続いてゆく遠足
遠足に向かうバスの揺れが、身体だけでなく僕の心も揺すぶってくれる。揺さぶられた心は今にも外に飛び出しそうで、期待感は地面に振りに振った炭酸飲料の缶のように弾けんばかりに膨れ上がっている。
"………の列に突如、現れた男がナイフのような物を持って学生を切り付け1人が死亡、3人が軽傷を負い………"
横で携帯のワンセグテレビを見てる隣の男の携帯を取り上げる。
「おい、返してくれよ」
「遠足で携帯見てるなんて無粋な奴め、これは没収だ」
取り上げた携帯電話を取り返そうとわたわた暴れる手が、僕の手から携帯電話を取り戻そうとするので、後ろの席の友人に渡す。
「そうだぞ田辺、没収だ、没収」
「返せよぉぉー!」
隣に座る友人の田辺との他愛無い会話も、遠足の空気がスパイスになっていつもより楽しく感じられる。見学がメインの地味な遠足だけど、きっと皆といれば楽しい。
「おい、なんか朝井さんがこっちみてるぜ」
後ろの席の友人が肩を叩き僕に言う。振り向くと女生徒と目が合った。入学したばかりで、未だクラスメイトの名を全員は覚えてないけど、こんな美人の名前を知らないなんて、まったくうっかりしていた。朝井さんは僕に何かを訴えるような眼をこっちに向けていた。綺麗な眼からの視線はよりいっそう胸に刺さる。話す声がうるさかったのだろうか、はしゃぎ過ぎないようにしなければ。会話が終わり、する事のない僕はバスの外の風景でもみて時間を潰そうと思い、白と黒のモノトーンのカーテンを開けた。雲ひとつ無い快晴、絶好の遠足日和だった。
午前の部の目的地である科学博物館に到着。お堅い雰囲気な施設だと思っていたけど、最先端の科学技術を体感出来て思いのほか楽しい。『脳波制御式リモコンカー』、『透明になれるマント』、『斥力ホバークラフト』等々、僕たちの好奇心を揺さぶられずにはいられない物ばかり。僕が特に興味を引かれたのは『脳内カメラ』だった。頭の中のイメージを取り込んで、実際に写真として映像化するという素敵な機械だ。この『脳内カメラ』は実際に警察などで、被害者の脳内を映像化して、犯人を特定するなどの目的で運用されているらしい。
しかし、僕達は男子高校生。男らしくエロ妄想を脳内に透写して、モニターに映し出し、誰が一番エロい写真を作れるか競い合った。皆、中々のエロ写真を透写している。ここは僕の妄想力の凄さを思い知らせてやろうとヘッドギアをかぶって思う様のエロを念じてみた。しかし、駆動音が鳴り、機械が思考を読み取ろうとした時に頭痛が走り、頭の中が一瞬、赤いイメージに染まった。
出てきた写真には何故かナイフを持った男が写っていた。皆からの冷たい視線が刺さる。
「いやー…エロ妄想してたら、通り魔のニュースを思い出しちゃって…別に男にナイフで脅されて好き放題されたいなんて願望はないよ…失敗したからもう一回やっていい?」
許しをもらい、なんとか今度はエロ写真を透写できた。中々良い出来栄えだったが、マニア向けだという事で優勝は逃してしまった。
田辺が言うには「脳内カメラは研究されている新型だと、脳内の記憶ですら映像として見る事が出来る」らしい。妄想を画像化するぐらいなら楽しいけど、頭の中まで覗かれるなんて気分がいいものじゃない。そう考えると怖い機械だなと思えて、カメラの体感ブースを離れた。すると後ろに視線を感じ、振り向くと朝井さんがこっちを見ていた、
「まったく禄でもない機械ね、心の中を暴くなんて神様への冒涜だわ」
そう言ってそこから立ち去った。田辺はそんな朝井さんに
「神様だってさ。この科学の時代に珍しく信心深い奴だよな」
と冷たく言い放つ。
あれやこれやと遊んでいる間にバスの出発時間があっとういう間にやって来て、施設から出る時に小学生の集団とすれ違った。彼らも遠足で来たのだろうか。彼らは磁石の力で動くガイコツの人形を躍らせて遊んでいた。『Memento mori』と書かれたブースの下ではしゃぐ彼らの姿を見て、先ほどの自分達の姿と重なり、高校生になったのだからもう少し落ち着こうと自分に言い聞かせた。
気付けばいつの間にか午前の部は終了で、昼食の時間になった。僕は仲のいい友人達と集まって、白い花が咲いている横にレジャーシートを敷いた。その時、ポケットの中の小さな振動がメールの着信を知らせてきた。メールの送信者は不明、内容は < 思い出せ >そう一言書かれているだけだった。多分いたずらメールだろうと消すと、黒い蝶々が大きな羽を重たそうに羽ばたかせながら目の前を通り過ぎた。
「いつまでも忘れたくないよ、こんな楽しい時間を皆ですごした事」
と言った田辺を大げさだと言って皆笑ったが、確かに今日の事は楽しい思い出になるだろう。きっと皆もそう思っているに違いない。食事をしながら談笑していると背中に視線を感じた、振り返ると10m程後ろで朝井さんが赤い花畑の中にたたずんでいた。花の雄しべが輪を描く天界の植物のような花の後ろに立つ彼女はまるで天女の様だった。彼女はこっちを見ながらしきりに口を動かしていた。何かを僕等に向かって言っているのだろうか。美人と話すチャンスだと思い、勇気を出して立ち上がろうとする、そんな僕の気持ちを
「おい、俺の話聞いてんの?」
と田辺がさえぎるのだった。仲良くなれたかもしれないのに、この野郎。
再びバスに乗り込み、午後の目的地である『石神代古墳』に到着した。古墳の横に歴史資料館があって、解説を聞きながら古墳を一回りした後、資料館のほうで見学を行うことになった。最先端技術と違って、古代文化は僕の心をくすぐらなかった。そんな古墳に関心を示さない僕を、ショーウィンドウ越しに見える埴輪が怒っているように見えた。死者と一緒に埋められた埴輪、こいつらは死者の死後の人生を守る為に作られ人形らしい。それなら、大量の美少女フィギュアと一緒に埋められて死んだら、死後にラブコメ真っ青なハーレムが待っているのだろうか?そう聞くと田辺は「馬鹿な事言うなよ、死後の世界なんてないよ」とそっけなく返され少しへこむ。
特に見たい物もなくとりあえず資料館の展示物を全部流し見ていた。勉強に来たのにこれじゃあいけないと考えているとまた背後に視線を感じた。(やっぱり彼女だ)長い黒髪と目鼻立ちがくっきりとした顔は、古代の展示物の中でも輝きを失わず、むしろこの場にふさわしいのではと思える。彼女の顔を見て昼食の時、朝井さんが自分に何かを言おうとしていたのを思い出し、ちょっと近寄り難い雰囲気のある彼女に勇気を出し話しかけてみることにした。
「いやー、結構勉強になるねー、ここ」
「そう、私は昔来たことあるから」
まるで、子供の時に遊んだあやとりでも見てるかのように彼女は古代の農具を懐かしむように見る。
「そうなんだ、中学生の時に来たの?」
「そうね、それぐらいかも。そんなことより、あなたに見てもらいたいものがあるの」
「な、何だい。見せていただけるならなんでも見るけど…」
彼女の大人びた声は、僕を一層緊張させたが、美人の頼みごとを断るほど薄情ではないのだ。僕は静かに歩く彼女の後ろを付いて行き階段を降りると、さっき居た資料館とは別世界の様な空間に出てしまった。床はタイルカーペットではなく、コンクリートの冷気を感じさせる緑のビニール床に変わり、壁は温かみを感じさせない白色で、まるで病院のような雰囲気を醸し出していた。違和感に全身に鳥肌が立つ。
「この階では何を展示しているのかな、ここってもしかして事務所とかしかないんじゃないの…?」
「あなたに知ってもらいたいのよ、あなたに何が起きたか…」
横から人の走る音が聞こえ、担架で誰かが運ばれてこっちに向かってきている。何故か異様な寒気が自分の身体を包んでいる。誰か怪我でもしたのか?と彼女に聞く前に、さっき降りてきた階段からけたたましい音と共に回転する物体が転がってきた。ぴくぴくと黒くうごめく物体はなんと田辺だった。近づくと田辺は半ば意識を失っていた。自分の後ろで担架が通り過ぎたが、気にしている場合じゃない。朝井さんが伝えたい事も気になるが、目の前の怪我人が優先である。すぐに先生を呼びに戻った。田辺の容体を見てもらっている間に鳥肌は消えていた。結局、田辺は大した傷も無く、帰ったら病院で診察してもらうという事で、田辺は先生にこっぴどく怒られた後、解放された。
「いやー、階段から足を踏み外してさー」
余りに健康体な田辺を見て、コイツにかけた心配は掛け損だったと、怒りがふつふつとわいてきた。またコイツに、朝井さんとの会合を邪魔された。この馬の骨やろうめ。朝井さんに会いに戻りにあの異様な雰囲気の階層を探したのだが、どこの階段を降りてもあの場所にはたどり着かなかった。あの空間は一体なんだったのだろうか、担架で運ばれたけが人は何処に言ったのだろうか、疑問は多々あるが見学時間の終わりが近い。彼女もバスに戻ったかもしれないし、もう見る物も無いので僕はバスに戻る事にした。
出口の自動ドアの直ぐ外、何かを囲むような人だかりが出来ていた。何があったんだろう?つい野次馬根性が湧いてきて、自然と人だかりのほうに向いていく。
「おい、そんなの気にしてないで、早くバスに帰るぞ!」
確認に向かう僕の手を田辺が強引に引っ張った。(コイツはこんな強引な奴だったっけ?こういう場合は一緒になって見に行くものだろう)と田辺との付き合いについてふと考えてしまう。そういえば、遠足で仲良くなっただけで、田辺の事を何一つ知らないのに今更気が付いた。引きずられるようにしてバスの方に向かうと、突然、行き先とは反対方向に僕の背中を誰かが引っ張って来た。
「そっちに言っては駄目、あなたにはあそこで何が起こったかを見てもらわなくてはならないの」
僕を掴む手は朝井さんの手だった。以外に強い彼女の力は田辺の手を僕から引き剥がした。
「今ならまだ戻れる、早く戻って来い!!」
田辺が何か言っているが美人の誘いである、許せ田辺。
彼女の行く先はあの人だかりだった。搔き分けるように中心に向かう、少し強引な彼女に僕は狼狽しながら、彼女の通った後を進む。最前列に着くと、人を集める原因になった物が見えた。黒紺の制服の男子高校生が血を流し倒れていた。
「うちの生徒じゃないか! 先生を呼ばなきゃ!」
「いいから、この生徒の顔を見て。良く知ってる顔でしょう」
朝井さんは、何の躊躇も無しに血塗れの生徒に近づき、顔を掴み、僕に良く見えるように生徒の顔をこちらに向けた。確かに良く知る顔だった。鏡で毎朝見る顔、自分の顔と瓜二つなのだから。口から血を流す自分と同じ顔をした少年と眼が合った。
「思い出せ」
少年は僕に向かってそう言った。
その直後、視界が回転し、眼に入った太陽のまぶしさに眼を細めた。何故か僕は、いつの間にか地面に倒れ、天を仰いでいた。口の中に鉄の味が広がり、肺から何かがこみ上げ、そのまま嘔吐した。僕の口から出た液体は赤く、土に染み込んでいった。ふと、自分の胸からこみ上げる痛みを感じた。そこに触れると手にどろりと赤い液体が付着した。胸の痛みは急に大きくなり、火鉢を直接身体に突っ込まれたような痛みに変わった。余りの痛みに、僕は自分が吐いた血の海の中でのた打ち回る。そんな僕を、朝井さんが見下ろしていた。朝井さんの後ろに居たはずの自分は、血塗れの男と同じ場所に横たわっている。
「思い出した?」
血塗れの男は自分自身だったのだ。
黒い蝶々が目の前を飛んでいる。
かすむ眼に野次馬達の顔がガイコツに見えて、みんな僕の周りで踊っているように見える。
雪が溶けて岩肌が露になるように、血に濡れた地面が溶け出し、そこから緑色のビニールの床が現れた。ビニールの床は広がっていき、太陽だと思っていた光るソレは実は蛍光灯で、野次馬に囲まれていたはずが、いつの間にか僕がいた其処はコンクリート壁に囲まれているのだ。其処は、資料館で朝井さんが案内してくれた病院の様な場所に瓜二つだった。
「ここは病院なの。______そして、あなたは…」
動けない自分は何かに乗せられ揺られながら運ばれている。乗り物の揺れは、身体だけでなく僕の心まで揺らすようで、揺れるたびに僕の不安感は階段をころげ落ちた炭酸飲料の缶の様に今にも破裂しそうだ。その乗り物が僕をベットに降ろすまで、それが自分を運ぶ担架だった事に気が付けなかった。
そうだった、自分は遠足が終わってバスに戻る途中に現れた通り魔に刺されたんだ。なんで今まで思い出せなかったんだ。古墳の見学が終わってバスに帰る僕らの所にナイフを持って走ってきた男は、僕らをナイフで切り刻もうとして、友人を咄嗟にかばった僕の胸に通り魔のナイフが刺さって、そのまま倒れて… 今まで自分が見ていたのは夢だったのか?
"___本日午後4時、遠足途中の学生の列に突如現れた男が、ナイフのような物を持った通り魔が学生を切り付け___"
田辺が見ていたニュースを思い出した。続きは何だったっけ?
医者らしき男は僕の胸に電気ショックを加え蘇生処置を数度試みた後、取り出した器具をそのまま放置して僕を別の部屋に運んだ。そこには、白衣を来た男が二人居た。
「僕は死んだのか… 嘘だろ! 何で!? こんなに意識がはっきりしているのに!?」
朝井さんは自分の横に付き添うようにたたずんでいた。そして、その手で僕の眼を塞いだ。
「見なさい、あなたがここで何されているか」
彼女が手を離すとそこにはさっきの自分が連れ込まれた部屋で、さっき白衣の二人組みが塩辛色の物体をいじりながら、何かを話している。
「失敗したな、またノイズが走って、固体の意識が死のイメージに包まれた。今回も同じ結果に終わるだろう」
「新鮮な個体だったのですがね。なんとか、偽の情報を与えて誘導してやったんですが…やはり、不可能と言うことでしょうか」
「わからん…ただ、死を認識した固体にはこれ以上アクセス出来なくなる。これは確定したといってよい。だが、実験は失敗だ」
「"人間の意識"それが脳に宿っているならば、死んだ肉体の脳に偽の情報を与えて、自分が生きているという認識を与えてやれば、脳を生かしている限り意識は死なずに生き続け、脳の保存が人間という存在の保存を可能にする___この仮説は間違っているのでしょうか」
「証明してみせるさ。脳の電気信号の解析はかなり進んでいる、その上、さらにこの仮説が証明されれば人間の脳の機能を機械に移す、つまり"電脳化"を可能にするかもしれないのだから」
「魂の入れ物を変える事で不死を手に入れる。古代からの人類の夢を手に入れる事が出来るのですね」
塩辛色の物体は脳みそだった。ベットに横たわる僕の頭はびっくり箱の様にぱっかり空いていて、グロテスクに滑稽だ。彼らは僕の脳みそを取り出して、数百の細かい電線を繋ぎ、
___「脳内カメラは研究されている新型だと、脳内の記憶ですら映像として見る事が出来る」___
彼らは僕の記憶をモニターを通して見ていたのだ。僕はその光景を見て、叫び、わめきちらそうとしても、暴れる手も足も、声を出す喉すらない。自分はまるで幽霊の様に空間を漂い、既に死体となった自分と、二人の男が自分の脳みそを弄繰り回す様を見ていることしか出来なかった。
「失敗した要因は、今回用意した擬似人格『田辺』の生への喚起能力不足があると思うのですが、やはり記憶の中の人間を模倣して人格を作るのではなく、こちらで生命喚起に特化した擬似人格を作成し、より効率的な意識誘導を行うのが良いのではないでしょうか」
「いや、それより『ノイズ』だ。毎回、こいつが必ず現れて、脳の意識に死のイメージを植えつけていく。優先すべきはノイズ対策だ」
「いったい、『ノイズ』とは何なのでしょうか。先ほど確認したのですが、この少年のクラスメイトに『朝井』などという生徒はいませんでした。まさか、あれは"死神"とでもいうのでしょうか」
「"死神"なんて非科学的な。そんな存在があっていいはずが無い」
「しかし、ノイズに捕らわれた後の脳からは…」
助手らしき男がキーボードをいくら叩いても、モニターには歪んだ映像しか出てこなかった。
「まるで、完全なる死を示すかの様に、なんの情報も取り出せなくなる…か。実験は失敗したが、犯人の顔写真は手に入れた。医者に伝えておけ、家族に解らない様に脳の縫合跡を消しておくようにと」
「はい、解りました」
そう言って、白衣の男は僕の脳みそに付いたコードを外し
__________ブチンっ____________
と音を立てて、僕の視界は真っ暗闇に消えた。感覚は全て消え去り、無限にも一瞬にも思えるような時間が流れた。
____ごとっ_____
頭をガラス窓にぶつけて眼が覚めた。どうやらバスの中で眠っていたらしい。遠足に向かうバスの揺れが、身体だけでなく僕の心も揺すぶってくれる。揺さぶられた心は今にも外に飛び出しそうで、期待感はメントスを突っ込んだコーラの如くだ。隣に座る長い黒髪の美少女がこっちを見ていた。まったく恥ずかしい所を見られたものだ。僕はごまかす為に、彼女に話しかけることにした。
「話すの初めてだよね…バスの揺れが気持ちよくってつい寝ちゃったよ。今日の遠足はどこに行くんだっけ…えーと…」
彼女の名前が思い出せない。入学したばかりとは言えこんな美人の名前を覚えていないなんて、僕はうっかり者だ。
「朝井よ、朝井って言うの私。遠足の行き先は教えてあげられないけど、きっといい所よ。楽しみにしておいて」
確かにこんな美人と一緒なら、どんな所でも楽しいだろう。朝井さんと一緒ならこのままずっとこのバスに居ても良い、そう思えてきた。バスから漏れる光は白く輝きを放っている。光がバス全体を包み込み、やがて、バスの中まで白い光に飲み込まれていった。この遠足は一体どこへ向かうのだろう。彼女は言った「きっといい所」だと。僕は座ってじっと待つ、バスが目的地にたどり着くまで。