第五話 住処
アラームがないのが困る。
何となく遠くの方から聞こえた気配に、瞼がゆっくりと開く。
起き抜けの視界に飛び込んできたのは、昨日と変わらない木組みの天井だった。
「……」
――でも、なぜか昨日よりショックが少ない。
もしかしたら、心のどこかでそんな気がしていたのかもしれない。
音のする台所に向かうと、見慣れた背中が立っていた。
初っ端からすっぴんを見られてしまったせいで、良くも悪くも気楽だ。
「……各務様、おはようございます」
「ああ、湯呑か。眠れたか?」
また湯呑呼びなのが気になるが、ここに置いてもらっている身としては仕方ない。
「はい、おかげさまで」
「美味かった」
「え?」
「この料理だ。湯呑が作ったんだろう」
「はい!」
(良かった……)
「昨日は戻られなかったのですか?」
「ああ。湯呑の行き先を考えていてな」
「!」
反射的に肩が跳ねる。
「私の、行き先……?」
「昨日みたいに急に誰かが訪ねてくるかもしれない。外出もままならない。ここでじっとしているのも不自由だろう」
(ここじゃない行き先って……)
確かにここは不便かもしれないけど、何より各務様がいる安心感がある。
……でも不便なのは、急に得体の知れない人間を住まわせることになった各務様の方――。
「……どこですか?」
「あくまで候補だ。嫌ならここにいれば良い」
「え?」
次の瞬間、各務様はもう背中を向けていた。
「一度見に行こう。支度を」
「はい!」
***
頭巾をかぶり、足早に馬の元へ向かう。
(ここに来た日以来の外だ……)
家から出た瞬間、陽射しがやけに眩しく感じる。
目を細めながら辺りを見回す。
低い建物が並び、行き交う人達はみんな着物姿。
改めて、自分が全く違う場所にいる現実を突きつけられる。
「……急ぐぞ」
「はい」
あの日と同じように馬に乗り込むと、各務様が後ろから支える形で馬が動き始める。
時代劇の中に迷い込んだような、不思議な気分――。
町を抜けてしばらく進むと田んぼが広がり、その向こうに山々が連なる。
(うーん、空気がおいしい……)
久々の外出のせいで、余計にそう感じるのかもしれない。
空は綺麗に晴れていて柔らかな陽射しが注ぐ。
(背後の各務様の存在は緊張するけど……)
そんなことを思いながら馬に揺られていると、やがて山の麓に建つ一軒の家が姿を現す。
「!?」
突然、胸が力強く脈打ち始める。
近づくほどに、その強さが増していく。
「……どうした?」
私の様子に気付いたのか、各務様が声をかける。
「い、いえ……何も……」
深呼吸をして、一旦心を落ち着かせる。
(そんなはず……)
しかし、意を決して再度見つめた先にあったのは……あの日ノートに描いた景色そのものだった――。
***
茅葺きの屋根。
どっしりとした構え。
陽当たり抜群の縁側。
周りの風景も含め、それはあの夜……異世界に来る前夜に描いた絵そのものだった。
馬が止まっても動こうとしない私に、各務様が声をかける。
「湯呑、着いたぞ」
「……あ、はい」
名前を呼ばれ、慌てて馬を降りる。
(ここって……でも、そんなことある?)
「どうした?」
「いえ……」
室内に入ると、さらなる驚きが私を待っていた。
「……こ、ここって……」
上手く出ない声を、どうにか絞り出して尋ねる。
「ここは私の実家だ」
「え……」
「両親がいなくなってからは誰も使っていない。だから自由に使ってくれて構わない」
部屋の真ん中の囲炉裏。
使い込まれた丸い卓袱台。
壁際の箪笥。
隅に置かれた行燈。
それだけじゃない。
卓袱台の大きさも、箪笥の取っ手の形も、遊び心で行燈に描いたりんご模様まで……何もかもが描いた絵とぴたりと一致していた。
信じられない光景を前に、自然と頬をつねってしまう。
(こんなことって……)
声に出そうになって、慌てて押し込める。
さっきからずっと鼓動がうるさいままだ。
ふと視線を向けると、大きな引き戸が目に入る。
それは描いた絵にはないものだった。
「あの、あっちは……?」
「……見てみるか?」
各務様が引き戸を開けた先には、広い空間が広がっていた。
床は踏み固められた土。
ひんやりとした空気の奥に、黒く煤けた大きなものが二つ並んでいる。
どちらも丸みを帯びたドーム型で、天井を突き抜けた煙突が佇んでいた。
「……あれは何ですか?」
「焼き物用の窯だ。奥にあるのが本焼き用、手前は上絵を焼き付けるためのものだ」
(焼き物……?)
戸惑いながらも、各務様に続いて中に足を踏み入れる。
壁際には白い粉の入った袋や水桶。
長い机の上には細い筆と、まだ何も描かれていない白い器が整然と並んでいた。
「ここって……」
「両親の仕事場だ」
「ご両親の仕事は……」
「焼き物を作っていた。父が焼成を、母が仕上げを担当していた」
元々食器や器を見るのが好きなせいで、つい尋ねてしまう。
「作品は残っていないのですか?」
「……こちらにある」
部屋の奥にある扉を開けると、壁一面の棚に器が並んでいた。
「……え……?」
気付けば、棚に吸い寄せられていた。
目の前には、陽射しを浴びてキラキラと輝く器たち。
「綺麗……」
近寄って見ると、奥から滲み出るような美しい艶を帯びている。
「何でこんなに光っているんですか? しかもすごく上品な輝き方……」
派手さはないのに、惹き付けられるような美しい光――。
「これは特殊な釉薬を使っている」
思わず溜め息が出る美しさだ。
こんな器……これまでに見たことがない。
「他のも見て良いですか?」
「ああ、触っても構わない」
「ありがとうございます!」
大皿に小皿に鉢に、コップや花瓶まである。
気になった器を手にしてみる。
「!?」
触れた瞬間、何もなかったはずの表面に、桜の花びら模様が淡く浮かんだ。
「え!?」
「……っと!」
驚いて落としそうになってしまった皿を、各務様が支える。
「す、すみません。これって……」
「人の手の温度や、料理をのせると絵柄が浮かび上がるようになっている」
「すごい……」
その後の言葉が続かない。
こんな皿、現代にもない気がする。
「こっちにあるのも同じですか?」
「ああ」
今度は指で触れた先に紅葉の模様が浮かび上がる。
「わ……!」
「四季折々の柄がある」
(これにケーキを乗せたら素敵だろうな……)
「他にもこういうお皿ってあるんですか?」
「そうだな……こちらにあるのは模様が浮き出るのではなく、色の深みが変わる」
そう言って各務様が鉢の中心に触れると、外側から中心に向かって器の色が濃くなる。
「色も変わるんですね……」
「ああ」
感嘆の言葉しか出てこない。
このお皿にはあのケーキ、こっちのお皿にはあのお菓子――。
器を見ているだけで想像が膨らむ。
「……あれ?」
順に目を移していくうちに、隅の方に見覚えのある湯呑みが目に入る。
「これって……もしかして各務様が職場で使われていた湯呑みと同じですか?」
「……あ、ああ」
あの時の光景が浮かぶ。
と同時に、ふと素朴な疑問がわく。
「こんなに素敵なのに、ここにある食器はご自宅では使わないのですか?」
各務様の家にあった食器は全然違うものだった。
何気ない質問に、各務様がほんの一瞬、視線を落とす。
「……そうだな。そろそろ一度戻ろう」
「あ、はい」
半ば強引ぎみに部屋を出され、戸を閉められる。
(何かいけないこと言っちゃったかな……?)
***
囲炉裏のある最初の部屋に戻る。
「で、ここに住むのはどうだ?」
断る理由は見当たらない。
「お願いします」
「人里離れた場所だが……一人で大丈夫か?」
「はい」
「昨日のうちに、ここに鍵を付けた。寝る時は念のため掛けておけ。食料や必要なものは後で持ってくる」
「買い物できるような場所はあるのですか?」
「あちらの方角が町。そしてあちらが私が住んでいる場所。そなたの素性の問題があるゆえ馬で来たが、そう離れてはいない」
「歩いても行けそうですね」
「ああ。だが、湯呑は他の者に顔を見られている。町には行かない方がいいだろう」
(そっか……そうだよね)
きっと今頃、町の語り草になっているだろう。
町のど真ん中で、地面に布団を敷いて寝ていた女って――。
「万が一誰か来たら、私の遠縁とでも言っておけ。買い物を終えたらまた来る」
それだけ告げると、各務様は馬を返した。
***
「……」
誰も使っていないと言っていたのに、室内は掃除が行き届いている。
(昨日帰りが遅かったのって、もしかして……)
そう思った瞬間、申し訳なさに胸が軋む。
――正直不安がないわけじゃない。
だけど、いつまでも頼ってばかりはいられない。
(それに……)
改めて部屋を一周する。
レイアウトだけじゃない。
纏う雰囲気でさえ、あの日描いた絵とそっくりだ。
(どうしてこんなこと……)
喉の奥が熱い。
何よりもまず、元の世界に戻る方法を考えなきゃいけない。
それが今の私にできる唯一のことのはず。
(なのに、どうして……)




