低でも虎さんサイズの大きさなのだ。
幾らなんでもおかしい。地球産の大型犬サイズの狼すら皆無。
明らかに、このちっちゃな『子』が異端。
「……サジョウ。もう言わずとも解るな? 自分の置かれている状況。今なお、お主の命がある理由。五体満足で喋れている奇跡の訳は」
「……色々疑問はあるけどね。一番不思議なのは、何であたしに懐いたのかって事。それだけはどんなに考えても全然理由が思いつかない。この『子』の背景なんかは想像で憶測立てられるんだけどさ、好かれる理由については見当もつかないよ」
「それは我も同じこと。珍しい――本当に珍しい事なのだ」
……最初、遭遇した時に大老さんは言った。子が人を好くのを久しく見ていなかった、と。
大老さんが言ったのだ。千年は生きたと言ってる大老さんが言ったのだ。
千年単位で物事を見てきた老人が『珍しい』と言ったのだ。
……それは人間の物差しで計りきれる稀少さじゃ無い筈。あり得ないレベルでの出来事なんだろう。
「――お主はライゼールの、国の思惑によりこの地に召喚された稀人だ。危険と評してなんら間違いの無い能力を兼ね備え、更には『子』にまで好かれる異常性。見過ごす訳にはいかん。お主としては業腹ものであろうがな」
「いいよ。立場が逆なら同じ事してるし」
「……だが安心しろ。人の手に、お主を召喚した王の手に渡す気はこちらも無い」
「このちっちゃい『子』に絡んでる?」
「それ以前の問題だ。我等が『人』に協力する事など無い。人の王の指図など誰も受けんわ」
……この世界の人間は、狼さん達に何をしてくれやがったのか。
吐き捨てるように言う言葉には嫌悪感のみが込められてる。おなじ人間としては肩身が狭くなる気持ちでありますよ。
「……約束は違えん。お主の命は保障する。我等がお主に牙を剥く事は無い。だがこの地への滞在は許さん。明日にでも出て行って貰う事になるだろう」
「――りょーかい」
「素直だな。まあ、お主ほどの聡明さなら、この展開は想像できていたか」
「最初から長居するつもり無かったよ。どう考えてもあたしの方に非があるし。むしろこの世界の話を聞かせて貰って感謝してるくらいだもの」
「…………」
「あ、ただついでに聞きたい事がもう少し。あたしの黒髪ってこの世界じゃどうなの? 目立つなら隠さないといけないからさ」
「そう、か。そうだったな。その髪では逃げるの難しかろう……その程度ならば力を貸してやる。髪の色程度なら誤魔化せる術がある」
「え、いいの? ……あたし、お礼の類は何も出せないよ?」
「ほぼ無手のお主から何かを貰おうとは思っておらん。老人の気遣いだ。有難く貰っておけ」
そうまで言われたら有難く頂戴するに限る。最悪丸坊主も考えに入れていただけに、大老さんの申し出は有難いの何のって。目指せ腰まで届くロングヘアー何だから、切りたくはねぇのである。
さて、髪の無事が確定したところで……明日からは異世界大冒険の始まりだ。
色々考えることはある。まずは生活環境。衣食住をどうするか。まあ、追われる身ですし、住に関しては根無し草になる以外に手は無さそうだけど。逃亡生活かぁ……面倒だなぁ。
そして何と言っても、金、だよね。お金をどうやって稼ぐか……まずは街に行ってみない事にはなぁ。どんな仕事があるのだろーか。モンスターなるものが居るようなので、モンスター退治なんて仕事もあるか? それならまあ相手にもよるけどどうにか出来たり出来なかったり。個人的には手堅く食堂のウェイトレスをしていたい。賄い食も出るだろうから食も安定する。良い事尽くしだ。
あとは――
「そしてお主には――監視をつけさせて貰う」
「…………うや?」
「監視だ。お主をこのまま野に放っていいものかどうか判断できんのでな……案内役も兼ねる。見知らぬ地では不便も大きかろう。ガイドが一人付くと思えば良い」
「……首輪は出来れば遠慮したいんだけどー……」
「恨むならこの森に足を踏み入れてしまった己が不運を恨め。何度も言うが、人が踏み込み命がある時点で奇跡なのだ。多少の窮屈は受け入れろ」
「……いけずー」
何と驚きの監視生活だ。こんなでっかいワンちゃん連れて一人旅とか、怖いだけであるよ。牙とかぶっといし、森羅ちゃんの華奢な体なんてバリバリと食べられてしまいそうである。
「……って駄目でしょ。こんなでっかい狼連れて外歩いたら逃げるどころじゃ無いって。すぐにばれて兵隊さんに囲まれて、あたしは城の牢屋行き。そして脂ぎった小太りの醜悪貴族の手篭めにされてとても描写できないチョメチョメでンパンパな事されちゃって、哀れ森羅ちゃんは若い身空で――」
「その心配は無い。我等には化ける術がある――ガルミネス」
と、大老さんが何か、誰かの名前のようなものを言うと一匹の狼が前に。
大きな白い狼さんである。頭に赤い痕。そして微妙に見覚えがあるような無いような姿。
……見覚え? 何か冷や汗垂らしかけたあたしの前で――空中に陣が――
「――描き変化するは我が現身――」
空中に描かれた、所謂ひとつの魔方陣的なものが光る。
思わず目を細めてしまったあたしの前で……生真面目そうな短い白髪の美男子さんが御一人誕生。
細身のマッチョといいますか。良いガタイしてやがる。でも何でズボンは履いてるくせに上半身はマッパなんだ。むしろそのズボンはどこから出てきた。
……ちゅうか、えーと、変身魔法ってやつかい。何でもありですか異世界は。
「俺の名はガルミネス。貴様の行動、見届けさせて貰うぞ――人間」
好意なんて欠片もねぇ様子で顔を近づけてくるガルミネスさん。
……やっぱり額が少し赤い。まるで誰かに殴られた痕みたいな…………。
……って、この人、もしかしなくても、あたしが森の中で頭を全力殴打しちゃった人では!?
やだやだー! 絶対怒ってるよー!! チェンジチェンジー!!