第二話 憑依したモノ
「づ……あ、あぁぁぁぁ……っ!」
激しい頭痛を自覚して、俺は今自分が何をしているのか何も解らなかった。
頭に直接杭でも刺したような、進行形でのこぎりを引かれているような、叫ばずにいられない程の激痛。前後不覚、なんてものじゃない。涙が零れ、口から涎が溢れる。のた打ち回る。七転八倒。その場転がり続ける、俺と言う人間。
【魔陣――フェルサリナ大陸――女神の名――ハンター――魔剣――言語――書物――魔導制御法――召喚陣――太古の――通貨――最奥の――自身――魔王遺産――天界への門――】
頭の中を駆け巡り暴れ回る見知らぬ『知識』。こんな知識は知らない。学んだ覚えが無い。何十年単位の情報が無理矢理頭の中に叩き込まれていく。拒否したくてもできない。自動的に押し込められる。
俺は、その激痛に歯を食い縛って耐える。涙は未だに止めどなく流れているけれど、せめてもの意地で声だけはあげない――何の意地だ? 俺の意地だ。今日の今日まで泣いた事の無い俺の意地だ。これ以上の無様は見っとも無くて吐き気がする。これ以上、自分の弱いところを自分に見せる事が、この激痛よりも屈辱な痛み。
俺、火宮守勢の意識が、感情が、少しずつ浮上していく。今も尚流れ込んでくる訳の解らない『知識』。こんなもんに何時までも膝を屈するのは矜持に関わる。
俺から意地を取ったら何も残らない――だから、挑むように俺は猛る。
「お……おあぁぁぁぁぁぁあああっ!!」
痛みを追い出すようにあらん限りの怒声を上げる。獣のような咆哮が、自分の耳にも届く。
すると、徐々に痛みは消えていった。まだ、じくりじくりと鈍痛はするが、先程までに比べれば大した事は無い。充分許容範囲の痛さだ。しばらく動けそうには無いが。
「はぁ、はぁ、はぁ……何だってんだよ、くそったれ……」
荒い息を吐きながら仰向けになる。
何が何だか解らない。どうしてこんな頭痛が俺を襲ったのか解らない。頭痛と共に流れ込んできた『知識』が何を意味するのか解らない。
全てが理解不能だから、俺は意味も無く上を、空を見上げる。
晴れ渡った青空が目に入った――。
「……ああ? 外、だと……? ……ちょっと待て、なんだぁ此処は……?」
体はまだ痛む。痛むけれどそれどころじゃない。此処は何処だ。
上が青空なら、倒れている地面は……土だ。青々とした草の生えた土。草木が茂っているのが目に映る。小鳥の囀りも聴こえる、紛れも無い外の景色。外が珍しい訳ではないが――俺はさっきまで室内に居た筈だ。それがどうしてこんなところに。
「寝てられる状況でも無いって事か……くそ、何がどうなってやがる」
体を起こす。起こした際に視界に映りこんだ景色はやはり外の空間。先程と違うのは泉が見えるという事か。それなりに大きく、そして澄んだ泉だ。どこぞの、人の手が入ってない森にでも放り出されたのかね俺は。
そして――服装が変化している事にも気付いた。訳わかんねぇ服。変な紋様が描かれた趣味の悪い黒服だ。触り心地は悪くないが、センスが欠片もねぇ。こんな服来て外歩いたら職質間違いなしだぞ。
「って……んだこの“手”は……? 俺の“手”じゃねぇぞ……?」
一番理解できないものが目に映る。
俺の、火宮守勢の“手”はこんなものじゃない。爪の形、皮膚の厚さ、指の長さ、そのどれもに差異がある。これは別人の手だ。間違いない。火宮守勢のモノではない。
「……っ!」
急ぎ、四つん這いで、泉の淵まで駆ける。みっともない動作だと自覚してるが、んな事はどうでもいい。一番理解できないのが自分の体だってことに気付いた。俺の身に何が起こったのかを知りたくて――同時に、何も起こってない事を希望しながら、澄んだ泉の水面を見る。
そこに映っていたのは――――見た事も無い『誰か』の顔だった。
染めた訳では無いのだろう。燃えるような鮮やかな赤髪。
目付きの悪い、悪党染みた二つの瞳。瞳の色まで紅に染まっていて。
その癖、顔立ちだけは整っていやがる。端整、と言っても間違いないだろう。
「年齢は……俺と同じくらいかぁ? 十七、十八っていったところか……」
無論若作りの可能性もあるので、実際の年齢は知らねぇ。三十近いおっさんの可能性もある。
けどまあ、んなもんは些細な問題だ。どうだっていい。問題なのは――なんで俺が『別人』になってるのかって事だ。意味が解らな過ぎて思考が止まりやがる。
しかし、その訳の解らない『別人』の顔を見た瞬間、見知らぬ『知識』が浮上する。
それは名前だった。おそらくは、この赤髪悪党野郎の名前。
「フレアス・ブリューネル……はっ、てめぇの名前なんか知るかっての。俺は火宮守勢だ。そこを曲げる気はねぇぞ」
その名前にどんな意味があるかは知らねぇ。知る気もねぇ。俺の人生に他人を割り込ませるつもりは欠片もねぇ。
ただ、考える。今のこの状況はどういったものなのかを。
自分の、火宮守勢の意識とは別に、外見は随分様変わりした。赤髪のフレアスという野郎の体になっている。ようするに俺の外見が――どちらかと言うと中身が変わったってことか。
憑依。つまり俺が赤髪野郎に乗り移ったと。この状況はそういうことか? 霊が乗り移るとか、そういう真夏の怪談染みたあれのことか?
「オイオイ……俺はいつからお化けになったってんだ? 死んだ覚えなんて――」
そこまで言いかけて、止まる。止まざるを得ない。言おうとした事が解らないのだから。
おい。俺はさっきまで、頭痛がしてみっともなくのた打ち回るまで、何をしていた? 室内に居た――何処の室内だ? 何の室内だ? 室内で何をしていた?
……思い出せねぇ。頭の中の記憶が虫食いみたいに欠けてやがる。俺についての記憶が中途半端だ。自分自身が何なのか中途半端にしか思い出せねぇ。どっかの学校に通ってた男子高校生だって事は解るんだが、詳しい部分はサッパリだ。記憶がぐちゃぐちゃになってやがる。
「このクソ野郎の『知識』を叩き込まれた所為か……? 本当にクソだなこの赤髪は。クソみたいな『知識』押し付けて、俺の記憶を壊しやがって……」
本気でぶっ殺してぇがそういう訳にもいかねぇ。なにせ、どんなにクソでも俺の今の体は、そのクソ野郎の体なのだから。この赤髪殺す為には自分の体にナイフでも突き立てなきゃいけねぇ。けれど、それをすると俺も、火宮守勢まで死んじまう。
どうするべきだか。まあ、どうするもこうするも、元の体に戻るのは確定だがよ。こんなクソ赤髪の体なんぞで生きてくつもりはねぇ。
「となれば……まずは現在地の把握だな。こんな、斧落として女神サマが出てくるようなメルヘンちっくな泉に用はねぇんだ。さっさとこの鬱陶しい森から出るとするかぁ……」
とりあえず森の外へ向かって歩くとする。森を抜けるまでどれだけ距離があるか知らねぇが歩かない事にはどうにもならねぇ。山奥とかじゃねぇだろうな。このクソ赤髪は荷物の類何も持ってねぇんだ。手は空手だし、懐漁っても特には……。
「いや、あったな……なんだこりゃ? 金貨に銀貨ぁ? おいおい何処の国の通貨だこれ。まさか純金じゃねぇだろうな……見た事ねぇぞこんなもん」
まぁ、今のぐちゃぐちゃになった俺の記憶がどれだけ当てになるかは知らんが、こんな通貨見た事ねぇ。しかし困った事にクソ赤髪の『知識』にはこの通貨の情報がある。
なんか『大陸通貨』とかいう名前らしい。なんでも『フェルサリナ大陸』全般で使用できる稀少通貨で『神皇都市ディバインガルド』の栄えた時代から使われている――。
「…………は? んだその名称? ふぇるさりな? でぃばいんがるど? ……おいおい、このクソ赤髪の頭狂ってんじゃねぇか? なんだよそのファンタジー小説に出てきそうなメルヘンな名前は?」
マジでクソ赤髪の脳内を心配しそうになるが……妙に理路整然としてやがる、この『知識』。
しかし、そんなもん認める訳にはいかねぇ。このクソメルヘン知識がもしも、万が一、本当に、有り得る事なのだとしたら、俺の今居るこの場所は――――。
「…………ああ、くそったれ…………メルヘン世界にご招待かよ…………」
考えながら森を抜けた先。そこは広がる大草原、一切科学技術で整備されていない大地が在った。
そりゃ俺の記憶はぐちゃぐちゃだが、それでも確信できる。こんな光景、日本には無い。海外の可能性も無くは無いが――その可能性は今ゼロになった。
森を抜けた先で、妙な二足歩行の獣が居た。角生やした大きな鬼。軽く二メートル越えてる巨躯。
自動的に、勝手に浮上してくる『知識』からすると、それは『オーガ』とかいう名称らしい。
さらに『知識』はとんでもない事まで教えてくる。どうやらこのオーガ……人を襲うようだ。
「おいおい……いきなりそれは難易度高いだろうが。せめて最初は雑魚いのからにしてくれよ」
自分でも解るほどの空笑いが口から漏れる。
くそったれめ。居場所も解らん、状況も解らん、理由も解らん。そんな解らん尽くしだけでも手一杯だってのに、なんでこんな化け物と対面しなくちゃならねぇんだ。
しかも……ああやっぱりか。拳振り上げて迫ってきやがる。ってうるせぇよクソ『知識』。そんなくそったれな『知識』に頼るまでも無く、あんなのに殴られたら死ぬ事くらい解るんだよ。
ああ畜生仕方ねぇやる気はねぇがしょうがねぇ。
あの化け物相手に、どうにかして生き延びるとするか。
フレアス・ブリューネル(火宮守勢)=憑依担当。三人目の主人公。